どこへ行くホリエモン

自民党の「刺客」として選挙に立候補したことで、「ホリエモン」の評判がすこぶる悪い。ニッポン放送買収騒動のときには支持した人たちも、今回はあまりの軽薄さ、金儲け主義ぶり(民営化後に、外資と組んで参入し荒稼ぎする狙いだ、と言われている)にそっぽを向いてしまったようだ。
このブログでも、以前から読んでる人は知ってるだろうが、「ホリエモン」の肩をずいぶんもってきただけに、小泉路線反対のぼくとしては、この話題には触れにくかった。


だが、どうもやはり「ホリエモン」という人を強く非難する気になれんのは、彼が同名の競走馬の馬主であるからだけではない。
言ってみれば、この人自身が競走馬みたいなもんである。金儲けのレースで激走すること、とにかくレースに勝ち続けることしか教えられてこなかった人であって、レースで勝ち続けたこと、なお勝とうとし続けていることは本人の罪ではない。たとえその結果が、世の中全体にとってひどく悪いことになろうともだ。
アインシュタインの研究は原爆の製造を可能にしたが、彼が物理学の天才だからといって責めても仕方がない。非難されるべきは、その才能を利用した奴らである。


32才にもなった男に、そんな甘い見方ができるかと言われても、物心ついてというか、世の中に出るようになってからひとつの価値観しか教わってこなかったのなら、精神構造としては中学生と変わらんだろう。
だからこれは、育てた厩務員、闇雲に鞭を当て続けてきた騎手、欲深な馬主、おだてあげた競馬新聞の記者、などの責任が大きいのであって、まあ馬券を買い続けて支えてきたファンまで悪いとは言わんが、「ホリエモン」だけを悪者にしてもはじまらんだろう、と思うのだ。


無論、今回の選挙は、彼にとっては自民党に恩を売れば目的を果たしたことになるわけで、当選すればそれなりに新しい挑戦の道が開け、落選しても別にかまわない、まことに軽佻浮薄な闘いではあろう。政治と民主主義への冒涜、ファシズムに手を貸す愚か者といわれても仕方ないかもしれん。
もし言われているように、民営化の利権に外資と組んで手を染めるようなら、まあ見方によっては「国賊」かもしれん。
しかし云わせてもらえば、「国賊」で上等だ。
ホリエモン」という競走馬、人工的な生き物を育てたのが日本の国と民主主義なら、彼はその軽佻浮薄さによって、その国家と民主主義の破壊を遂行しようとしているわけだ。この軽薄な怪物を育てたのは、日本という国そのものなのだ。これは、言ってみれば、「フランケンシュタインの怪物」の復讐みたいなもんだ。


この破壊そのものは、ほとんど不可避であるように見える。そして、国民の大半も、実は意識の底でそれを欲しているのではないか、とさえぼくには思える。
小泉改革は、「自民党をぶっ壊す」どころではなく、「日本国をぶっ壊す」。国民の多くは、それをひそかに念願しているのか。
来るべき破壊のなかから、再生してくるものはなんだろう。それは、目覚めたものたちによるかすかな希望の息吹だろうか、それともさらなる破壊をもたらす怪物の出現だろうか。
ホリエモン」が、そのときどんな姿で(といっても、体型のことではない)、われわれの前に立っているか、まだ予測はできないだろう。