ブログ・ナショナリズム・子規

昨日書いた、ブログ公開三ヶ月にあたって思うこと、の続編。
ブログというジャンルについて、今思っていること。
やや漠然とした話になるが、自分もやっているブログ、特に「日本のブログ」というローカルな特殊性を持つ表現様式に関して、どう考えるか。
以下、まとまらないままに少し書いておきたい。

ブログと「平民主義」

このところ、日本中で実にたくさんの人がブログを始めているらしい。この状況を見ていると、明治20年代、30年代の日本のナショナリズムの勃興と、正岡子規の『ホトトギス』を主要な場とした国民的な言論、表現の場の形成の模索という出来事とが、どうしても重なってしまう。
スガ秀実の『日本近代文学の<誕生>』によれば、国会開設を前にした明治20年代初頭の政教社などによるナショナリズムの展開は、「俗語革命=世俗化」の要請にこたえて当時の文学者たちが模索していた「平民主義」的文学形式確立の動きと連動していた。「平民主義」的文学形式とは、江戸時代にあったような身分制度に規定された言語表現とは異なる、誰もが「平民」として対等であることを示すような表現の形式のことだ。具体的には、もちろん敬語表現や語尾の問題、一人称の選択(「朕」や「下拙」などと「尊卑の感情」を含んだ語を用いるか、「僕」や「私」などの対等的な語を用いるか)といったことが、重要な問題となる。
この模索が、「平等な国民=平民」による国民議会と国民国家の建設という政治的な課題に呼応していたということだと思う。
正岡子規自身、こうした問題について深く考え、さまざまな理論提起と実践を試みていたが、子規の盟友であり、「日本主義」で知られる明治期日本の代表的なナショナリストで、子規が終生そこから生活の糧を得ていた新聞『日本』の主催者でもあった陸羯南 も、言語表現におけるこうした問題(俗語革命)を、重要な政治的テーマと考えていた。
身分において対等な「平民」たちによって「国民国家」を形成しようとするナショナリズムの主張と、それにふさわしい表現形式(子規は、「礼儀を抜いた言葉」を用いることを重視していたという)を作り上げ、雑誌や新聞といった全国的なメディアを通じてそれを広めようとする実践とは、ダイナミックに結びついていたわけだ。
これはまた、一部の人たちによって知識が独占されていた近代以前の「知」のあり方や、藩閥などの権力層に言論が牛耳られている社会の現状に対してのプロテクト、権力闘争の側面を持っていたと考えられる。その意味でも、「知識人」や「マスコミ」の存在と、インターネットメディアとの対立という、巷間よく言われる現在の構図と、あの時代の状況とは似通っているように見える。

国民主義的な非政治性」について

だがぼくが特に思うのは、子規や『ホトトギス』の同人たちが、俳句や特に随筆などの散文を通して日本中のヴァーチャルな空間に切り開いていった「趣味」的な文学の共同体というものが、その「国民主義的な非政治性」において、今の日本のブログの世界のあり方と似通っているのではないか、ということだ。
今にして考えると、それは日清戦争日露戦争の遂行と不可分だった。陸羯南のような「政論家」、ナショナリストの主張よりも、この趣味的な言語による共同体の方が、その果たした国家的な役割は大きかったと思う。
ぼくは現在の日本のブログというものも、それと同様の機能を果たしているのではないかと思う。語られている内容が「右派」的か、「左派」的か、非政治的かということ以外に、ブログという形式そのものが、日本ではそういう働きを持ってしまう面があるのではないか。


ブログなどのウェブ上の言説は、たしかに旧来の「知識人」や大マスコミの権威に対する反発、新たな「平民主義」のプロテクトとして自己を定立する。これは、新たな社会のあり方を模索し切り開こうとする意志の表れとも見られるだろう。
先ほどふれた、明治期における敬語などの言語表現の問題(「俗語革命」)になぞらえていうと、インターネットにおいて、自分が書き込むことによって語りかけている相手が、自分よりも目上なのかそうでないのかといった属性を、特定できないという特徴は、かなり重要ではないかと思う。そこには、右派、左派を問わず、旧来の権威的で硬直した社会の枠組みへの反感があり、また一方で、グローバル化によってもたらされた社会の「階層化」への抵抗の意志も見出せるのかもしれない。
特に日本や韓国のような敬語表現が重要である社会では、不特定な他者同士のメッセージの相互伝達という、インターネットがもたらしたコミュニケーションのあり方は、相当革命的、少なくとも破壊的なものではないか、と思う。


