近年のダービーを振り返る

最近近所のスーパーで京都産の青とうがらしを売っていて、安いのでよく買って帰って夕飯のとき食べる。
普通はコチュジャンをつけるか、焼いて醤油をつけたりするのだろうが、ぼくは何もつけないで生でかじっている。十本ぐらい入ってるが、一度に全部食べてしまう。
品種改良されているのか、辛くない。ただ、食べると口のなかに緑っぽい味がばあーっと広がるのが気分がいいのだ。


ダービーの日が段々近づいてきたが、今、Yahoo!スポーツで、84年から去年までのレース映像が見られる。

http://keiba.yahoo.co.jp/derby/past/index.html

先日バイトが休みの日に、部屋でこれらの映像を一気に見た。
印象に残ったことを、少し書いてみたい。


ぼくがはじめて馬券というものを買ったのは、アイネスフウジンが勝った90年のダービーで、それ以前のレースについては見たものがない。28のときまでは、競馬というものにまったく関心がなかったのである。
それで、84年から89年までの映像は、今回はじめてみるものが多かった。
84年のダービーは、「皇帝」シンボリルドルフが勝った。先日引退した大騎手岡部幸雄が「しっかりつかまっていろ」という馬の声を聞いた気がした、と述べたことで有名なレースである。4コーナーを回り、鞍上がゴーサインを出しても馬はなかなか動き出さない。それが直線半ばまで進んだときに自分からスパートをかけ始め、一気に先頭に立ってゴールインした。そのスパートをはじめる瞬間に、そういう馬の声が聞こえたと思った、というのである。
映像を見てみると、たしかにゴールに向かって駆け上がってくるルドルフの背中に、岡部は必死でしがみついているように見える。これは、そのぐらいすごい勢いで突っ走ったということだろう。
シンボリルドルフについては、人間のいうことをよくきく賢くおとなしい馬というイメージがあったようだが、ルドルフが引退してからだいぶ後に、岡部が「あの馬は怖かった」と回想したという話をどこかで読み、すごく印象に残っている。この映像を見ると、それがわかる気がした。
この84年のレースは、テレビの回顧番組かなにかで一部を見たことがあるが、85年から89年までのレースは、今回はじめて見た。88年のレースで2着に入ったメジロアルダンという馬が、現役時代をわずかに知っている一番古い馬のようだ。89年になると、知っている馬の名前がちょこちょこ出てきて懐かしい。


アイネスフウジンの勝った90年。さっきも書いたように、ぼくが生まれてはじめて馬券というものを買ったレースである。当時は一応会社員で、繁華街の馬券売り場で同僚と一緒に見た。
今見ても、このレースはすごい。ハクタイセイとカムイフジの二頭を引き連れる形で逃げていくアイネスフウジンを追って、「赤い帽子がただ一騎」メジロライアンが突っ込んでくるところは名実況であり、いま見てもゾクゾクする。ただ、このレースの実況としては「アイネスフウジン逃げている」というフレーズが耳に残ってるのだが、聞いてみるとそんなことは言っていない。思い違いなのか?
それにしても、メジロライアンは、このころから勝負弱かったみたいだ。いはんやホワイトストーンをや。


トウカイテイオーが圧勝した91年。これも、すごく印象深いレースだ。テイオーはルドルフの最初の子で、このレースを見たときはどこまで勝ち続けるのだろうと思ったが、この後故障して休養に入ってしまう。最後まで「ルドルフの子」が形容される言葉だった。
このときの二着は、コガネパワーという馬だと思っていたが、いま見るとレオダーバンだった。名脇役だった、セゾン、ザオウ、サターンの「イイデ三銃士」がなんとも懐かしい。


ミホノブルボンがやはり圧倒的な強さを見せた92年。二着に人気薄のライスシャワーが入って高配当になった。今見ると、二着を確保したゴール前がものすごくしぶとい。このしぶとさが菊花賞になって物を言うことになる。


ウイニングチケットの93年。ライバルと言われたビワハヤヒデナリタタイシン両馬との叩き合いとなったゴール前はなんとも壮絶だが、ぼくはあんまり覚えてないなあ。まったくおかど違いな馬券を買ってたのか?


