国家の論理と日本の平和主義

12日付けの「安全と平和主義」と題したエントリーに、トラックバックをいただきました。

http://sun.ap.teacup.com/sasa_an/39.html

憲法9条の「戦争放棄」の思想についての、ぼくの解釈への違和感を述べられた後、

 現憲法は、そのよりどころが国家や社会ではなく個人にあって、戦争放棄の思想は、もっと対等な人間関係を念頭においているように思います。

 どの国に生きる人であっても、一人一人が自分の生を全うする権利において平等であり、自分の生命や安全と同程度に他国の人々の生命や安全も大切なのだから、お互いの生命や安全を脅かすような外交手段を政府にとらせない。ということが、戦争の放棄で言わんとしていることではないかと思うのです。


と、続けておられます。
なるほどと思いました。現在の憲法に関し、また特に9条の条文に関して、深く考えてこられた方であろうと思います。ぼくは、これまであまり深く考えてこなかったので、恥ずかしく思うと同時に、こういう方にもこのブログを読んでもらっていて、こうしてトラックバックを送ってきてくださるということに、身の引き締まる思いです。
そのうえで、前回の自分のエントリーでは、たいへん説明の不足した性急な面があったことを反省し、自分なりの現在の憲法に対する、あるいは憲法論議に対する違和感を、もう少し詳しく述べてみたいと思います。

平和憲法の現実上の役割

実際、上に引用した文章で述べられている、9条が自他の生命や安全の尊さの平等という個々人の人間関係における理念を念頭においていて、その立場から主権者である個々人が自己の所属する国家に対していわば「縛り」を加える、そのようなものであるとする解釈は、この条文の理念の崇高さと普遍性を最大限に語っているものだと思います。
この理念を近隣の国々をはじめ世界中に広めていくことには、普遍的な価値があるといえるかもしれない。
この憲法が、さまざまな問題点を持ちながらも、人間の歴史の中で積み上げられてきた平和のための理念と法的な仕組みの、ある到達点を示すものである可能性は、ぼくも否定しません。
ただ実際に、この憲法、特に9条の条文を持ったということが、戦後の日本という国のあり方にどのような意味を持ったか。それを考えると、「この憲法の理念はわれわれのものであったことはない」といわざるをえない気がするのです。
これは11日の記事でも書いたかと思うのですが、たしかに憲法9条は、日本という国家が軍事化に再び走らないための一定の歯止めとして働いた。特に周辺諸国から見た場合、それは日本が過去の過ちを繰り返さないことの公的・法的な保証であると写ったはずだし、国際社会全体から見ても第二次大戦以後の国際秩序を日本が尊重することの証であると受け止められたでしょう。
でも、この憲法を持った日本は、冷戦下でアメリカの同盟国となり、日米安保条約を結び、アメリカのアジアにおける戦争や支配の協力者であり続けたわけです。つまり、自分は確かに「手を汚していない」けれども、実態はアメリカ(ソ連や中国でも同じでしょうが)の協力者であり、そうであることによって繁栄と安定(安全)を得てきた。
この経緯のなかで見ると、日本が9条を持ったことは、アメリカの(戦争を含んだ)国際戦略に適合するための方策であって、日本の「平和主義」は現実には実利的なものであった。


これは、「国家」の次元で見た場合にそう言えるということですが、ぼくが気になるのは、この「国家」の論理を、僕たち日本の市民個々人が本当に越えられているか、というところなんです。
つまり、平和憲法下で育まれてきた日本のぼくたちの平和主義というのは、結局国家に都合のいい思想なのではないか。

危険を覚悟する絶対的平和主義

上記の「ブログの些些庵」さんのご意見は、もちろん、9条を積極的に評価するために、あえて「個人」の関係に根ざした思想として、この条文を読もうとしておられる。
それは、たいへん優れた、また有効な解釈であろうと思います。そのように読まなければ、おっしゃられるように、「平和憲法」の存続を広く主張することは難しいのかもしれません。
でも現実には、ぼくはこう考えるのですが、日本がこの条文を維持してこれたのは、結局日米安保アメリカの軍事力があったからではないか。もしそれがなく、なおかつこの条文を維持しようとしたなら、日本は「繁栄」と「安定(安全)」のかなりの部分を、断念しなければならなかったのではないか。
それはさらに、少なからぬ「生命」を断念することにもつながったのではないか。
だとすると、アメリカの軍事力という後ろ盾によってこの憲法を維持してきたわれわれに、他の国々、特に小さな国々に対して「平和憲法」の理念を、「広める」資格があるのかどうか。
いや、「資格」などなくてもいいんですが、ともかく「平和憲法」というものが、現実の社会のなかでは、他国の強力な軍事力を当てにするのでない限りは、多くの「危険」の受容を伴うものだという事実を認識し覚悟した上でなくては、これを本当に自分たちの憲法として「選ぶ」ということはできないのではないか。また、したがって、こうした憲法を他の国に薦めるにも、あまりにも説得力を欠いてしまうことになるのではないか。
そのように思うのです。