しかし、ここが大事な点だが、それは現実の社会をただちに変革するというものではない。ただ、現実の枠組みの自明性を揺るがして、人々を不安にし、時には扇動するのである。つまり、この領域は想像的であり、人々の情緒に働きかけやすい特性を持っている。この情緒的な特性が、既成の何らかの権力によって利用される危険は、無論小さくないだろう。
いわゆる「ネット民主主義」や、それがもたらすポピュリズムの危険という、日本だけでなく東アジア諸国で最近よく論議される事柄につながる。

「広義のナショナリズム」の普遍的可能性?

ところで、ぼくのテーマは、ブログなどのウェブ上の言説の場が、日本において、たんに趣味的で想像的な領域であることを逃れて、ということは外部からのコントロールを逃れて、なんらかの現実的な力を獲得するには、どんな道がありうるか、ということである。
言い換えれば、ブログというナショナリティの刻印された船に乗り込んで、ウェブという海面を漕ぎ進め、気がつくといつのまにか普遍的な領域に出ていた、ということがありうるだろうか。
なぜこういう問題の立て方をするのか、つまりなぜブログというナショナルと思われる装置にこだわるのかといえば、ぼくは実のところ、この「趣味」的で想像的な空間や共同性に対して、少なからぬ未練があるからだ。
それは、端的な言い方をすれば、「おしゃべりの場」としての「ブログ」(日本語の)的な空間に、普遍的な可能性を見出すことはできないか、というぼくの足掻きである。
日本におけるブログというものの長所は、「おしゃべり」ができるということだ。この要素は、かつて正岡子規が随筆によって追求しようとしたものであると同時に、実際にはどこの国においてもウェブ上のコミュニケーションというものが有している、普遍的な可能性の核心に触れることがらではないだろうか。いや、この可能性は、もちろんはるか昔からあったものだが、「近代」や出版文化によって最近まで抑圧されてきたものだ、そう考えられないか。
とすると、いわば子規が構想しようとした随筆的な言説空間の孫としての、「ブログ」的な言説空間の独立性の確保と展開というテーマは、グローバル化(近代化)に対する「広義のナショナリズム*1の可能性をさぐること、アジアではかつて魯迅や子規がそれぞれ取り組んだような、世界的な民衆による「抵抗」の戦略の模索というテーマと、重なっているのではないか。
こう考えてくると、「ブログ」について、「日本的な、ローカルな特殊性」として考えてきたものが、実は普遍的な問題の一部なのではないか、と思えるのだ。



想像的な領域に対する「少なからぬ未練」ということは、より一般的に言えば、想像的なものを、精神分析でいう「去勢」を経ることなく社会化する道を探りたい、というぼくの思いに通じている。
これは所詮無理なことなのかもしれないが、ブログをはじめるずっと以前から、ぼくはそういうことを考えてきたように思う。
数年前、ソウルのビヤホールで、社会運動に関わりのある韓国人の若い女性にそのことを話したら、「言ってることはなんとなく分かるが、いくらなんでもそれは無理だろう」と呆れられたのを思い出す。
つまり、そのころからぼくはまったく進歩していないわけだ。
いや、それ以前からだけど。
このテーマは、ぼくという人間の本質にかかわるものであるかもしれない。
「労働」や「自立」といった事柄も、遠くそこに重なっているように思う。


やっぱり、まだ書きながら考えたいことが残ってしまったが、いずれまた。

*1:ぼくの言う「広義のナショナリズム」というのは、反啓蒙主義的で、反グローバリズム的な民衆の運動という意味合いを多分に含んでいる。