大阪市行政代執行に関するサイトと記事の紹介

うつぼ公園大阪城公園で先日行われた強制撤去の件について、また書きます。
後でも出てきますが、この件は終わったということではなく、他の公園に場所を移して大阪市内で同様の措置が行われていく可能性があるということと、仙台でもやはり今回のような行政代執行が3月に予定されているということを、先に書いておきます。


今日は、今回のことについて、特に印象に残った文章などをいくつか紹介します(4日午後に、もう一件リンクを追加しました)。


①はじめはサイト全体の紹介になりますが、昨日のエントリーでも三つほど記事を紹介させてもらった『p-navi info』さん。 
このサイトでは、この件についてたいへん豊富な記事紹介や、優れた見解を読むことができます。いちいち紹介できないほど、重要なエントリーばかりだと思う。


②それから、「p-navi」さんでも紹介されてるんですが、支援団体のサイトである『釜パトブログ』に掲載されていた文章で、大阪城公園での抵抗に参加された方の手記
素晴らしい内容です。


ぼく自身について言っても、出来るだけ当事者の「思い」の近くにいよう、とそれだけだった。例えば興奮するうちに言ってることが当事者の思いとかけ離れて、自分の「やりたいこと」にすり変って行くことはあるだろう。それには注意しようと思った。

そのTさんのテントが壊され始めた。構造物はバラされ、フライシートが剥がされ、骨組みが剥き出しになった。作業場に残っていた様々な荷物も運び出されていった。その光景はひと言、「無残」だった。
ミーティングで暴言は慎もうと言っていたぼくだったが、何時の間にか「こらー!丁寧に扱え!大事なもんやぞ。人の家や、ゴミちゃうぞ。壊すなぁ、引きずるなぁー!」と怒鳴り続けていた。涙が出そうになったが、一度そうなると崩れてしまいそうで、必死でこらえた。メガホンも仲間も今は中の作業員に向かって必死で怒鳴っていた。面倒臭そうにロープをナイフでぶちぶち切っている職員に怒鳴りつけ、写真を撮った。
荷物を運び出すために引越し業者の車も入ってきた。そこには動員されてきたアルバイトの若い子らもいた。わけも判らず作業をさせられている人たちもそこにいる。それも酷い光景だと思った。
テントに使われていたブルーシートは風呂敷代わりにされ、そこに残骸や荷物をひとまとめに放り込むと、大勢で列になってトラックの方に運び去っていった。
そんな中、ぼくはTさんを見失ってしまった。ひょっとして、支援者が騒ぎ立てるあまり、当事者を放り出したように感じてイヤになったのかも知れないと思い、そのことが気になった。

気をつけて見ていると、中にはこちら側の激しい言葉に体を震わせているような職員もおり、隣の職員が「堪えろ」とばかり肩に手をかけているのが目に入った。個人的なレベルでは何も憎みあう理由もない者同志が、こうしてフェンスの向こうとこっちに対峙させられているこの状況はいったい何なんだと憤りを感じた。そうした「丘の向こう側」の人々、市の職員の中には、こちらの主張やテント住人の状況の説明を聞いて、涙を流し、顔をそむけている者もいたということだ。そうした様々な人々の「思い」をこの代執行は踏みにじっているのだ。


こういう小さな等身大の思いを持って、当事者の人たちのそばで必死に抗っていた人たちが、あの日あの二つの公園にはたくさんいた。
そのときに、一体自分は何をしてたのか。


③次は、当日うつぼ公園におられたキョートット出版小川恭平さんの手記で、この方らしい、肩の力の抜けた絶妙な文章ですが、繊細で切実な思いが伝わってきます。
「長城のように」並んで押し寄せる職員の隊列に向って、その一人一人の顔をのぞきこみながら「ラブミーテンダー」を熱唱したというのは、たいへんな勇気のある行動だと思う。

抵抗の一番わかりやすいやり方は、大声を出すことだと思う。言葉は実はなんでもよい。ひどい、でも、やめろ、でもなんでもよい。歌は歌えても、その場で大声は出なかった。


これは、すごくよく分かります。
また、小川さんは朝一番に排除されたため、当日の仕事に間に合ってしまったのだそうですが、

今回のうつぼ公園では、私は参加できなかったが、抵抗があり、悲しみの共有があったのだと思う。そこには、希望がある。


これも深い言葉だと思います。


④最後は、『いちヘルパーの小規模な日常』さんから、やはり当日うつぼにおられたという生田武志さんの経過報告とコメントの紹介。ぼくもいたんですが、どの方か分かりませんでした(そういえば、小川さんは面識があるんだけど、全然気がつかなかった)。
さまざまな意味で緊張が続いている現状が語られた後、支援団体に寄せられてくる抗議メールへの返信内容が掲載されてるんですが、この問題の本質を知る上で、非常によい文章だと思います。


路上や公園などの「公有地」で生活することは「不法占拠」とされています。しかし、世の中には「公有地」の他には(おおざっぱに言うと)「私有地」しかありません。そして、他人の「私有地」で生活しようとすると、今度は「不法侵入」で訴えられます。まさか他人の家に入って暮らすわけにはいかないのです。

「団体さんがホームレスの方々を引き取って保護されてはいかがですか?」とありますが、大阪だけで1万人近くの野宿者がいる以上、わたしたちの限界は別としても(自分たちなりに時間とお金をつぎ込んで活動していますよ)、そうした手段で問題が解決するわけがありません。そもそも、失業問題が根底にある野宿者問題は、社会的な就労問題・社会保障問題として解決するしかありません。善意の個人が引き取ればよい、という考え方は明らかにちがいます。野宿者問題を「個人の責任」「自業自得」という考え方がよくありますが、「引き取ればよい」というのは、野宿者問題の解決策を「支援者の責任」にしてしまっているだけです。
 例えば震災で家を失った被災者へのボランティア活動をする人に向かって、「支援するなら被災者をおまえの家に引き取れ」などと言う人がいたら完全におかしいと思いますが、それとほとんど同じです。

 「路上で生活するという行為は軽犯罪法に違反している」という話がありましたが、それ以前に行政が憲法と法律(生活保護法)を遵守していないという現実があるのです。


書き出し始めるときりがない、これもとにかく読んでください。


⑤もうひとつ、文章をご紹介します。
上記でとりあげた手記が紹介されているエントリーですが、最初の部分で、何度かここで記事を紹介させてもらっている、「旗旗」の管理人草加耕助さんの感想が読めます。
こちらも是非読んで下さい。