「ジャン・ジュネ――裏切りとしての愛」

誰よりも深く踏み込むのだけれど、距離がある。


(鵜飼哲)

20世紀文化の臨界

20世紀文化の臨界

きのうジュネの作品について書いたので、この作家に関することを少し補足しておきたい。
1994年に、パレスチナを舞台とした遺作『恋する虜』の翻訳が出版された(この本は、現在入手がすごく難しいようだ)前後から、この作家の再評価というか、新たなジュネブームのようなものが日本で起こった。
ジュネというと、かつては三島由紀夫澁澤龍彦がその日本における賛美者の代表だったが、『恋する虜』の出現によって、パレスチナ解放闘争やブラックパンサーと連帯した政治的文学者としてのジュネの側面が突如クローズアップされるようになり、この角度から多く論じられるようになった。
同性愛と美への耽溺を書く反社会的な作家から、非常に過激な政治的な文学者・行動者へと、ジュネのイメージは劇的に変わった(三島が生きていたら、これをどう捉えただろう?)。
この新たなジュネ受容の中心になったのが、日本では浅田彰と、『恋する虜』の共訳者でもある鵜飼哲ということになる。
浅田を著者とする対談集『20世紀文化の臨界』は、2000年に出版され、バタイユクロソウスキーコクトーから、バロウズパウル・ツェラン、キーファーまで、20世紀に活躍した芸術家や思想家が幅広く論じられている本だが(とくに、ツェランについての対談はお勧め)、このなかでジュネについて、浅田・鵜飼の二人が語り合っている「ジャン・ジュネ――裏切りとしての愛」と題された対談は、きわめて示唆に富んだスリリングなものである。
そのなかから、興味深い論点をいくつか拾ってみる。

「裏切り」

捨て子であり、放浪、盗み、入獄を繰り返して育ったジュネの半生と、そのフランス語との関係について語られた部分も、たいへん重要だと思うが、詳述しない。
ぼくがまず興味を引かれるのは、作品『葬儀』の過激な性交場面の描写を論じながら、浅田がジュネにとっての同性愛とは、再生産に結びつくことのない「不毛な散種」(性行為)に他ならず、そこで「徹底的な非関係としての関係」が追及されているのだ、と主張するくだりだ。それが、「裏切りとしての愛」という対談の表題にむすびつく。
ここでの浅田の言葉は、この人らしいというか、明快すぎるぐらい明快だ。

浅田  ほどよい愛情やほどよい友情というのは必ずや閉じた共同体をつくってしまう。家族をつくり、家族の延長上で共同体をつくり、ヘテロセクシュアルな再生産によってそれを拡大していこうとする。そういう見方がジュネの中にあったんだと思うんです。だから、本当の愛、本当の忠誠というのは、そういうものを裏切ることなしにあり得ない、裏切ることがそのまま愛であり、そのまま忠誠である、というふうな、非常に逆説的な点にまで突き進んでいくわけですね。それは、とくに彼にとっての同性愛ということの特殊なあり方なしには考えられないと思いますけれども。

鵜飼  非常に特異な、たんに同性愛という言葉では片付けられないような特殊なセクシュアリティですね。


ここでは、「裏切り」というジュネにおける核心的なテーマのひとつが、ジュネ自身が語っている孤独の栄光ということよりも、性愛をとおした他者とのギリギリの関係性ということと結びつけて考えられている。つまり、「非関係としての関係」。
これは、かなり射程の広い読解だと思う。

