人間の存在証明

やはり、この本から。

歴史と責任―「慰安婦」問題と一九九〇年代

歴史と責任―「慰安婦」問題と一九九〇年代


金栄「在日朝鮮人弾圧から見る日本の植民地主義と軍事化」より。
朝鮮学校に通う娘さんを持つという筆者は、次のように書く。

四、五年に一度のサイクルで繰り返し起こった「チマ・チョゴリ差別事件」で、当事者および関係者たちが精神的に負った傷についてはあまり知らされていない。事件は直接被害を受けた者ばかりでなく、ほかの在日の子どもたちにもショックを与え、次は自分が襲われるかもしれないという恐怖と不安感を抱かせ、日本で朝鮮人潜在的に排除される存在であることを思い知らされたのである。
 特に拉致事件の際には、過去、日本の植民地化によって引き裂かれた家族の子孫であることから、同様に引き裂かれた拉致被害者の悲劇を在日のそれと重ねてみたり、植民地への憤りを拉致への怒りと重ねてみては、子どもたちは小さな胸を痛めていた。ひるがえって日本人は、拉致被害者に対して思うほどに植民地被害者を思ったことがあるのだろうか。わずか十二歳の子どもが抱いた素朴な疑問であった。
あれから五年、いまでもその疑問は解消されていない。子どもたちの記憶に刻まれた日本への恐怖と不信感は、日本への反発を生むだろう。それは日本人が警戒するいわゆる「反日感情」なのだろうか。また、こうした実体験を次の世代に語り継ぐのは「反日教育」なのだろうか。仮にこれらを「反日」だとする者がいるとしても、在日朝鮮人が自らの体験を語り継ぐことをやめるわけにはいかない。現在の日本のように排除され消されようとするほどに、体験を語り継ぐことが在日の存在証明であり、歴史を刻むことにほかならないからだ。
 歴史を刻み、記憶を継承するうえで危惧することがあるとしたら、「北朝鮮バッシング」を含む偏見に満ちた「朝鮮人像」に象徴される植民地主義を、在日朝鮮人自身が内面化してしまう危険性があることである。たとえば、帰化者の増加と日本国籍取得を積極的に奨励する動きには、在日朝鮮人という「異端者」から「日本国民」へとシフトしようとする植民地主義の内面化を見て取れる。一方、排他的ナショナリズムに追い込まれて、「扇動的反日」に陥るのも、新たな偏見と差別を生む植民地主義として警戒しなければならない。
 もちろん民族が攻撃の的となり消されようとするなかで、民族にこだわることを排他的ナショナリズムと同一視するのは誤りである。また、「拉致事件を起こすような北朝鮮を支持するのだから、朝鮮学校に敵意が向けられるのもやむをえない」とするような、被害者に責任を転嫁し攻撃する意見には断固抵抗する"かたくなさ"が求められるのであり、それは排他的ナショナリズムとは一線を画すものである。(p320〜321 太字強調は引用者)


この文章を読んで、「被害の主体」「記憶の継承の主体」は誰なのか、という疑問も、頭に浮かばないわけではない。
「自らの体験を語り継ぐ」かどうかは、ここで問題にされているのが「子どもたち」であるなら、子どもたち自身が決めるしかないことだろう。第一、「小さな胸を痛めていた」というのも、大人である筆者の想像の域を出ないのではないか?


しかし無論、被害を受けた当人と、(大人である)その親や家族、広く共同体のメンバーとの間の、このような混同は、日本の社会においては、とくに現在しばしば見られるものである。
たとえば、「拉致被害者」の家族がその思いを語る報道を目にするとき、実際に被害を受けて日本に帰国した被害者たち当人や、その子どもたちの心情が、かき消され、社会の中で見えにくくされたまま忘れられていくかのような恐怖、おぞましさを、しばしば感じる。
が、ぼくはそれを特に批判したり言明したことはない。
上の文章の事例に限り、それを指摘するのは、どこかアンフェアな気がする。


