『ブレストの乱暴者』からの引用・クレル

ブレストの乱暴者 (河出文庫)

ブレストの乱暴者 (河出文庫)

二十五歳の肉体から生れた最近のクレル、わたしたち自身の心の暗い領域から武器も持たずに出てきた、強い、頑丈な最近のクレルは、いま、その楽しげに微笑を浮べた、最近の彼よりも若い、選ばれた家族たちの方を振り向くために、楽しげに肩を揺すったところであった。どのクレルも、なつかしげに彼を眺めていた。悲しい時など、彼は自分のまわりに、この家族たちが寄り集っているのを感じた。憶い出のなかの存在がぼんやりヴェールに覆われているように、この家族たちもヴェールによって、優にやさしい、女らしい容姿をあたえられ、彼の方へ寄り添っていた。もし彼にそうする勇気があったら、ベートーヴェンが自分の交響曲を自分の«娘»と呼んだように、彼らを娘と呼んだかもしれなかった。クレルにとって悲しい時というのは、この最近生れた闘技者のまわりに、多くのクレルたちがひしめき集り、ぴったり寄り添う時を意味していた。彼らのヴェールは、黒いチュールというよりもむしろクレープで、彼はすでに自分の肉体の上に、わずかに縮れた忘却の襞を感じていた。(p167)