お前の身体を傷つけるな

孔子 (講談社学術文庫)

孔子 (講談社学術文庫)


論語』や儒教、また孔子のことについてももっと勉強してみようと思い、この本を読んだのだが、とても勉強になった。
これは名著だろうなあ。


書きたいことはいくつもあるが、そのなかからひとつ。
孔子の門人のひとりである曽子(曽参)という人のことが、とても気になる。
「孝」の思想でとても有名な人で、『論語』に出てくるこの人の亡くなる時のエピソードについては、前にも書いた。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090630/p1


自分の身体は父母からもらったものであるから、これを一切傷つけることなく生きて死んでいかねばならない。これが、曽子の思想の核心といっていいのではないかと思う。
こうした思想が、師である孔子の思想とどの程度重なっているのか、よく分からない。かなり独自のものではないか、別のところに水源があるのではないか、という気もする。
この本の著者、金谷治氏は、上のエピソードに触れて次のように書いている。

(前略)肉体の損傷ということは、刑罰の墨(いれずみ)刑の例でもわかるように、現代のわれわれが考えるよりもずっといまわしい恐るべきことと思われていた。古代では宗教的な神の怒りにもかかわることであった。それを親孝行に結びつけたのは理性の働きであるが、宗教的な感情はまだ残っていたであろう。曽子のことばには五体満足で死に就くことのできる安堵感があふれている。そして、それを門人たちに示して、死の床での最後の教訓としたのである。(p310〜311)


しかし、ここに宗教的な感情が含まれていたとしても、肉体の損傷ということを「いまわしい恐るべきこと」と感じるようなあり方は、宗教的感情としても必ずしも当たり前のものではないだろう。
入れ墨もそうだが、「父母からもらった」とここでは形容されている自分の身体を損傷したり改変することの方が、むしろ当然のこと、神や社会性にもかなうことだと考える文明、文化は、きわめて多いのではないか。
とすれば、曽子のような身体に対する捉え方は、少なくとも「自明のもの」「自然な感情」という風にはいえない。それは文化的・社会的に、まったく特殊な、作られた感情、感覚といっていいだろう。


では、何がそれを要請したのかといえば、当時の家族制度の維持・強化ということ、つまり「孝」の思想を定着させるための手段として、上のような特殊な身体観が唱えられた、ということだろう。
だから、「私の身体を傷つけたくない」ということではなく、「父母からもらった」というところに重点があるのであり、「自分(私ではなく)の身体を傷つけるな」という規範が、家族という縦のつらなりを尊重せよという命令として働いているのである。


このことが大事だと思うのは、今でもこの身体観による呪縛は生きていて、だからこそ人は家族や家の支配から逃れようとして自分の身体を傷つけてしまう場合もあるし、また必要があって、自分自身や他人を守るために「自分の身体を傷つけるな」という規範を犯さねばならない場合にも、それが出来なかったりすることがあると思うからである。


このような規範としてでなく、「私の身体を傷つけるな(傷つけたくない)」という言葉が個人の心の底から発せられる場合には、その「身体」というものの意味は、単純な肉体の損傷や改変の有無ということでは、必ずしも図れないものになるのではないかと思う。




曽子について、もうひとつ面白いエピソードがある。
それは、孔子が死んだとき、多くの門人たちは孔子に容貌の似た有若という門人を後継者に立てて学団を維持しようとしたのだが、それでは孔子の隔絶した素晴らしさを損なうことになるという理由で、それに頑強に抵抗したのが曽子だったということである。
彼自身、父親から二代にわたる孔子の門人でもあった曽子は、その後、孔子の幼い孫を引き取って大事に育てたという(孔子の息子は、すでに亡くなっていた。)*1


ここには、親と子のつながりを重視する曽子の思想の特徴が関わっているのではないだろうか?
有力な指導者などが亡くなった時、その子供を後継者に立てるのは、封建的な社会なら(そうでなくても)自然なことのように思いがちだが、「容貌が似ている」ということも、実は後継者を選ぶ理由として、つまり亡くなった人への感情(転移)を極力保って集団を維持していく方法としては、(少なくとも)同じぐらい自然なことなのかも知れない。
多くの門人たちは、容貌の同一性の方を重視したのだが、曽子にとっては、親と子のつながり(血縁的な同一性)の方がリアルであり、重視すべきものと考えられたのではないだろうか。

*1:学団の維持は断念された。