『在日朝鮮人ってどんなひと?』(徐京植 平凡社)

在日朝鮮人ってどんなひと? (中学生の質問箱)

在日朝鮮人ってどんなひと? (中学生の質問箱)


僕自身、在日朝鮮人と個人的に知り合いになり、その人たちをめぐる問題に深く関心を持つようになってもう13年ほどになるのだが、この本を読んでみて、まだまだよく理解していないことばかりだと痛感した。
「よく理解していない」という理由のひとつには、それについて本当に「理解する」ことを拒みたいという気持ちが、心のどこかにあるのかも知れない。在日朝鮮人が置かれてきた状況の不正義について「理解する」ことは、とりもなおさず自分自身がその中に置かれつつ、同時に構成してもいるこの社会の不正義を見つめることでもあるからである。

在日朝鮮人は突然国籍を失いましたが、それにともなって、さまざまな権利を失いました。それは、日本政府が生活権や居住権など基本的人権にかかわることにまで「日本国籍をもつものに限る」という制限(国籍条項)を課したからです。(p132)


日本という国では、日本国籍の有無による制限が、基本的人権よりも上位に置かれてしまっている。人権というものがそれだけ低く、国家の論理よりも明白に下位に位置づけられているような社会に、僕たちは暮らしているわけであり、このことは全ての人間に対する侮蔑なのである。


また本書を読んで、在日朝鮮人の現在のような立場を生じさせた戦前からの植民地主義の継続が、入管制度など今日の国籍や外国人に対する日本の政策全般と深く結びついていることを、はじめて自覚した。

現在の帰化という制度は、日本国籍を取得しようとする人をなるべく日本人らしくするよう追い込んでいく制度、日本は日本人らしい人だけで形成される単一民族社会として維持するための制度でもあるといえます。かつて差別的多民族国家だった日本が差別的でない多民族国家を目指すのではなく、単一民族国家として国を運営しようとするから、かつて自分たちが引き入れた他民族の人たちを追い出すか、でなければその人たちの民族的な歴史、文化、特徴をどんどん消させ、否定することになってしまうのです。(p165)


戦前の「差別的な多民族国家」から、戦後の「単一民族国家」へという、根本的に植民地主義的な不動の枠組みから、僕らの国が抜け出ることを拒んできたことが、今の社会の歪みや理不尽さ、人間性への暴力の根底にあると言えるのではないだろうか。
最も恐ろしいのは、国家に起因するこの「追放」や「抹消」への衝動を、揺らぎつつある国家にしがみつこうとする強迫から、僕ら自身が内面化してしまうということであろう。今はまさに、その事態が現実のものになってきている。

冷静に考えてみれば、若い世代を脅かしているのはアジアの被害者たちではなく、侵略戦争や植民地支配をしておきながらきちんと後始末しないままに居直っている上の世代なのですが、そのことを認識することが難しいようです。
 このとき、直接の当事者である世代が自分たちの過去の行為を率直に認めて、「申しわけないが、自分たちの世代が残したマイナスの遺産がここにある。それをいっしょに担ってほしい」と若い世代に頼むことがこの問題の唯一の解決法です。しかし、上の世代は若者たちに歴史の真実を教えず、その結果彼らが抱いた「身に覚えのない非難」という感情をいいことに、むしろその感情を利用して自分たちの正当化をはかっていると私は見ています。(p230)

韓国が要求するから、中国が要求するから、というのではなく、日本が自ら過去に向き合うことが必要なのです。このことなしには、何世代たっても、日本人と朝鮮人のほんとうの和解はできないでしょう。それどころか、世代がたてばたつほど問題の原因や経緯が忘れられ、ただ対立感情だけが残りつづけて、和解のチャンスが失われていくでしょう。若い世代の人たちに、そんな時代を残したくないと私は思います。(p244)


『自ら過去に向き合う』という態度の放棄、これがこの自分たちの国から僕たち個々が受け取った、あるいは刻印された最大の負の継承物であり、他者との和解をなしえないようにするために体内に埋めこまれた統治のための装置のようなものではあるまいか。
本書の中でぼくが最も重苦しい衝撃を受けた箇所に、ここで言及しておかなくてはならない。


加藤敦美さんという方が、旧満州の南端の安東という所(鴨緑江を隔てた朝鮮の対岸)で過ごした小学校時代の、教室での体験を回想した文章が引用されている。
それは日本人の教師による、朝鮮人生徒への壮絶な差別と暴力の話であり、そのことを通して、加藤さんは当時の日本人にとって朝鮮人がどのような存在であったかを語り、そして『あやまれ!天皇はあやまれ!日本人はあやまれ!』と、振り絞るような言葉を書き付けておられるということである。
著者は、それについて次のように書いている。

ここに描かれているような場面は決して極端な例外ではありませんでした。その世代の朝鮮人には、こうした虐待を受けた思い出を語る人はめずらしくありません。しかし、それを語る日本人は奇妙なほど少数です。いじめられた側は忘れませんが、いじめた側は、加藤さんのような人を別とすれば、何もなかったかのように口をつぐんでいるのです。
 敗戦後の日本では、民主主義の理念が掲げられるようになり、民族の優劣にもとづく暴力的であからさまな差別はいけないというたてまえになりました。ですから、自分は差別をするぞと進んで明言する人は、むかしよりは少なくなりました。しかし、心の底から反省したのか、そして実際に差別はなくなったのかというと、残念ながらそれは疑問です。そもそも加藤さんが語ってくれたような記憶を隠していては、ほんとうに反省することなどできないでしょう。(p38〜39)


暴力や差別を加えた側が、その体験・記憶を語ることは稀である。ここに、この社会の歪みの核心があるのだと思う。
ぼく自身、自分が過去に行なった暴力的な行為について、自分から積極的に語ったことはない。
自分自身の過去の行為と向き合わないことで、その行為の底にある体質、それは社会によって刻印された何かであるはずだが、その社会の力(暴力)は対象化されず、いつまでも自分はそのなかに囚われたままである。それは、その力を通してしか、世界や他人と関わったり考えたり出来ないということである。
自分がそれをしないで来ているので、誰か(国や企業)の「沈黙」「隠蔽」に対しても、その怒りは、加藤さんのようには真実のものでないのだと思う。それが、その者たちを利している。
そして、この社会では、記憶を語ることの重みは、常に被害を受けた側の人が担うことになる。暴力を振るった側は、自分がその事実を語らないことによって、被害を受けた人に重荷を押し付けるという二度目の暴力を行使しているのである。
それらの人たち(被害者)が重荷に抗してようやく口を開いた時に加えられる周囲からの攻撃に対して、ぼくのような人間が鈍感なのは、自分自身が記憶を語るということの苦しさを経験していないからでもあるだろう。
この社会が、今よりも正義の光に照らされて、みんなが住みやすい世の中になるという事は、自分自身の暴力を照らし出す内側からの光なしでは、決して実現しえないのだ。