谷崎・震災・ファシズム

最近あるところで、95年の阪神・淡路大震災と、その後の日本の社会の変化(広い意味の保守化・右傾化のようなこと)との関係について語られた文章を読んだ。
それで思い出したのだが、ヨーロッパでは第一次世界大戦による破局が人々の心に与えた傷が、ファシズムの台頭をもたらしたのだということが、ずっと言われてきたらしい。日本も同時期に、ファシズムを経て、軍国主義へとなだれ込んでいったが、日本は第一次大戦による破壊を経験したわけではない。それにあたる体験となったものが、関東大震災だったのではないか、という説を読んだことがある。つまり、近代的な「文明」が、一瞬にして崩壊してしまうのを目の当たりにしたときの、人間の無力感が、ファシズムへの集団的な「退行」をもたらしたのだ、という考え方である。
たしかに地震には、人の肉体を直接的に脅かす、特別な威力があると思う。大きな地震ほど、人間に根本的な無力感を感じさせ萎縮させるものは少ないだろう。


日本の文学作品で、関東大震災について書かれたものを、あまり知らない。実際の体験を記録したものというと、荷風の『断腸亭日乗』とかが有名だが、あれもそんなに詳しく書いてなかったと思う。たしか、地震の直前に青虫が大量発生したとか。
震災そのものを描いたわけではないが、震災の翌年に書かれた谷崎の代表作『痴人の愛』の一節が、上に書いたような、人を「退行」へと強いるような大地震によるカタストロフをもっともまざまざと描いた文章ではないか、とぼくは思う。
これは、ヒロインのナオミが、主人公と決定的にぶつかってとうとう家を出て行ってしまったときの、主人公の悲嘆を語ったくだりだ。

彼女の車(注 原文はにんべんに車)が行ってしまうと、私はどう云う積りだったか直ぐに懐中時計を出して、時間を見ました。ちょうど午後零時三十六分、・・・・ああそうか、さっき彼女が曙楼を出て来たのが十一時、それからあんな大喧嘩をしてあッという間に形勢が変り、今まで此処に立っていた彼女がもう居なくなってしまったんだ。その間が僅かに一時間と三十六分。・・・・人はしばしば(注 原文は漢字)、看護していた病人が最後の息を引き取る時とか、又は大地震に出っ会した時とかに、覚えず知らず時計を見る癖があるものですが、私がその時ふいと時計を出して見たのも大方それに似たような気持ちだったでしょう。大正某年十一月某日午後零時三十六分、―――自分はこの日のこの時刻に、遂にナオミと別れてしまった。自分と彼女との関係は、この時を以って或は終焉を告げるかも知れない。・・・・    (以上、20章の冒頭より)

「大地震」のことはたとえとして出てきてるだけだが、ぼくはこれは、谷崎が「震災体験」を書いた文章だと思う。つまり、「カタストロフ」の恐怖が人間の精神になにをもたらすかが書いてあるのが『痴人の愛』という小説で、この部分は、その核心部ではないかと思うのだ。作者自身に、そんな考えはなかったろうが。
周知のように、上の場面を境にして、主人公の性愛はナオミへの屈服と隷属へと一気に傾いていき、『己は絶対無条件で彼女の前に降伏する。彼女の云うところ、欲するところ、総べてに己は服従する』とまで考えるようになる。


一方、作者の谷崎は、震災を経験して関西に移住し、急速に「日本回帰」を深めていくことになる。これをどうとらえるかは別の問題だが、『痴人の愛』の作者が、カタストロフを体験した近代的な都市の住人たちの精神になにが生じるかを、冷徹に見すえていたことはたしかだと思う。
谷崎が、ジュネやセリーヌに比肩しうる20世紀の大作家だといえるのは、この深刻な政治的、また性的なテーマを、自分の身体の問題として保持していたからではないだろうか(谷崎の場合、それはおそらく「アメリカ化された自己」という屈折した、被植民地的なテーマと重なっており、彼の伝統への回帰も、実はこの「アメリカ化」という枠のなかにあるものとしてとらえるべきではないかと思うのだが。)。
谷崎潤一郎は、もっとも政治的な日本の文学者である。

痴人の愛 (新潮文庫)

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