『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』

 

 

 

この本で特に印象深かったのは、国民党の馬英九政権に対して、台湾の社会運動が強力な抵抗を行い、民進党への政権奪回を実現したばかりか、民進党の政策を多文化主義的・脱資本主義的な方向へと大きく転換させた経緯を描いた論考、「社会運動、民主主義の再定着、国家統合」だ。

当時の馬英九政権(二〇〇八~二〇一六年)は、小選挙区制のもとで、四分の三近い圧倒的な議席を獲得。それを背景に、司法権を含む三権の支配と、メディアの掌握によって、親中国・新自由主義推進の権威主義的政治を行っていた。それが数年の間に、激しい抵抗と批判にさらされ、やがて民進党に政権を明け渡すことになるのだが、その主役は、あくまで社会運動、著者の言う「市民的ナショナリズム」の力であって、政党(民進党)ではなかったことを、著者は強調する。

その自立的な力は、台湾の人びとの圧政に対する抵抗の積み重ね(いわゆる「民主化」)の歴史が可能にしたものだった。議会政治のような制度的な政治のあり方(制度的熟議)に対して、デモなどの社会運動(非制度的熟議)が持つ役割の重要さを強調して、著者は次のように書く。

 

 

『制度的熟議の機能に危機が生じたときは、非制度的熟議が持続的に機能することで台湾の民主的国家体制の崩壊を防ぎ、それを再び確固たるものとすることを促してきたのである。(中略)台湾の活力ある市民社会や社会運動団体が非公式的な熟議機能を発揮し、その頃まさに出現しはじめていた新たな権威主義体制に対抗して有権者の支持政党の変化を促し、(中略)この台湾主体論あるいは進歩的本土主義が民進党の政治路線に立て直しを迫り、正当性をもつ新市民的ナショナリズムを新たに形成していくに際して重要な思想的母体となったことを論じたい。(p329)』

 

 

『しかし、二〇〇〇年に民進党政権が成立した後には、少数与党という制約と、社会運動を政治運動の延長あるいは付属物とみなす思考の影響で、双方の連携関係は次第に崩壊し、社会運動の役割も盟友から「監視者」へと変化した。ただし、社会運動と民進党の同盟関係の解体は、政治社会から独立した自主的な市民社会の誕生を意味しており、それはまさに民主主義の定着における必要条件のひとつである。(p333)』

 

 

『このように、民進党イデオロギーが「再進歩化」していく過程において、台湾市民社会は、政治社会で最も主要なイデオロギーのひとつである市民的ナショナリズムにかかわる言説の再構築を進めることを促し、あるいは迫り、進歩性と包括性をより高めながら政治的統合力をさらに強化する方向へ転化させたと見ることができる。(p358)』

 

 

この後に収められた魅力的な論考「黒潮論」では、民進党の路線をこのように「左寄り」(究極的には反資本主義の性格を持つもの)に大きく転換させた台湾社会運動(「市民的ナショナリズム」)の方向性が、この社会の(少なくとも百年近くにわたる)歴史に深く根付いたものであることが強調されている。

それは、近年においては次のような経緯を辿ったという。

 

 

『さらに重要なのは、李登輝許信良陳水扁のいずれもが、新自由主義のロジックを利用して台湾ナショナリズムの階級的基盤を再構築し、資本と新興の国民国家台湾を結合させようとしたことである。この点において、台湾ナショナリズムの社会的基盤は、この時期に明確に右寄りに移動したといえるのである。(p402~403)』

 

 

『二〇一四年に勃発した「三・一八反サービス貿易協定運動」は、台湾における国民国家形成がようやく成熟段階に到達したこと、さらには台湾の国民国家体制の内に左翼(階級)政治の新しい波が出現したこと(あるいは台湾ナショナリズムの社会的基盤が左寄りに移動したこと)を予感させるものである。(p392~393)』

 

 

『八十年間にわたる抑圧と封じ込めと歴史的曲折を経て、黒色という台湾本土における反権力の象徴は、二〇〇八年の野イチゴ学生運動において再び出現し、その後数年のあいだに、資本、帝国、国家暴力に抵抗し、民主と自決を求める台湾市民社会のシンボルカラーのひとつとなった。(p412)』

 

 

これ以上の詳しい説明は、ぜひ本書を読んでもらいたいのだが、特に一点だけ、書いておきたい事がある。

それは、著者の「市民的ナショナリズム」という用語に関してだ。上記の文章から分かるように、著者の考えの基盤となっているのは、ネーション、つまり「民族」ということである。彼が描くのは、台湾の市民社会という、一個のネーション、民族がいかに支配と暴力に抗って生き抜いてきたかということだ。

著者はエルネスト・ルナンの「民族とは、日々の人民投票である」という言葉を援用している。つまり、ここでいう「民族」とは、血統やエスニシティによる制限とは無縁な、「開かれた」共同性である。だが、それがあえて「ネーション」と呼ばれねばならないのは、そこに生きる人々の集団的な生の存在が賭けられているからだろう。

このことは、清帝国にはじまり、日帝や、(「反共」の名目の下に圧政を行った)国民党政権とその背後にあった米・日、そして中国ばかりではなく、国連によっても、その存在を否定され、あるいは支配され、暴力にさらされて、生存の危機に瀕してきた台湾の民衆の歴史を考えた時に、はじめてその必然性が理解できるのだと思う。

その歴史(と現在)を背景として紡ぎ出される著者の思想において、「民族(ネーション)」の概念は、無限に開かれてゆく性格を持っていると思われる。だが、考えてみれば、「民族」という語は本来、それが被抑圧者によって言われる場合には、そうした開放性を言外に含んでいるものではないだろうか?それが、閉ざされた、排他的な相貌を帯びるのは、抑圧する側の視線が、その開放性を、無視し消去しようとすることによってであるに違いない。

日本の私たちが取り組むべきなのは、私たちに内在するこの抑圧者の思考から、自らを解き放つことであり、それが(台湾の民衆のような)抑圧される他者の生へと私たちの生を連帯させていく、ほとんど唯一の回路なのではないかと思う。それは、もっと端的に言えば、抑圧されたものとしての自分たちの生を、権力に抗って奪回するということである。

上記「黒潮論」の最後に、呉叡人は次のように書いている。

 

 

『もしも新たな国民国家台湾が解放を渇望する社会的意志を実現することができず、万が一にもこの意志をねじ曲げ、抑圧しようとするならば、必ずやまた黒潮の新たな波濤が生じ、既成の政治的形式と境界による制限を突き破り、再び解放を約束するような新たな形式と境界を求めることであろう。(p413)』