山谷氏の発言について

山谷えり子氏「面会、慎重に」 在特会元幹部と写真撮影
http://www.asahi.com/articles/ASG9L3RRFG9LUTIL00L.html?iref=comtop_list_pol_n05




先日も、高市早苗総務大臣のネオナチ団体代表との写真撮影が問題になったばかりだが、その時と同様、ここでも当の山谷氏は、相手がどのような人物であるか知らなかったというような見え透いた言い訳をするだけで、説明や謝罪以上に肝心であるといえる、排外主義や差別、ナチズム(ファシズム)といったものについての価値判断を明確に語ろうとしない。
まるで、「差別反対」や「人権尊重」「外国人排斥反対」といった言葉は、日本の政治家(特に、自民党などの右派政党の)が決して口にしてはならない禁句であるかのようだ。
今の日本では、政治家は、つねに強権的な印象でなければならない。そうでなければ、強者の支配(ファシズム)を渇望する大衆の、静かだが狂熱的な支持を失ってしまう、ということだろう。


そして、今回、差別や人権侵害への反対という、本来とるべき態度を明言する代りに、国家公安委員長である山谷氏が示したものは、「暴力的な行為を煽(あお)る、心を煽るというようなヘイトスピーチは憂慮に堪えない状況と思っている」という、アウトラインである。
この表現からは、「ヘイトスピーチ」を排外主義や人種差別、人権侵害といった事柄から出来るだけ切り離し、暴力行為の扇動ばかりか、「心の扇動」という恣意的きわまりない領域にまで、統制の網を広げていくための道具として「活用」したいという、ファシズム化した公安権力の目論見を明瞭に見てとれる(もっとも、こうした政治家たちは、元々このようなヘイト団体と親密な関係にあるのだから、そうした団体に対する法規制を明言できるはずもないが)。
というより、それ以外に読み取りようがない。
それは、元来は人権擁護の為の方途であるヘイトスピーチ規制を、たとえば、政府や行政の政策に対するデモなどの抗議行動を「暴力の扇動」として取り締まるばかりか、そのような雰囲気を作り出したというような曖昧模糊とした理由によっても逮捕・起訴の対象にしようとする、共謀罪的な発想の法執行の為の道具へと変えてしまおうという目論見だ。


行われるべきは、人種差別や排外主義の明確な否定の表明であり、人種差別や排外主義に迎合・共鳴するような政治家、閣僚の排除である。
そして、ヘイトスピーチに対する反対を、差別と人権侵害に対する反対という、一人一人の民衆、市民のための理念の中に、明確につなぎとめておくということ、言いかえれば、それをファシズム化した国家権力の統制の道具にさせないということだ。