野党が選挙に負けた理由

前回書いたように、今回の選挙で小泉自民党がとった戦略は、「組織」や「団体」を媒介とせず、特に都市部の大衆にメディアをとおして直接働きかけていくような動員のやり方だったといえるだろう。
これは、「大きな政府」による再分配型の政治の終焉という意図と重なっていた。再分配による競争社会からの庇護を政治に求めるよりも、自由競争のための「機会の均等」を実現してくれそうな政治指導者に期待する人たちの心情に、アピールすることを狙ったのである。
今回、この方法は大いに功を奏した。


大衆に直接働きかけるという動員のやり方そのものは、ファシズムに通じるとの批判もあるが、今日の社会で選挙に勝つためには非常に有効な方法であると思う。
自民党はそれに成功したが、野党はできなかった。それだけのことで、これは戦略的な負けなのだ。
言い換えれば、本気で勝つことを誰も考えなかったから負けた、というだけの話だ。


今回の選挙では都市部の若い年代の有権者自民党に投票したといわれている。
それをさして、若者の右傾化とか、ファシズムへの傾斜といったことを、心配する論評があるが、選挙結果の分析としては、まったく意味のないものだと思う。


「改革」を支持したいという雰囲気は、いまにはじまったことではなく、もともとあっただろう。ただ、それがこれまでは投票行動に結びつかなかったのだ。そのネックになっていたのが、「団体」や「組織」という媒介の存在で、今回小泉は、その存在を取り除いてみせたわけだ。それをみて、多くの若者が投票の方針と、投票すること自体を決めた。
だから、今回の選挙結果が示している一番重大なことは、「若者が右傾化した」というようなことではなく、「投票に行かなかった層が投票に行った」ということなのだ。
それに成功したのが「小泉自民党」で、失敗したのが反自民勢力だった。それだけのことだ。


小泉は、「これまで投票に行かなかった層」にたくみに働きかけた。
その余地は、野党になかったか。あったはずだ。この層の人たちの多くは、働きかけ方次第では、具体的にいうと、全野党共闘による「反小泉改革」の戦線を構築できていれば、反自民の票を投じていた可能性はあった。なぜなら、この戦線の構築自体が、旧秩序の改革(小泉とは違ったやり方の)への意志を何より強力にアピールしただろうから。
このような努力をしなければ、とりあえず選挙には勝てない。また、小泉の言っていることに対抗する現状変革の可能性を、リアルに示すこともできない。
さらに、選挙に負けることは、別の悪い事柄を招きさえする。


民主党が前原・鳩山の体制になったのを見て、「やはり民主党などは駄目だ」という声が左翼の側から聞かれる。
民主党が大勢としては自民以上に右寄りで、「駄目」なことなんて、はじめから分かっているではないか。
今回民主党が右よりの体制を選択したのは、衆院選で負けたことによって、「これからは右派色をアピールしていかんと、自分らも次の選挙で危ない」と、多くの議員たちが思ったからだ。もし自民が負けていたら、彼らは自分たちの「右派色」をできるだけ隠そうとしただろう。
つまり、今回の選挙で自民党を勝たせたことが、民主党に右寄りの路線をとらせた原因である。いま「民主党に入れなくてよかった」と言っている護憲的な人たちは、自分たちの行動が民主党に「改憲推進体制」を作らせたのだということが分かってないのである。
だから、この選挙は勝たなければいけなかった。小選挙区制のもとでは、「駄目な」民主党に票を入れる以外なかったのだ。
議会選挙を戦うというのは、残念ながらそういうことである。


戦後の社会運動や政党の歴史を知っている人は、選挙で共産党社民党に投票するということが、どういうことか知っているだろう。
本当に「民衆の見方」「正義の党」と信じて、共産党社民党に投票している人は少ない。みんな、最悪の事態を避けるために、選挙のときだけ泣く泣く、普段はむしろ「敵」であるこれらの党に入れているのだ。
そうやってでも選挙を戦うほかないのが、いまの政治体制の現実なのだ。


「組織」や「団体」を守ることに固執して(いまどき、イデオロギー固執する人などは、むしろ希少価値だろう)、戦略的な決断ができない勢力は、「これまで投票に行かなかった層」の心と足を動かすことはできない。
あえて既存の自分たちの枠組み(組織、利益や理想)を放棄してでも、自民の路線を阻もうとする強い姿勢だけが、「小泉劇場」に対抗するアピールの方法となったはずだ。
自分たちの枠組みを守るという発想から抜け出して戦わなければ、「改革」を無理やりにでも進めようとする奴らには決して勝てないのだ。


今回の選挙で野党が負けた最大の理由は、自分の持っているもの全てを放り出しても、絶対に「改革」を阻止しようというような本気の人間が、野党には誰もいないと、多くの有権者が感じていたからだと思う。