他者の軍事主義

歴史と責任―「慰安婦」問題と一九九〇年代

歴史と責任―「慰安婦」問題と一九九〇年代

この本のとくに序章と第1章では、二〇〇七年に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」(略称「国民基金」)に対する厳しい批判が書かれている。


それらの批判に、ぼくは基本的には賛同する。「国民基金」の運動の細部、それに関わった人個々の思いや発言、行動については、よく知らないので留保せざるをえないが、この運動とその結果に対するこの本の論者たちの批判は、ぼくにはたいへん説得力のあるものだった。
だがその上で、「国民基金」と対立した側の運動のスタンスに、疑問を持つ点がないわけではなかった。
それは、韓国の研究者鄭鉉栢の論考「国民基金と被害者の声」(中野宣子訳)の次の一節を読んだときに感じたことだ。

(前略)その後二〇〇七年に国民基金が公式に解散を発表するまで、アジア連帯会議はこの問題を主要なテーマにすえて集中的に活動してきた。そして、各国の被害者の生活状況と支援対策について活発に討論を重ね、国民基金への対応策を考えた。たとえば韓国では「挺身隊問題対策協議会」が、自分たちが支援することに加えて、最低生活費の保障と医療面での優遇処置を政府に要求することにした。また台湾では、政府が今後九百ドル程度の生活費を支援する計画があることが確認された。(後略)  (p55)


端的に言って、「国民基金」の登場がなければ、こうした生存のためのぎりぎりともいえる条件について、(支援団体による)調査や対策がなされなかったのだろうか。
それならば、率直に言うが、「国民基金」が行った仕事には、本書で指摘された数多くの負の側面と同時に、決して小さくはないプラスの面があったというべきではないか。
これは、「国民基金」を擁護するつもりで言うのではなく、それと対立した運動の側に自己批判の必要があるという意味で書くのである。
たとえば韓国の団体の場合、『最低生活費の保障と医療面での優遇処置を政府に要求する』という方策を、「対応策」としては実際に打てているわけだから、「国民基金」の登場までそうしたことを行ってこなかったということは、怠慢といっていいだろう。
なぜ、運動のなかで、被害者個々の生存にもかかわるようなぎりぎりの生活保障の部分が、十分に顧慮されてこなかったのか。


いやおそらく、韓国の支援団体は、じっさいには(主観的には)出来る限りの生活面での援助を行ってきたのだろう。そこには、尊敬に値するものが、きっとあるのだと思う。
だがそれにもかかわらず、そこには被害者たちの「窮乏」があったということであり、それに対する調査(顧慮)も対策も十分に行われてこなかったらしいということを、上の文章は示している。
この論考の筆者は、

国民基金はむしろ、被害女性たちの窮乏を利用して、日本政府が責任を回避する機会を与える結果をもたらしたといえる。(p59)


とも書いていて、それはその通りだろうと思うが、この「窮乏」が、支援団体にどれだけ認識されてたか、重視されていたか、疑問をもたざるをえないのである。


韓国の、日本に比べてずっと盛んで実質的な歴史をもつ社会運動のあり方を見ていて、ときどき感じる危惧は、この国の社会がやはり深く「軍事主義」とも言うべきものに染まっていて、社会運動の中にもそれが浸透しているのではないか、ということだ。
「軍事主義」というのは、ここで一言で定義するなら、「闘争の勝利のために、時として個々の生命や生活を軽視する傾向がある思想」とでも言える。
これは、韓国の闘争的な、また好い意味で集団主義的な社会運動の、看過してはならない負の要素だと思う。
ぼくはそのことと、上の事例とが、関わっているのではないかと思うのだ。


だが、ぼくの指摘が仮に当たっているとしても、そうした韓国の運動のマイナス面を、もっともよく知っているのは、やはり韓国の若い運動圏の人たち自身だろう。
そうした部分を乗り越えていく力を、当然あの国の社会運動は持っているだろうと思う。
それよりも、ぼくたちが考えるべきなのは、「韓国社会(運動)の軍事主義」を批判する、自分たち自身(日本)の「平和主義」の内実の方だ。
「軍事主義」を批判する、われわれの、とくにぼくの感受性は、それでは「個々の生命や生活」を、本当に尊重するものだと言えるだろうか?
現実には、「軍事主義的な生命軽視」と「平和(非暴力)主義的な生命軽視」があり、両者は同じ、少なくとも不可分に絡み合った根を持つということではないか。


上でぼくは、韓国の社会運動がその「軍事主義」のゆえに、個々の生命や生活を軽視する傾向があるのではないかと偉そうに指摘(推断)したわけだが、そもそも韓国の社会が「軍事」に染められていることと、日本の(戦後の)「平和」とは切り離せない関係にある。
日本の「平和主義」は、朝鮮半島や沖縄の軍事(国家・基地)化と不可分であり、言わばその「血」に染まっている。その事実を忘れるなら、この平和(非暴力)主義は、たんに冷血の思想でしかないであろう。


これは、「平和主義」に価値がないということではない。
「平和主義」が、その国民主義的な陶酔を脱し、軍事化された生と「運動」を押しつけられて生きざるをえない人々の痛みを、自分の根底(血肉)をなすものとして引き受けたときに、それは真に国境を越えた思想としての内実を、力を持つだろう、ということである。
その痛みを引き受けるという覚悟の上に立って、つまり自分自身へと鋭く向けられるべき批判として、他者の「軍事主義」(生命軽視)に対する批判もまた行われるべきだと思うのである。