ジュネ『葬儀』

意外と早く読み終わった。
ごく簡単に紹介と感想を書いておきたい。


訳者後記によれば、この小説の原著は、1947年にフランスで非合法出版の形で世に出た。ジュネの長編小説しては第三作にあたる。その後1953年に、ガリマール書店から「ジュネ全集」の一部として大幅な削除を施されて公にされることになるが、本書は、削除が施される前の初版オリジナル本に基づく日本語訳の文庫化、ということであるらしい。文庫本の出版は、2003年である。
この作家については、非常に多くのことが語られてきていると思う。ぼく自身は、この作家の作品(翻訳)を読むのは、『泥棒日記』に続いて、まだ二作目だ。
本作品を一読して、翻訳ながらその質量に圧倒された。訳業も驚くべきものだと思う。


第二次大戦の末期、ドイツの占領から解放されようとしていたフランスで、共産党員で対独レジスタンスの闘士だった青年ジャン・Dが市街戦のさなかに射殺される。その同性愛の恋人だった語り手は、故人の兄や、ドイツ兵エリック、そし記録映画のなかで見かけた対独協力兵リトンといった人々の存在に触発されて、性愛の巨大で錯綜したファンタジーを織り上げていく。
この作品は、そのファンタジーを描いた小説であるともいえるし、それが形成されていく過程について書かれた書物、特異な思想書だともいえるだろう。
ジュネ自身は、自伝的な作品『泥棒日記』のなかで、この本について「春本」、つまりポルノグラフィーだと言っていた。たしかに間違いや韜晦ともいえないが、その思想性が、そのことによって割引されるわけではない。
解説で宇野邦一も示唆しているように(宇野の見解には若干疑問があるが)、ジュネの思想性や政治性(及び非政治性)は、その性愛についてのファンタジーの文章(言語)と、決して切り離せないものだからだ。


前にも書いたが、ジュネの文学と思想において、もっとも重要なテーマのひとつは、「裏切り」である。この作品では、このテーマが、祖国愛と祖国への裏切り、愛する人の死への追悼とその人間を殺した当の相手(ドイツ兵、対独協力兵)の男たちの交情への賛歌という形で、遺憾なく追求されることになる。
死と性愛と裏切りについての比類のない思考が、驚くべき書き言葉の力によって展開されていく。


だが、ぼくがジュネの書く文章のなかでもっとも心惹かれるのは、たとえば次のような内向的な、むしろ退行的とさえ思える一節なのだ。

「ひでえ目にあったんだろ、えっ?」
私には答えがわかっている。ポーロにとっての捕虜生活とおなじくらい当時の私にとって恐ろしいものだったメトレー感化院にしろ中央監獄にしろ、私はそれを悔む気持ちはない。これら不幸の歳月は私たちの記憶の底にたいそう柔らかい苔とたいそう暗い日陰を敷きつめており、ときおり私はその上に身を投げ出すのである。そして人生がうまくいかなくなったときそこに避難所を見出せそうな予感がするとともに、そのごった返す底から混沌とした数限りない欲望が湧き上がり、扱い方さえ心得ておれば、それらははっきりした形をとり、それらを内に蔵する人間にたいしてその人生を烈しく美わしいものに仕立てる一連の運動が形づくられるのである。(p349〜350)


あらためて言うまでもないことだろうが、ジュネは誰にも似ていない。

葬儀 (河出文庫)

葬儀 (河出文庫)