行政代執行・生活保護・『デリダ、異境から』

昨日紹介したp-navi infoさんのサイトで、やはり昨日のエントリーのなかで、大阪市の野宿者をめぐる状況に関してぼくが使った「行政代執行」という言葉について、詳しく語られています。
ご覧ください。

http://0000000000.net/p-navi/info/news/200601171709.htm


この件に関しては、近日別にエントリーを書くかもしれませんが、今日はご紹介まで。


と、書いてたら、id:matsuiismさんが、同じ問題について記事をアップされました。
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20060117

この中で書いておられる、野宿者が「住所がない」ことを理由に生活保護を拒まれるというケースですが、16日のエントリーで紹介した日本テレビ系のドキュメンタリーでも取り上げられてました。「住所がないんだから、受給資格がないんだ」というふうに嘘を言って、申請しようとしたホームレス(野宿)の人を門前払いしてしまう自治体の職員の声が放送されてました。
これは、生存権保障というのは生活保護法で無差別平等に行われるということが定められていて、住所があるとかないとか、そういう条件によって差別的な運用をすることは出来ないはずなのに、現実には行政の窓口では往々にしてそういうことがあるらしい。
今の日本では、住所のない(いわゆる)ホームレスの人たちというのは、生存権を含めた基本的人権さえ、行政に認められないような状況にあるということですね。
あの番組で問題になっていた生活保護の「適正化」というのは、81年に当時のいわゆる「行政改革」の動きのなかで出てきた方針らしいんですが、その傾向のなかで現場のレベルではこうした違法な対応というものがあって、特に住所のない人たちというのはその被害者になる場合が多くあった。それが最近になって、国が自治体に生活保護の費用を押し付けようという動きが加速してきたために、そうした歪みがさらにひどくなってきてる、ということだろうと思います。


住所を持たない貧しい人たちが、行政の面でもどんどん追い詰められていく、そういう全体の枠組みのなかに今回の大阪の公園での動きというものがあるわけで、けっして社会の一隅で生じている特殊な出来事というわけではないことを、分かっておく必要があると思います。




ところで話は変わるんですが、上記のp-navi infoの運営者であるBiiさんから、当ブログで去年の春に二度ほど言及した映画『デリダ、異境から』についてのエントリーのひとつに、TBとコメントをいただき、記事をリンクしていただきました。

http://0000000000.net/p-navi/info/column/200601060347.htm

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20050417/p1

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20050424/p1


ここで紹介した上映後のトークの内容を付録として収録した本が、近日人文書院から出版される予定だそうです。
これは、この会を主催した甲南大学人間科学研究所というところが毎月発刊している「心の危機と臨床の知」という叢書の第七巻として出るものだそうですが、出版の日にちなどがはっきり分かりましたら、詳しくお知らせします。
エントリーの中にも書いたのですが、このときのトークでは、特に監督のサファー・ファティーさんと、ゲストとして来られた鵜飼哲さんとの対話のなかに、非常に興味深いやりとりがあったと記憶しています。
ぼくも、出版を心待ちにしています。


追記:ちなみに、人文書院のホームページはこちらです。『恋する虜』、早く再出版して欲しい。

http://www.jimbunshoin.co.jp/