神長さんのインタビューのこと

前にちょっとだけ書いた、『オルタ』に載った神長恒一さんのインタビューに関連したこちらの記事だが、語られているエピソードが、あまりにもよく知っているパターンのものなので、思わずブックマークした。


といっても、「ダメ連」の方とはまったく付き合いはないし、活動の内容も、このインタビューで紹介されてるようなこと以外はほとんど知らないので、その活動とか行動に関してはあまり言えない。
ただ、これは「ダメ連」的なものの影響がきっとあるんだろうと思うけど、このような場面は身近で見て、色々考えたが結論が出なかった、ということである。


とりあえず、神長さんのインタビューのどこが面白かったのかを書いてなかったので書くと、これは読んでない人には不親切になるが、つまり神長さんという人は90年代後半に「ダメ連」の中心人物だった方らしい。これは発足当初は一種の左翼的な運動としてやっているという意識があり、活動も共同保育とか交流の場作りとか、それまでの運動とは違うものを打ち出して、それなりに盛り上がって、やっている人にとっては一定の成功をおさめてたようである。「それで成功といえるのか?」と思う人もあるだろうが、これはおそらくそういう種類の運動だったのだ。
それが、次第にマスコミに取り上げられるようになり、色んな人が大勢入ってきて、運動の左翼的な趣旨のようなものも曖昧になり、人間関係のもめごともあったりして、あまり楽しいという感じではなくなって、神長さんは別のこと(「レイヴ」というものらしい)に熱中するようになる。これは何か野外で音楽にあわせて踊るものだそうで、それは「ダメ連」の活動と異質だと思われるかもしれないが、神長さん個人のなかではまったくつながっているものだ、とのことであった。ところがさらにイラクでの戦争が始まる頃になり、神長さんは日本社会の雰囲気にプレッシャーを感じたり、活動の面でもうまくいかないことが重なったりして、鬱のような状態になってしまったということであった。
それで、今現在「ダメ連」の活動にどのぐらい関わってるのかよく分からなかったが、なんとか精神的な不調からは回復して、どちらかというとやはり自然のなかに入って踊ったり、そういうことに今は深い楽しさを感じてる、というようなことであった。


この話のどこが面白かったかというと、つまり「ダメ連」という運動からは、うまくいかなくなって一応離脱したような形になってるということである。
「運動」でやっていけなくなったから、運動においても「ダメ」ということは、「ダメ」を徹底している、ということではなく、運動どうこう以前に、この人はそういうふうに生きたのだ、ということが、このインタビュー記事に書かれていた。
「運動」ということは、すごく大事なことだと思うが、それを一種の集団性として考えると、色々と弊害が生じる場合がある。楽しくなくなるとか、自分に合わないと思ったり、これは違うぞと感じたり、またとくに心身の状態を崩すという場合には、そこから離れるということが、とても大切だろう。
人は、幸か不幸か、運動だけで生きている、というものではないからだ。
それで、この人の場合は、ある程度離れるような形にしたわけである(たぶん)。


神長さんのこの話には、(「ダメ連」というような)運動にとっての展望のようなものはない。
少なくとも、ぼくは感じなかった。
そしてそこに、下手に(運動の)展望が語られたり望まれたりしていないというところに、ぼくは何か明るいものを感じた。


これは運動批判みたいなことではない。
運動については、ここでは何も書かなかった。