『人情紙風船』

天才監督山中貞雄の遺作にして代表作。


構図が奥行きがあって非常にしっかりしていることなどに驚かされるが、そんなに面白いという映画ではない。ぼくに、鑑賞するだけの力がないのだろう。有名なラストシーンも、まあかっこいいなあ、という程度である。全体を通しての「紙風船」の撮られ方そのものは、たしかに映画史に残るものかもしれないが。


この映画の最大の魅力は、帰参(再就職)のために絶望的で屈辱的な活動に日々を費やす妻帯の浪人を演じた河原崎長十郎の存在だろう。次第に狂気に近づいていくその演技は、鬼気迫るものがある。
共演の遊び人風の町人を演じた中村翫右衛門の演技をどう受取るかで、この映画の評価は大きく分かれるのだろうが、ぼくは感心しなかった。金持ちの商人の娘を金目当てでなく、意地のために誘拐するくだりが有名なのだろうが、この設定がそんなに生きていない気がする。たしかに、最後のたぶん死に至るのだろう場面は、すごくかっこいいんだけど(小道具の傘がすごく利いてる)、あの場面がなかったら、ぼやけた存在のまま終わってたように思う。
だいたいこの町人の性格の眼目は、髪結いでありながら遊び人のように振舞おうとして失敗を繰り返す姿の哀れさであろう。願望と現実とが一致しない物悲しさが、長十郎の演じる浪人の、妻に己の実態を隠し続ける姿と共鳴するところに、筋立ての妙が生まれるはずなのだが、どうもそういうふうになっていない。
用事で実家に戻っていた浪人の妻が帰ってきて、夫の真実を知って心中してしまう最後も、どうも腑に落ちない。


映画全体で、ぼくがもっとも引き込まれたのは、中盤にあたる夜の雨が降り続くなかで展開されるいくつかのシーンだ。ぬれねずみになって立ち尽くす河原崎長十郎の表情を映して終わるこれらの一連のシーンに降る雨は、物語の緊迫感を最大限に高めている。
音楽というもののまったく使われていない映画なのだが、この雨の音だけで、聴覚的な効果は十二分だ。『羅生門』や『七人の侍』の雨とも、『浮雲』の雨とも、『稲妻草紙』の雨ともはっきりと違った、日本映画に降る個性的な雨のひとつとなっている。
この奇跡的な雨をスクリーンの中に降らせて、山中貞雄は戦地に去った。この作品の封切日に召集令状を受取り、戦地の中国で病死することになる。前にも書いたように、享年28歳であった。