続・『パッチギ!』受賞なし!

昨日の『パッチギ!』関連のエントリー、やはりテレビで放映された直後の話題というのは関心がたかいみたいで、リンク元の数字をみても入ってくる人の数が跳ね上がってます。こないだの行政代執行のときも同じような状況でしたが、やっぱりテレビ中継されてたからかな。
昨日は言葉の足りなかった点もあったと思うのと、トラックバックや、ブックマークにもいくつかコメントをいただいてるので、少し補足的に書いてみます。


まずぼくが不快感をもってるのは、公平な審査が行われなかったと思ってるからではなくて、映画界とかメディア業界の側のひとつのパフォーマンスとして「『パッチギ!』受賞なし!」というショーが行われ放映されたように感じたからです。
いや、正直言うと、公平な審査は行われなかっただろうと思う。でも、それは別に今回に限ったことではなくて、「日本アカデミー賞」については、もともと「おかしいよな」とか「映画会社の持ち回りだから」という話はあるわけですよね。そのことであの賞の評価が落ちていくというのは、まあこの場合は問題ではないわけです。
「公平って何か?」とか「映画賞ってなんだ?」みたいな話も、脇におきます。


パッチギ!』という、朝鮮学校の生徒や朝鮮の人たちと、日本の若者との衝突と友情を描いた、いまの社会や政治の趨勢からいうと、すごく少数派の主張をした映画だと思うんですが、それに対して、あの賞を仕切ってる人たちの側は、非常に露骨な形で「ノー」を突きつけた。そう感じたわけです。
実際には、そこに力点があってあの結果になったのかどうかは分からないけど、ぼくはそう感じた。


で、それに対して不快感を表明する、「あれは不当だ」と言うにあたって、ぼくが迷ったのは、受賞作をはじめ、他の作品を自分が見ていないということです。
「たとえ他の作品の方が優れてるとしてもだ」とか書いたのは、まあ言いすぎだったかもしれんけど、他の作品が『パッチギ!』より優れている可能性を留保した上で、そうだったとしてもあれは不当だろう、ということを強調したかった。そして、そこは言い切っていいんだと思う。
つまり、他のノミネート作品を見てなくても、『パッチギ!』に一個も賞を受賞させないというやり方は、やはり露骨なものであるとぼくは判断するし、それに対する不快感を表明したいと思います。


映画というのは、政治的・社会的なメッセージがこめられていても、それが映画としての出来を損なわないのであれば、もちろんかまわない。『パッチギ!』の場合、ぼくはむしろあの映画の最大の価値は、そのメッセージ性にあると思う。
一方で、映画賞というものが、ある程度政治的、つまり業界などの思惑に支配されるということは仕方のない部分があり(いいことではないだろうけど)、だから「日本アカデミー賞」の主な賞を独占するのが独立系の『パッチギ!』じゃなくて、読売新聞などが出資した『三丁目の夕日』だというのは、まあ分からん話ではない(分からんけどね)。
でも、映画というようなジャンルは、そういう大枠があっても「これはよく頑張ったよね」というような仕事には、それなりの評価を与えることが大事なんじゃないの?
今の社会の状況で、しかも(この題材だから当然ながら)独立系作品として作られ、配給された『パッチギ!』は、その映画としての出来からいっても、気骨あるメッセージの内容からいっても、興行成績や話題性からいっても、「これはよく頑張ったよね」の部類に入るんじゃないの?
だからまあ、監督賞とか、そういう主要な賞の一つや二つは、とらせてあげるぐらいの「自由さ」がどうしてないのか、ということ。
100%資本の論理にしてしまって、どうするのか。


そういうことをいいたかった。
たぶん、業界の中でも、資本の論理にたてつくような決定をするということが、これまで以上に難しくなってきてるんじゃないかと想像するけど、これがまかりとおるというのは、ちょっと窮屈すぎると思う。
で、そういうことを書かないと余計窮屈になるように思ったから、ここに書いた。
あれはやっぱり、井筒さんは気の毒だよ。


それから、「反体制なのに賞を期待するのはおかしいのでは」という意見を書いてくれた人もあったけど、ぼくはそうは思いません。
あれはやっぱり、ひとつのメッセージを社会全体というか、より多くの人に届かせたい、という映画でしょう。そのために、多くの人に見てもらえるように努力したし、日本アカデミー賞という大きな場で評価されるということは、社会全体に声を届かせるという目的からすれば、すごく効果のあることで、たとえ賞という権威を快く思ってなくても(井筒さんが、どういう考えかは知らんけど)、そういう意味で「賞獲り」を狙っていいと思うんだよね。


まあとにかく、監督がどういうコメントをするのか、ほんとに聞いてみたい。
パッチギ!』は、最近の日本映画としては、ぼくのなかでは「特上」というわけではないんだけど、日本アカデミー賞受賞作にはなるべきだったと思います。
あれだけの勇気のある、しかも質も高い仕事が認められないことが、当たり前みたいに流されてしまう世の中というのは、やはりぼくとしては、すごく嫌だ。