『丹下左膳餘話 百萬兩の壷』

今日までの上映だったので見に行った。
1935年(昭和10年)に天才といわれた山中貞雄が撮った時代劇。
有名な作品だが、これはたしかに娯楽映画史上の傑作だ。映画館で大声を出して笑ったのは、ほんとに久しぶりだ。


大河内伝次郎丹下左膳は、むかしよく物まねされていたような独特の台詞回しではなく、非常に現代的というか、普通の、むしろ軽妙な感じの演技だった。これは監督の演出によるものだろうと思うが、それが実によかった。時々出てくる「〜だね」「〜だよ」というような江戸弁のやさしい語尾が、いまはドラマや映画どころか落語でさえ聞かれなくなってしまったような言葉なので、聞いていてほんとに気持ちがよかった。
テンポのよさということでは、日本映画随一だろう。戦前の映画でぼくが特に好きなものというと、小津安二郎の『生まれてはみたけれど』だが、それに劣らない素晴らしい作品である。スマートな喜劇、という点では、戦後にも比べられるものがない作品だと思う。


ちょっと思い出したが、この間競馬場に行ったとき、コースの真ん中の客が入れるようになっている芝生の起伏のある地面に立って障害レースを見た。
周りには数十人の観客が、ちょうどゴルフ場のギャラリーみたいにコースの脇に並び、背伸びしながら馬が走ってくるのを待っていた。障害のレースというのは、たいへん長い距離を走るもので、場内をたすきがけみたいにしていったりきたりする。だから、見てる人はどちらの方向から馬が走ってくるか分からないのだ。それで、やっと馬群が目の前にくるとみんな歓声をあげ、感心して見とれている。その場所を通るのは一回きりで、通り過ぎると全然見えなくなるので、みんな慌ててよく見える場所に移動していき、レースの結果を見極めようとする。
実にのんきな観戦で、ヨーロッパの競馬場みたいで面白かった。
なぜ急にこんな話をしたかというと、戦前、ちょうど山中のこの映画が作られた時代、いま阪神競馬場がある場所の近くの、鳴尾浜というところに、トロット専用の競馬場があったのだそうだ。トロットというのは、『ベン・ハー』みたいに馬が人間を乗せた車を引っぱって走るレースである。
ヨーロッパの方では、トロットや障害レース専門の競馬場というのが古くからあるそうだが、日本では戦後はそういうものはなかったと思う(北海道にばんえい競馬というのがあるけど)。どんどん、芝のスピード競馬一辺倒になっていった窮屈な歴史だった。
そう考えると、戦前の、昭和の初めぐらいの頃の日本の大衆文化というのは、戦後よりも幅が広く豊かな部分があったのではないか、と思う。
山中や小津の作品に代表されるこの時代の映画の質の高さは、そのひとつの象徴なのかもしれない。


アクションシーンでは、左膳が子役に「目をつぶっていろ」と言って十数えさせ、その間に悪人を斬ってしまう場面が見事だ。斬られてうめいている悪人の姿を見て子どもが口にする問いに答える、大河内の返しはなんともかっこいい。
そして、なんといってもあの道場破りのシーンの、けれんみのない見事さ。
それから、大河内の相手役をやった喜代三という女優ははじめてみたが、とてもよかった。最近で言うと、永島映子にちょっと似た感じ。この人は花柳界の出身ではないかと思うが、達者な芝居だった。


娯楽映画らしい、芯の通った人生観のようなものもしっかりと盛り込まれていて、まったくすきのない映画に仕上がっている。


監督の山中貞雄は、この映画を撮ってから三年後の1938年、日中戦争に出征して戦病死した。28歳の若さだった。
生前に撮った20数本の作品のうち、本作を含めて3本の映画しか、今日では見ることができないそうである。