何より、そういうところに立った上での「平和憲法支持」でなかったら、それは改憲派の「安全の思想」に裏打ちされた国益論に負けてしまう。つまり、国家の論理には抵抗できない。
今の憲法9条を変えようという主張の有力なものは、このような条文は国防が必要な現実に即さないから変えろ、ということだと思います。それは、他の国から攻撃されたときに、今の憲法では十分な自衛行動ができず、多くの人命や財産が危険にさらされてしまうという、人々の「安全」(セキュリティー)に対する危機感に訴えるものです。今の社会では、これがたいへん説得力のあるものとして受取られている。
これは、自分たちの安全や安定のために武力を行使することは当然であるいう考えに基づいているわけですが、この考えは実は戦後の日本をずっと支配してきた「平和憲法」下の思想と同質のものだと思うわけです。
平和憲法を支持する思想が、この枠のなかに留まる限り、状況の変化やセキュリティーの意識の高まりに応じて、「現状に即さなくなったから、武力を行使しやすいように憲法を変えろ」という主張には、結局対抗できないのではないか。
なぜこの改憲の主張が正しくないのかと説明するときに、「自衛のためであっても、武力の行使は絶対に駄目なのだ」ということを言うことでしか対抗できない。つまり、「危険」の受容を覚悟した絶対的な平和主義でないと、改憲の主張の方が「より現実的だ」というふうに受取られてしまう。


「危険」の受容を覚悟しない「平和主義」、それは結局、自己の安定と安全を至上のものとする思考であって、「自衛のために武力を用いることは当然だ」という考え、あるいは「アメリカの言うことに逆らったら日本はやっていけない」という国益主義的な主張、昔で言うと、日中戦争の正当化の根拠になった「生命線論」のようなものに対抗できない。
本当の「平和主義」というものは、本当は、それを否定し乗り越える思想であるべきで、
「自分たちの安全や生命が大きな危険にさらされることになっても、武力は決して使わない」という立場のことではないか。

平和憲法を「選んだ」人たちの体験と思考

ぼくは、戦争に負けた直後の日本の多くの人たちというのは、アメリカからあの憲法を提示されたときに、一度はその道を選択しようとしたんじゃないか、と思います。
でも、結局最終的にはそのようにならなかった。
日本の人たちが終戦時にその道を選ぼうとしたというのは、それは日清戦争日露戦争だけでなくて、中日戦争や太平洋戦争も、結局は「自分たちが支配され死なないための戦争」という意味で、「自衛のための戦争」だった。少なくとも、国民の多くの主観としてはそうだっただろう、と思うからです。これは、植民地支配についても、同様にいえる。
「侵略や支配をしなければ、自分たち自身が列強の植民地になってしまう。だから、この行為は正当なのだ」という思想が、つねに日本の軍事的拡張を支えた。
「自衛のためには実力行使はやむをえない」という言い分を認めたら、最後はすべてを認めてしまうことになる。だから、自分たちの利益や安全を守ることよりも、武力を使わないことの方を優先させる制度の枠組みを作らないと、必ず同じ過ちを繰り返すことになる。
その実感が、終戦時の人たちにはあったのではないか。
憲法の平和主義が、本当に国民自身によって選ばれた思想だといえるとすれば、それはこの意味においてだけだろう、と思います。


先ほども書いたように、「自分たちの安全や生命を守るためには、武力を使うことはやむをえない」という発想が、現在の日本の社会の「安全の思想」というものにもつながっているのではないか、と思うのです。つまり、「安全の思想」というのは、結局「国家の論理」ではないのか。国家というのは、ものすごく根深いものなんですね。
終戦時の人たちは、それを否定しようとした。自分たちの安全を守ることを最優先にしてはいけない、それが危険にさらされようとも武力は使ってはいけないということを国に分からせなければ、戦争が繰り返されることは防げないという切実な思いを、アメリカが提示してきた憲法の条文に重ねようとした。
ぼくは、そういうふうに想像します。


この「絶対平和主義」のような思想は、戦後憲法で突然入ってきたものではなくて、明治時代の日本に、すでにそういう弱肉強食の国際社会のなかで、そうした「危険を受容する平和のあり方」に対する真剣な思想的な模索というものはあったわけです。
それは、「自分たちの安全や安定を守るためには仕方がないのだ」といって、戦争を国民に支持させてきた国家の論理の、外側になんとかして出ようとした模索だったと思います。こうした試みが、戦後の日本の平和主義においては、どれだけなされてきたか。終戦直後には、一瞬それが広く共有されるかに見えたけれど、たちまちしぼんでしまった。
ぼくたち自身が、いまそういう場所に立って憲法を考えるのでなかったら、この「自分たちの安全や安定を優先する平和主義」は、結局国家の論理に呑み込まれ、場合に応じて戦争遂行の思想に変わってしまうのではないかと思います。