今日思いあたったこと

ちょうど二年ほど前に、こういうエントリーを書いた。

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20051130


このなかでぼくは、浅田彰が、晩年のジュネの「擬似家族」幻想について語っている文章を引用している。

浅田  こうしてジュネが同性愛を「ホモネス」に基づく非関係というところまで突き詰めていったということは押さえておく必要があると思います。しかし、そのことが後になって逆説的に別種の関係を可能にする。最終的には、ブラック・パンサーやフェダインの「傍らに」――彼らと「共に」ではなく――あって、彼らの政治闘争に必要なこと以外は発言しない、といった不思議な関係がそれですね。ただ、その前に、もう少し身近なところで見ても、一種の擬似家族みたいな幻想があるでしょう。ジュネが愛する男たちというのは、ほとんどバイセクシュアルで、結婚して子どもができたりするのだけれども、奥さんや子どもまでかわいがって、しかも、自分は安宿に泊まり歩きながら、ガリマール社かどこかからかっぱらってきた金で家まで建ててやっているでしょう。あれはいったいどういうことなのか。まあ、若い頃の過激な非関係性から、ある程度年をとってどうしてもそういう擬似家族に移っていくということがあるのかもしれないけれども、それと同時に、非関係の関係といったものと非家族的な家族みたいなものへの夢とがどこかでつながっているのかなという感じもします。


この「擬似家族」みたいなことは、ずっと気になっている。
今日ちょっと思ったのは、それはジュネなりの家族(親密な関係性)への肯定だったのではないか、という当たり前な感想である。
ジュネの場合どうだったかまでは分からないが、家族のような関係性に関わるということが、不可避にそれを破壊してしまうこと、あるいは否定する結果につながる人がいると思う。
浅田が言う「非関係の関係」という在り方を維持しながら、なおかつ「家族」を肯定する方法として、上に書かれてるような「自分が直接加わらない(関与しない)」という行為はありうるのではないかと思う。