だからといって、上記の文章に垣間見える混同を批判しなくてよい、ということではない。
それは、ほんとうならば非難するべきであろう。
だが問題は、「ほんとうなら」と言える位置に、このぼくが立てているかどうか、ということである。
日本社会のマジョリティーの一員として、このような被害の状況の、直接の(無力ゆえの)加害者ともいえる、自分が。
立てていないなら、ここで「立てている」ような顔をして、そのことを「公正な立場」から指摘・批判することは、自分の有責性の隠蔽を帰結し、加害をいっそう推し進めることに寄与することになる。
「立ててはいない」という不正義な自分と社会の現状が、「批判すべきを批判しきれない」というもどかしさを抑圧しないことによって、少しは露わになる可能性が残せるだろう。


「批判するな」ということではない。批判はあるべきだ。苦し紛れのものであっても、そうであるからこそ、価値のある批判というものはあるだろう。
だが、ここで自分がするべきことは、「批判」である以上に、何らかの応答であるはずだ。
この文章に示された他者の「呼びかけ」に、(公平な位置でなく)自分の位置から言えることは何か。


それは、誰が、何を記憶し語り継ぐべきか、ということに関わる。
たとえば社会によって、その集団的な帰属のゆえに被害を受けた者が、その傷を、記憶を語り継ぐ。その社会への不信や怒り、懐疑といったものを伝承する。そのことの是非を、ここではぼくは問えない。
ぼくに言えることは、社会がなした他者への暴力や不正義の記憶は、その暴力や不正義に責任のある者、加害性の一端を負う者たちこそが、傷として担うべきだ、ということである。


筆者が言う「日本への反発」は、「反日」と呼びうるものだとしても、それ以上にそれは「正義」の兆しである。
この兆しを押し潰そうとして、ぼくたちの支配的な社会は、被害者たちに、「植民地主義の内面化」か「排他的ナショナリズム」かという、二者択一を押しつけるのだ。
そうすることによって、支配的なものは、われわれの社会から、また全ての社会から、「正義」を永久に遠ざけておこうとするのである。
われわれ加害者でもあるマジョリティーには、その悪しき力から、「正義」を救済する義務がある。言い換えれば、この子どもたちを、非人間的な(植民地主義の)論理から救う責務があるのである。


そのためには、この、われわれとその社会が行った不正義と暴力の記憶を、傷を、決して消し去らないことだ。
それはわれわれ自身の、「人間の存在証明」なのである。
これは無論、この問題に限らず、植民地支配など、われわれの歴史の全般にわたっていえることだろう。
たとえ、歳月が経ち、その直接の被害者がこの世を去った後にも、われわれの社会が人間の社会であるために、われわれは、この記憶を語り継いでいかねばならない。






そして今や同時に、われわれ自身が、自己の社会からの排除の対象になり、「植民地主義の内面化」か「排他的ナショナリズム」という二者択一に追い込まれ、自己抑圧的・自滅的な社会への同化か、やはり自滅的な排外主義的暴力への傾斜へと向かいつつある。
筆者の書く『被害者に責任を転嫁し攻撃する意見には断固抵抗する"かたくなさ"』とは、むしろわれわれ自身に必要とされているものでもあるだろう。


筆者は、この後、日本の社会の圧力のなかで苦しむ娘さんの挿話を書いて、こう続ける。

しかもそれに対する怒りの感情を麻痺させることで、感情の均衡を保たなければならなくなっている。怒りが心底に沈殿し、植民地主義か排他的ナショナリズムという汚泥に変質していくような不安を覚えた。
 朝鮮人朝鮮人として生きていけない社会とは、個人が個人として生きていけない社会であり、すなわち「国民」として認定されない者は排除され、攻撃される社会である。常に攻撃にさらされるこのような日本で、内面化させられる植民地主義を克服して記憶を継承することは容易ではない。その困難さを十分に承知しなければならないだろう。(p321)


ぼくたちには、他者の「怒り」が沈殿していくことを阻む義務があるのだが、そのためには、自分自身の「怒り」を、麻痺させることなく、正しい方向へと解放していく必要があるだろう。
それは、特定の人間を「排除」するばかりでなく、常に「攻撃」にさらすような、暴力と不正義に満ちたこの社会のあり方に向かって、ということである。
そのことを通して、はじめて、ぼくたちは他者との出会いと連帯の地平に立てるだろう。