差別と怒り

時期遅れの言及となり恐縮だが、ときどき見せてもらっている「旗旗」さんの記事の中に、たいへん優れたものがあるのを発見した。

http://hatahata.mods.jp/archives/2005/03/post_161.html

他人から「在日」に間違えられたときの自分の感情の動きに対する内省から、差別とは何か、差別者であることとは、という事柄を論じておられるものである。
その考えに、ぼくは共感するところがたいへん多い。文章の後半に書かれている、体験から来る気持ちの深まりの部分は、ぼくにはまだはっきりとは分からないが、差別者とは何かという規定、差別者には「自覚的な差別者」と「傍観的な差別者」がある、という話は、まったくその通りであると思う。

差別する側は多数派です。しかもその半数は自分が差別者だとさえ気がついていない。この多数派に反するのはとても勇気のいることです。しかし、他人がした差別に沈黙し、適当に同調することは、自分が差別をすることと何ら変わりがありません。差別を認めないという明確な意思を表し行動や発言をすることが大切なのです。ただしそれは、自分が今までの差別者の側というぬくぬくとした多数派から、被差別者という冷たい風にさらされる少数派になることも覚悟しなくてはなりません。


その通りだとしか、言いようがない。
差別的な発言をした人が自分と親しければ、そうでない場合とは別の意味で、それに対して「怒り」を表明するということは、本当に難しい。しかし、それをしないで沈黙するということは、やはり自分が「差別者」の側に立っているということだと思う。
この文の最初のところに、部落の出身者に間違われて怒るお坊さんの話が出てくる。ぼくはこれは、怒ること自体は間違いではないと思うのだ。なぜなら、こういう噂話をした人というのは、差別的な気持ちで言っているわけで、そういう噂話をするという行為自体に対して憤る、ということは正しいことだからだ。
でも、このお坊さんは、そういう意味でなく、「自分は部落出身者(なんか)じゃない」という趣旨で怒った。だからそれは、悲しく恥ずかしいことだということだ。
そうであろうが、ぼくには、そもそもこの「怒る」ということ、「憤る」ということ自体が難しい。


ぼくも一度、「在日」(在日朝鮮人)に間違われたことがある。それは、以前そういう噂があったということを、人づてに聞いたのである。このことは、ぼくに関して否定的な評価があったという話の文脈のなかで聞いたことだ。だから、この噂にネガティブなニュアンスが込められていたことは確かだと思う。
それを聞いたときに自分がどう感じたかというと、一面では嬉しいような照れくさいような感情もあった。しかし、そう思えるのは所詮、「在日」に間違われても、自分には実害がない(本当はそうではないんだから)からに過ぎない。自分が差別者か、差別者でないか、ということとは、まったく無縁な話であろう。
差別と戦うかどうかということ、いやそこまで行かなくても差別の構造の外側に立てるかどうかというのは、そんな心理的な問題ではない。
それで思い出したが、ぼくは欧米の人によく、韓国人や「在日」と間違われる。これは、日本社会に馴染んでいないような雰囲気がどこかにあるからかも知れない。また、初対面の韓国の人に、「あなたは日本人にも韓国人にも見えない」と言われた。「どこの人に見えるのか」ときくと、「アジアの南の方の国の人みたいだ」という答えだったが、具体的にどこなんだろう?
話が脱線したが、要するに日本人以外に見られるということは、戸惑いもある反面、解放感とか優越感のようなものが感じられて嬉しいものだが、繰り返すがそれは、間違われても自分には実害がないという、安定した特権的な場所に自分が居るからであって、自分が「差別者」の側に居るという現実の免罪符になってくれるようなものではないのである。
実際に差別される立場に居る人が、そのように言われたときには、そんな感情を楽しんでいる余裕があるはずはないのだ。
それに、この微妙な嬉しさや照れくささという感情が、やはりそれ自体「差別」的なものであることも確かである。「在日」を自分とは違う存在として、それも対等な人間同士として違いを認め合うというようなことではなく、自分が心理的な解放感や自己満足を得るための「対象」と見なしている部分があるから、そういう感情が湧くのだろう。


いずれにせよ、自分に悪い噂が立っているという話の流れのなかで、ぼくが「在日」ではないかと思われていたらしいという話を聞いたときに、そういうことが「悪い噂」として流通するという現実がいまだにあるということに、なんともいえない不快な気持ちになった。この感覚は、ちょっとたとえがたい独特なものだった。
この不快さは、自分がその場で、そのことを自分に告げてくれた人に、そのことの非を述べて怒りを表明できないことによって、強まった。この人自身は、おそらくそういう噂を語っていた当人ではないだろうが、それを黙認していたということは、やはり「傍観者的な差別者」であるということだ。この図式は、このときのぼくにも、そのまま当てはまるのである。
自分が差別の構造の外側に立とうとするなら、その話を聞いた瞬間に、倫理的な不快さを「怒り」として表明するしかなかった。その表明が、論理的であればなおさらよい。
しかし、自分はそうはしないで曖昧に笑っていただけで、「嬉しさ」や「照れくささ」という感情によって自分の「不快さ」をごまかしていたのである。そのことによって、比較的身近な人との穏便で日常的な関係を維持しようとした。


「旗旗」さんの文章の最後のところに、

そして怒る時には若者のようにとんがって、かつ怒ることはあっても憎むことはなく

ありたい、とあるが、この前者と後者は重なっているのだろう。つまり、怒るべきときに「とんがって」怒ることこそが、怒りが憎しみに転化することを防ぐのだと思う。
このことを、ぼくは肝に銘じたい。



それから、この記事からリンクの貼られている「成城トランスカレッジ!」さんの、下記のエントリーにおける差別の考察も、たいへん優れたものであると思った。ここでは詳述しませんが、まだ読まれてない方は、あわせてご一読ください。

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20050319


最後に、「旗旗」さんの記事について、もうひと言。
ここでとりあげられている『紳士協定』というアメリカ映画。47年製作のエリア・カザン監督による作品だが、ぼくもたいへん印象深かった映画だ。記事のなかで詳しく書かれているように、アメリカ社会の根深いユダヤ人差別をテーマにした作品で、「紳士協定」というのは、明文化されていない暗黙のユダヤ人に対する就職差別の取り決めのことであったと思う。レッド・パージ以前のハリウッドだから作れた作品かもしれない。
同時期にジョゼフ・ロージーが撮った『緑色の髪の少年』と並んで、ぼくが是非お勧めしたいアメリカの社会派映画の秀作である。
この短い時代のアメリカの社会の雰囲気が、日本国憲法の草案作りにも影響している可能性は、考慮すべきかもしれない。