『新編 天皇制国家の支配原理』

「新編」天皇制国家の支配原理

「新編」天皇制国家の支配原理

端的にいきましょう。「天皇制社会」とは何であるか。それは、各種・各レベルの集団における、それぞれの一体感が割れて個別性がその中から分出することへの恐怖の存在形式であり、そこから個別化して来ることを避け続ける社会集団であります。(p306)


この本は、おもに1950年代に書かれた文章を集めて、90年代の後半に出版された本である。上の引用文は、その出版時に書かれた、あとがきの一節だ。
本書で著者はまず、明治の「天皇制国家」の特質を、争いのない日常を最善とするような村落共同体の道徳と、絶対主義的な近代国家の論理の、奇妙な混合物として見出す(ここで近代国家が絶対主義的とされるのは、伊藤博文に代表されるような明治の国家主義者は、「立憲主義」の名目のもとに、実際には絶対主義的体制を確立することで近代化を目指したからである。明治の日本では立憲主義は、絶対主義的国家主義者の戦略に過ぎなかった)。
その形成に重大な役割を果たしたのは、教育勅語だった。教育勅語の意図は、近代的な法や命令によってではなく、あらゆる争いを超越した神秘的な絶対者(天皇)の名による共同体道徳への教化によって、国民統合を図ろうとするところにあった。

(前略)日本近代国家は、教育勅語によって道徳領域に国家を構築することによって、一方天皇において理性を超越した絶対性を形成しながら、他方自己を「郷党的社会」の日常道徳の中に原始化せしめるという特異な近代国家を生み出したのである。(p46)

前近代的な村や家の「道徳」によって根拠づけられ秩序づけられる、近代国家。
ここでは、近代国家及び市民社会の単位となるのは、欧米やその他の市民革命を経験した社会においてそうであるような「個人」ではなく、あくまで「共同体」なのである。
近代国家も立憲主義市民社会君主制も、ここでは独特な、そして制限的な内容を持つことになる。
後にこの社会に生じてくるファシズムの形態も、ナチス・ドイツを生み出した社会のそれとは異質なものである。

ここに天皇制国家のミクロコスモスの階層秩序として社会が形成され、かくして大小無数の天皇によって、生活秩序そのものが天皇制化されることになってゆく。(中略)いわゆる「各界中核精鋭分子」が形成され、それが頂点と底辺との連鎖媒介的通路を破って国家権力に直接把握されることとなり、ナチのごとくアトマイズされた個人を単位とするのでなくて共同体をレジメンテイションの単位とするファッシズムの天皇制的形態が成立するのである。(p52)

この特殊な国家は、体制の矛盾や危機を、小規模な対外戦争を繰り返して、「非常時」「臨時」を連発して求心力を高めることによって乗り越えてきた。「非常時」「臨時」は、日本国家の存続のための、ほとんど必須の、常套手段である。
なかでも(話は前後するが)、最大の転機は日露戦争だったと、著者は見る。日露戦争によって、「天皇制国家」は確立され、いわば次の段階に移行する。それが大正期の「天皇制社会」である。

日露戦後の、こうした変化が簡単に行われるようになった一つの要因は、日露戦争で初めて「民権否定」・「非国民の排除」(その最も名高い事件が幸徳事件ですが――)が現われたため、もう異質なものを統合する必要がなくなって了っていた、という事情があります。(p304)

端的にいきましょう。「天皇制社会」とは何であるか。それは、各種・各レベルの集団における、それぞれの一体感が割れて個別性がその中から分出することへの恐怖の存在形式であり、そこから個別化して来ることを避け続ける社会集団であります。(p306)

天皇制社会」が「天皇制国家」と違うのは、そこでは後者においては存在していた、外部や異質なものとの衝突・対立や緊張を喪失し、そうした現実に再び遭遇することを「避け続け」ようとする、内閉的でいわば退行的とも呼べるような心理に、社会全体が覆われてしまっていることである。
著者は、大正時代を特徴づける、この「天皇制社会」の再来を、戦後の日本、特に1990年代後半に見出していたようでもある。
ともかく、大正時代のこの「天皇制社会」から、日本独特の天皇ファシズムというものは生まれたのだ。


