若年雇用問題のTBへの感想

ぼくと同年齢であるというテルセキさんから、憲法についてと、若年無業者の問題についてと、二件、優れた記事のトラックバックをいただいた。

http://answerplus.cocolog-nifty.com/freespace/2005/05/2_5d49.html

http://answerplus.cocolog-nifty.com/freespace/2005/05/post_c20e.html

ぼくの文章とは違って、本当に内容のある記事である。こういう記事を送ってもらうと、ここに駄文を書いたことも意味があったのかも、と嬉しさを感じる。サイトを拝見したところ、ぼくのブログを「注目ブログ」としてリンクしてくださっているようだが、もったいない限りだ。
どちらの記事も、もちろん直接読んでいただきたいのだが、特に、労働の問題についての文章は、たいへん考えさせられる内容だったので、ここで簡単に感想をメモしておきたい。


まず、

いわゆるニート人口は85万人いると言われていますが、まずその存在自体が、失業者でもなく、フリーターでもないことから、危機感をもっている人たちの目にこれまで留まっていませんでした。それどころか、求職活動を行わないニートが増えたおかけで、(求職活動を行う)失業者の率が減り、雇用環境が改善に向かっているという錯覚さえもたらしていたのです。

このことは、言われてみて、はじめてそうだったと思い出した。たしかに、かつては、フリーターを含め求職活動を行わない若者たちの増大は、雇用環境を改善に向かわせるものとして歓迎されるような論調が強かったと思う。
それが、ある頃から変わって、「ニート」が社会問題化されはじめ、逆にリストラや求人の減少による不安定な労働人口の発生という事柄が、あまり語られなくなったのではないか。
ぼくは、いわゆる「ニート」の問題は、個人の問題としてもやはり深刻なことではあると思うが、それが「社会問題化」されるということには、別の意味があると思う。
ぼく自身、かつて(「社会問題化」される以前)、世間で上のような論調が強かったという事実を完全に忘れていた。そのこと自体が怖いことであると思う。
それから、引用の順番が逆になるが、

なぜ、最近ニートの存在が問題視されているかというと、とにかくその存在が国家権力や産業界にとって「不気味」だからというのが、第一と思います。

たしかに、そういう「怖れ」のような要素も、いわゆる「上からの社会問題化」の背景のひとつにあるのかもしれない。
こうした若者たちの存在が、システムを管理する側にとってみると

何を考えているのか分からない(従順なのか? 反抗するのか?)

という戸惑いや不安を感じさせるということは、これもぼくは気がつかなかったが、意外と大きいことなのかもしれない。
これは「祭りの戦士」さんのご意見にも重なる点があると思う。
そういう意味では、いま中国の当局が、デモを行っている若い世代の人たちに対して抱いている危機感のようなものと、どこか通じるものがあるのかもしれないと、ふと思った。
また、

そうこう考えると、競争システムの渦中にいる側から、システムの外へいる側へ、システムの価値を伝え取り込むこと自体、土台無理としか思えません。

あえていえば、会社や経営者に頼らない仕事・職業を生み出す楽しさ、自分で答えを解くことの喜び(ある時期まで苦しみを伴いますが)に触れられた、競争システム外で自分を見つめている人物から学べるのではないかと思っています。

こういった点も、きっとそうであろうと思う。
いずれにせよ、このことを、変な意味で「問題視」するのでなく、社会のあり方の変化の可能性としてとらえようとしておられることが感じられた。