NHKスペシャル・沖縄戦の番組

三日、土曜日の夜に放送されたNHKスペシャル沖縄戦についての番組(どうも、再放送のようだ)、ぼくは後半しか見られなかったのだが、すごい内容だった。


米軍が沖縄を占領した直後、日本軍はまだ山のなかに立てこもって戦っていたとき、沖縄北部のある村で日本軍による住民の虐殺事件が起こった。これは、生き残った住民の側の証言と、軍隊にいた側の人の証言とが両方残っている。軍隊のほうでは、この村が米軍に内通する「スパイ村」だと考え、その真偽を確かめることなく、ある日村を襲って女性や子どもまで殺した。証言によると、浜辺に何列かに住民を並ばせて、そこに手榴弾を投げ込んだりしたらしい。それ以外にも、家の柱に縛り付けられて短刀を何本も突き立てられていたり、ずいぶんむごい殺され方をした人たちがいたそうだ。
番組では、4歳のときにこの事件を体験し、親を失ったが、自分は命は助かった女性が登場する。この人には、やはり事件を生き残ったお兄さんがいるのだが、この女性に事件のことを詳しく語った直後(女性自身は、幼かったこともあり、くわしく覚えていないらしい)、精神の病気を発病して、いまも入院している。一方、この女性は、このときの記憶をずっと封印したまま、いまは大阪で暮らしている。
別に、この事件を体験した人が生きていて、いまは80何歳かのおばあさんなのだが、番組のスタッフがその人の体験談を聞いたところ、この人は浜辺に並ばされて手榴弾を投げつけられたとき、たまたま最前列にいて、その手榴弾をよけたために死なずにすんだらしいのだが、そのとき後ろにいて血だらけで泣き叫んでいた女の子が、どうも上記の女性らしいということが分かる。
それで、大阪で一人暮らしをしているその女性が、この80何歳かのおばあさんのところにたずねて行って、当時のことを話す場面が映っていた。驚いたのは、この女性は、それまでカメラの前でずっといわゆる「標準語」で話していて、このおばあさんと会ったときにも挨拶のときは標準語だったのだが、この体験のことを話しはじめた途端に、沖縄の言葉になったことだ。それだけでなく、その表情や仕草を見ていると、事件を体験した4歳のときの自分に、この人は戻っているのではないか、という感じがした。
ナレーションでアナウンサーの人が、「60年間、誰にも語れずに来たあのときの思いを、打ち明けられる人にはじめて出会ったのです」というような解説をしていたが、たしかにそうだったのだろう。
その時に、心の中にずっと押し込めていたその頃の幼い自分に、すーっと戻ったのではないかと思う。それほど完全に、押し込めて生きてきたのだ。
この対面の後で、この女性はその体験をした浜辺を訪れて、60年前にこの場所で死んだ親たちに向って、「このように元気で生きてますから、心配しないでください」というふうに叫ぶ。それは、本当に心の底から出された声に思えた。


いま、村全体の80パーセントが米軍基地になっている読谷村というところに住んでいるおばあさんがいて、その人は集団自決で家族(子どもなど、であると思う)を失ったのだが、毎日米軍の巨大なレーダー施設のすぐ横の畑で農作業をしている。
その場所で、あのとき死んだ家族の人たちに、今の豊かになった世の中を一目見せてやりたかった、と話す。毎日、食事をするときにも、そのことを思わない日はない、と言う。その言葉を、巨大な米軍の施設のすぐ横で何度も繰り返すのだ。


もう少し書こうと思っていたけど、ここまでで終わりにします。