グローバル化と日本 ほんとに雑感

バイトの合間に読み始めたところなんだけど、中公新書から出たロナルド・ドーア著『働くということ』。

実に面白い。
「はじめに」のところに、こういうふうに書いてある。

戦前、グローバルな帝国秩序を築くことを夢見た日本は、その帝国の崩壊で六〇〇万人を超える引揚者を迎え、米軍基地での雇用をありがたく思わざるを得ませんでした。進駐軍を通じてだけ世界と関係を保った孤立経済の国だったのです。一度グローバル化に失敗した日本が今、アメリカに、ヨーロッパに、そして中国にと、工場ばかりか、研究開発部門まで移転するようになり、国内産業の空洞化を心配するまでになりました。


グローバル化というと、最近のことしか思い浮かばず、しかもそれによる被害者としての日本、という意識しかないのが普通だろう。
だが、特にアジアにおいて、ここ百数十年間、グローバル化を推進してきた張本人は、実は日本だった。現在でも、日本の企業や工場がどんどん中国などに進出しているわけだ。
そういう「グローバル化の主体」としての自己意識は、日本社会ではあまり語られない。逆に、「グローバル化の脅威」という言葉から、日本で思い浮かべられるのは、欧米系のいわゆる「外資」というものもあるが、やはり「中国」の存在だろう。
つまり、中国やアジアに対して、われわれがいかに脅威でありうるかは意識されず、われわれがいかに脅威にさらされているかばかりが、問題にされる。


この精神構造は、アメリカ社会のそれによく似ているようだ。
冷泉彰彦氏が以前書いていたところによると、ブッシュ政権誕生の大きな基盤となったのは、比較的貧しい層のアメリカの白人たちが、自分たちをクリントン政権が進めたグローバル化政策の「犠牲者」と認識したことにあったそうだ。
つまり、自分たちをグローバル化という「外部」による被害者としてのみ意識し、自分たちが世界に何をもたらしているか、どのように写っているかを考えない。
イスラエルもそうだが、こういうところは日米両国の社会は本当に似ていると思う。やはり、近代史の成り立ちということが関係しているのか。


上のドーアの文章は、他のことも色々考えさせてくれる。
終戦後、特に朝鮮戦争後までの時期の日本経済と米軍基地との関係は、以前書いた武田泰淳の小説『風媒花』にも書かれていたことだが、もうひとつ。
1945年の敗戦で生じた大量の引揚者の帰還が、日本の社会にもたらした影響については、道場親信氏の論考を通じて、若干の知識があった。
しかし、これは現在につながっている、非常にスパンの長い問題であるらしい。
上記の文のすぐ前には、終戦後の時期と現在との日本社会の変容について、こう書かれている。

どうやって農村の次男三男に家族を養えるような職業を見付けるか、ではなく、フリーターは哀れむべき存在なのか、それとも家族を養うことなど毛頭考えない、無責任なパラサイト・シングルなのかという議論が週刊誌を賑わす国となりました。


そもそも、満州などへの大量の植民は、窮乏していた「農村の次男三男」に生活の手段を与える目的で行われた部分が大きい。これももちろん、日本を有力な主体としたグローバル化、近代化の動きというものが背景にある。敗戦によって、その人たちが日本に戻ってくると、同じ問題が再び生じてくる。高度成長のなかで、このことは表面上解決されたかに見えたが、そうでないことは、今でも野宿生活者の多くが「農村の次男三男」であるという現実を見れば明らかだ。そして、この人たちのなかに、いま「フリーター」や「ニート」と呼ばれてきた若者たちが、現実に混ざりはじめている。
そういう長いスパンで見ないと、色々と見えてこないものがあると思う。とりわけ、自分たちの置かれている状況を「外」から見る視点をえるためには、そうした操作は不可欠であろう。