「家族」

だがそのうえでもっと面白いのは、そうしたジュネの関係に対する破壊的なまでの態度が、後年別種の関係を可能にしたのではないか、と語られていることだ。

浅田  こうしてジュネが同性愛を「ホモネス」に基づく非関係というところまで突き詰めていったということは押さえておく必要があると思います。しかし、そのことが後になって逆説的に別種の関係を可能にする。最終的には、ブラック・パンサーやフェダインの「傍らに」――彼らと「共に」ではなく――あって、彼らの政治闘争に必要なこと以外は発言しない、といった不思議な関係がそれですね。ただ、その前に、もう少し身近なところで見ても、一種の擬似家族みたいな幻想があるでしょう。ジュネが愛する男たちというのは、ほとんどバイセクシュアルで、結婚して子どもができたりするのだけれども、奥さんや子どもまでかわいがって、しかも、自分は安宿に泊まり歩きながら、ガリマール社かどこかからかっぱらってきた金で家まで建ててやっているでしょう。あれはいったいどういうことなのか。まあ、若い頃の過激な非関係性から、ある程度年をとってどうしてもそういう擬似家族に移っていくということがあるのかもしれないけれども、それと同時に、非関係の関係といったものと非家族的な家族みたいなものへの夢とがどこかでつながっているのかなという感じもします。


この話は、とても示唆に富む、しかし謎めいたものである。
これを読んでぼくが思うには、浅田が「非家族的な家族」という言い方をしているのは正しくて、ジュネは、自分が「家族」の一員であるとは思っていなかっただろう。
一員ではありえないものとして、(抑圧された人々の)共同体の「傍らに立つ」という姿勢、あるいは体質のようなものがうかがえる気がする。上で述べられているように、それはジュネの政治的なコミットメントのあり方と重なる問題であるだろう(この点は後述)。
ジュネは最後まで「孤独」に、言い換えれば「距離」のうちに踏みとどまった人だったということだろうが、この孤独は否定的なものでも、単数のものでもなかった。


この特異な「家族」との関係性をめぐって、この対談では、ジュネは結局アンチ・オイディプスだったのか、それとも別種のオイディプスに他ならなかったのかという、重大な問題が提起されている。
ぼくは、ジュネの「家族」に対する愛は、オイディプス(家父長)としてのものではなかっただろうと思う。だが、これはジェンダー的な議論にとどまらず、権力論や「運動」論に関わってくることだと思うが、ジュネの共同体に対する態度に、ある種の権力性の萌芽がまったくなかったとはいえないのかもしれない。結果的に、ジュネはそこには行かなかったわけだが。
これに関して思うのは、この対談でも触れられており、ジュネの散文を読んでいてときたま出くわす、彼の「母性的」な幻想のあり方というものが、この「家族」への愛や、権力性の問題と何か関係しているのではないか、ということだ。
ここで、ジュネのもうひとつの最重要なテーマである「母」の存在、つまり赤ん坊だった彼を捨てた母親についての感情と幻想という問題が浮かび上がってくるように思う。

「政治」

フェダイン(パレスチナの闘士)やブラック・パンサーとの連帯、またフランス国内での移民や囚人たちへの人権侵害に対する抗議などの、ジュネの政治的行動のあり方について、浅田は、その特徴をこう語る。

ただし、そこで彼らと「共に」闘うとはけっして言わず、彼らの「傍らに」あって動くという非関係の倫理みたいなものを常に保ちながら、しかし身をもってブラック・パンサーやフェダインたちと行動していく。そういうところが非常に興味深いですね。


これを受けて鵜飼が答える次の言葉は、たいへん印象的である。

誰よりも深く踏み込むのだけれど、距離がある。この振舞い方は本当に真似ができない。だからこそ深く考えていかなければいけない。


こう表現されるジュネの政治参加の態度は、「政治的イデオロギーが先にたって動くのでは」なく、「自分にとって非常に切実なきっかけがなければだめだった」(浅田)というふうなものだった。これは、身体的とも呼べる運動・政治行動のあり方だったと思うが、言うまでもなくそれは上述したジュネの個人的な性質やセクシュアリティー、あるいはナルシシズムの質というものと深く結びついていたはずだ。
ジュネの世界との関わり方、つまり政治性というものは、根底から性的なものだったと思うが、この「性」(エロティシズム)は、他者を同化するもの、つまり共同体を作るようなものではなかった。なにがジュネを、そういう際どい場所に踏みとどまらせたのだろうか。
ぼくはやはり、ジュネの生涯の原点である、捨て子だったことと放浪を重ねて育ったということ、つまり現存の社会の外側の存在であることを常に意識していたという体験が、彼の他者(パレスチナ人、非白人など)に対する「距離」のリアリティに深く関係しているのだろうと思う。