羽仁五郎対談集から




以前に、『羽仁五郎対談 現代とはなにか』(1969年 日本評論社)という本の中から、羽仁と花田清輝との対談の内容を紹介し、それ以外の部分は別に紹介すると書いて、そのままになっていた。
そのまま書かないでもいいかと思ってたのだが、どうも気になるので、羽仁のその他の発言を簡単に抜粋しておきたい。


まず、当時は全共闘運動の最中で、羽仁は「自治」ということを重視する(それ自体は全共闘の理念と反するのだろうが)戦前からの彼の一貫した立場から、この学生たちの運動を、無条件的と言っていいほどに支持したようだ。
羽仁は、戦後民主主義や戦後日本のナショナルな運動に対して、明確に批判的だったと思う。
羽仁のいう「自治」は、国家や独占資本の支配に対決するものであって、彼の発言のなかでは、いわゆる「地方自治」とか「コミュニティ」とか「公共性」とかいった国家支配(人民抑圧)のためのエセ概念の欺瞞が繰り返し断罪されていたことは重要だ。
羽仁における「自治」の単位は、基本的には都市であって、日本という国には本来的な意味での都市が存在しないことが問題であると羽仁は考えていた。農村(大衆)の自立を重視した柳田国男に親近感をもっていた花田清輝の考え方とは、力点が違うのである。
羽仁五郎論のようになってもつまらないので、先を急ぐ。


鶴見俊輔との対談「八月十五日に君はなにをしていたか」(1968年)は、たいへん有名なものらしいので、ここでは詳述しない。
ただ、その最後の羽仁の言葉は、(おそらく鶴見の編集の妙があるのだろうが)印象深いものなので、書き写しておく。

一九四五年八月十五日、日本の敗戦の日に日本の革命の機会があったのだ。この機会をのがしたのだから、あとはつぎの機会をつかむしかない。・・・八月十五日が戦後のすべてであり、戦後のすべてがそこで決定されたんだ。あとは、つぎの八月十五日がいつくるかだ。(p335)

日本が戦後においても、まったく革命や近代化を達成していないという認識は、この本の別の個所でも述べられている。たとえば、次のような文章は明快だ。

一九一一年共和制革命を実行した中国は、いまだに君主制の下に共和制の主張さえ大きな声ではいえない日本よりも、はるかに近代先進国家であった。(中略)この日本の近代化よりも本質的にははるかに先進的であった中国の近代化は、日本をふくむ国際帝国主義の支配のために外見的にも、本質的にももっぱら圧迫され破壊されつづけてきたのであった。(p182〜183)


また、戦後の羽仁の思想は、アウシュビッツを訪れたことが決定的な転機になったようだ。独占資本の支配(ファシズム)との対決という基本姿勢は戦前から変わらないのだが、第二次大戦を経たことで、その認識はさらに深まったのだと思う。
針生一郎らとの討論(1969年)での次のような発言は、日本社会とファシズムとの親和性を指摘したものとして、きわめて印象深い。

母親というものが敵だということですね。それで母親のすぐ後には天皇陛下がいるわけなんですよ。これはみな自然の方へつながっていっちゃっている。(中略)自然と慣れ合ってきた人間というものは、どうしてもアウシュビッツにいくよ。人間は生まれつきは残酷なものだからね。(p91〜93)


そして、当時の政治状況は、いわゆる七十年安保と佐藤三選という、羽仁から見れば戦後ファシズム体制確立の瀬戸際にあったということは、以下のような発言から知られるのである。
これらの言葉を、いまどう読むか。僕には、付け加えて書けることはない。

それ(社共共闘による自民党政権への対抗)をせずに政治的退廃が進行し、七〇年安保が延長された場合、現在の日本にはない、秘密保護法が出てくる。しかも、もっとも注意すべきことは、この保護法に違反した人間の裁判が非公開になり、ひいては裁判全体が秘密になってしまうことです。(p372)

そこで佐藤総裁が三選されると、日本の主体的条件が非常に弱くなってくる。つまり、極東はふくらんでくるし、核基地にしてもいまのようにあいまいなままにしておくことはできないだろう。そうなれば、お話のような日中関係の改善はまったくお手上げになってしまう。(p438)

いやいまの佐藤主流のような考えで選挙をやると、だんだん票が減る。そのとき主流派はなにを考えるかというと、それを最後の選挙にするということだ。(中略)もう選挙をやらないという恐れがある。(p450)

(七〇年闘争とそれ以後の展望について聞かれて)ぼくはそんなものはありえないと思いますよ。八月一五日、ぼくは牢屋に入っていたが、革命はあの日にやれたんですよ。(中略)その時やらなきゃ、いくら努力してもできないね。(中略)だからぼくは、七〇年にやるべきことをやりゃいいんで、そのあとは、負けたらもうね、展望もくそもないよ。ぼくは、学生だってね、今度負けたら、ひどいことになる。そりゃ覚悟している。最後はもう孤立して闘って、みごと、弁慶の立往生をやる、ね。こうしたら、みんなも考えてくれる、ということなんだな。(p460)