ところで、当時の日本と今とでは、無論状況は同じではない。
というのも、今日のファシズム化については、戦後急速に進んだ共同体の破壊、とりわけ新自由主義という強烈なアトム化の力のことを考えなければならないからだ。安倍政権による今日のファシズム化は、本書にも引かれているフランツ・ノイマンが言った「不安の制度化」という「ナチスのやり口」に学んでいる部分の大きいことは確かだろう。
だが、そのことは、われわれが内なる「天皇制社会」を、自ら脱却し得ているということを意味するのではない。むしろ、この「天皇制社会」の強固な残存が、ファシズム的政治の支配を独特な仕方で容易にしているということに、注意すべきなのだ。
天皇制社会」は、総力戦とその敗戦と戦後改革によっても、何ら克服されることなく、戦後の私たち日本人の心理を規定してきたというのが、著者、藤田省三の基本的な見方である。
1950年代に、彼は、天皇制に支配されて、個々人の内的規範に基づく(国民)国家と市民社会を作ることが出来なかった日本では、ドイツにおけるような「祖国」の観念が生じないままに戦後を迎えたことを批判して、次のように書いた。

しかし「祖国」の観念がないことの結果は、例えば占領軍の軍事基地化に対する反対闘争にも現われている。自己の又は自家の生活手段が直接脅かされている時と処では闘争はラディカルに行われても、その時間的・空間的範囲から外で生活している「国民」は、意外な程に無行為的であることは否めない事実である。かくて闘争は分散し、間ケツ的となる。圧倒的な大部分は、平穏な私的生活への傾斜面を常に辿っているのである。そこでは国家的関心すらもが、雑誌と新聞の享受という形で私生活の単なる素材となっている。そうしてこれを、かつての「国家主義」からの完全な断絶として安心することは、すくなくとも早計である。天皇制に内在的な欲望自然主義の傾向が外的な国家とのつながりを失っただけであるとさえ考えられるからである。(p193)

「祖国」の観念を持つことが、広範で持続的な抵抗の必須条件かどうか、僕には分からない。しかし、問題は、僕たちがいまだに天皇制が生み出す独特の内面性、つまり『欲望自然主義の傾向』といったものから脱却していないことの結果として、『平穏な私的生活への傾斜』という消費社会的内面を持ってしまっているのではないか、ということだ。
そうである限りは、天皇制国家とファシズムの今日的な復活への抵抗は不可能となる。
1980年には、藤田はこう書いた。

・・・・意識の表面のところで「教え」を律儀に受け容れながら、生活を決定する心理と知恵の部分では原則抜きの自然主義的エゴイズムとなる。これが、天皇制国家と対応しながらそれと次元を異にする天皇制社会の精神構造の核心なのだ。このアイマイさを打ち破って、多面的な知恵と感覚を土台にした重層的な決定能力をわれわれが身につけた時、その時に人民主権は確立する。(p231)

ここで示唆されている、ファシズムとその天皇制的形態に対する対抗の鍵は、主権者の決定の土台となる「多面的な知恵と感覚」ということである。「天皇制社会」は、われわれ人民がそうしたものを持つことを阻むことによって、日常の「自然主義的エゴイズム」つまり『欲望自然主義』のなかにわれわれを閉じ込めて無力化(脱政治化)し、それによってファシズムの進行をも容易にするのだと、言えるだろう。
破壊され、縮減されていく、人民としての生活の「知恵と感覚」の部分を、この「天皇制社会」によって後押しされたファシズム化から、守り、むしろ奪回していくということ。
われわれが抵抗し、進むべき道は、この方向にしかないのであろう。天皇制や消費社会や新自由主義ファシズムによる、剥奪と破壊に抵抗して、真に守るべきものを、今こそ生活のなかに見出し、作り出していくこと。その土台の上にしか、巨大な力への抵抗は成り立たないだろう。

けれども、単なる攻撃はやせ細った絶望的精神からでも行えるが、何ものかへの抵抗は、自己の持てるものについての確信なしには行えない、ということは、何よりもファシズムの歴史がもっとも良く教えているところなのである。(p195)