そしてナリタブライアンの94年。この頃は、先の会社を辞め某所でアルバイトをしていて、そのためにレースの中継を見ていない。ぼくは、フジノマッケンオーという馬の単勝を買ってたと思う。競馬好きの若い友達が、ブライアンのことを「あの馬は負けません」と断言していたのを覚えている。この友だちは、「ノミ屋に二百万借金がある」と言っていて、ぼくはすごく酒を飲むんだなあと思ってたが、ノミ屋違いだった。
このレースでのナリタブライアンは、直線で外によれるのだが、お構いなしにそのまま大外を走って他馬をちぎってしまう。ブライアンらしいというか、南井騎手らしいというか、問答無用という感じの強引なレース振りである。騎手の個性と馬の個性とが、これだけぴったり重なった例はあまりないだろう。南井さんというのは、ちょっと昔の陸軍の軍人みたいな雰囲気があった。
今回思い出したが、彼は前年のダービーでマルチマックスという人気薄の馬に乗って、スタート直後に落馬するという大失態を演じてしまった。これはほんとに辛かっただろう。その翌年、ブライアンで初のダービー制覇、そして三冠制覇を成し遂げたわけである。


ところで、この年のダービーに出ていた馬のなかに、サクラエイコウオーという馬がいた。この馬は逃げ馬で、ぼくはその名前について、三島由紀夫の小説『午後の曳航』からの連想で「曳航王」だと思っていた。つまり、馬群を引き連れて進む逃げ馬の姿を、大きな船を引っ張って行く曳き船の姿に例えたものだと思ってたのだ。
だがいま思うと、どう考えても「栄光王」が正解だろう。馬名をつける時点で脚質まで分かっているということは考えにくいし。我ながら、変な思い込みをしていたものだ。


95年は、いわゆるSS(サンデーサイレンス)時代の幕開けの年で、一着タヤスツヨシ、二着ジェニュインと、共に同産駒が占めた。皐月賞は、この一、二着が逆だった。NHKのテレビ中継で、SS産駒の走法が他の馬といかに違うかをスローで見せていたが、たしかに全身がバラバラになりそうな走り方で、他の馬とは全然違うのだ。これは衝撃的だった。
社会的にも大きな出来事が続いた年だったが、競馬の世界でも、前年とこの年との間に大きな転換点があったような気がする。


フサイチコンコルドが勝った96年は、覚えているが、特別な印象がない。藤田騎手が全国区になったレースであろう。


皐月賞に続いてサニーブライアンが逃げ切った97年。このレースについては、スタート直後の最初のコーナーで、同じ逃げタイプのサイレンススズカが、サニーブライアンに絡んでいけなかった時点で大勢が決してしまったのではないかとずっと思っている。
サイレンススズカは大成するまでに時間のかかった馬で、ぼくの印象では河内が乗った秋の天皇賞で無謀とも思える大逃げを打った時(結果は大敗)に馬自身が吹っ切れたのではないかと思うのだが、違うだろうか?


98年のスペシャルウィークも、べらぼうに強い勝ち方だった。この馬は、あっけなく惨敗するときもあったが、勝つときはものすごく強かった。今まであまりいなかったタイプの一流馬。このあたりから、競馬と競走馬のイメージが、それまでとだいぶ違ってきたのではないだろうか。


アドマイヤベガが勝った99年。2着になったナリタトップロードは、ほとんど勝ちかけていてゴール前でとらえられた。3着にはテイエムオペラオー。名馬オペラオーは、レース振りもそうだが、晩成型の馬だったように思う。


アグネスフライトに騎乗したベテラン河内騎手のダービー初制覇が感動的だった2000年。今見てもスリリングなエアシャカールとのゴール前の叩き合いだが、後から思うとこの年のメンバーはレベルが低かったんだよなあ。


うってかわってハイレベルだった01年。皐月賞を制したアグネスタキオンがリタイアしても、クロフネジャングルポケットダンツフレームと役者は揃っていた。勝ったのはジャングルポケット。大外を豪快に差しきった。雷雨の中で雄たけびをあげていた勇姿が忘れがたいが、大歓声が怖かったんだろうね。


タニノギムレットシンボリクリスエス他を差しきった02年は、ものすごいゴール前の激戦だが、あんまり覚えてないなあ。G1をとるようなスターホースが春までで引退してしまうことが、段々当たり前のようになってきた。競馬のあり方が、どこかですっかり変わってしまったのではないか。それまでとは違った意味で、馬が使い捨てのものになってしまったような印象さえある。やりきれない話だ。
この年は、小泉が見に来てたのか。「感動」したのかな?


03年のネオユニヴァースは、デムーロ騎手鞍上で、外国人騎手初のダービー制覇だったそうだ。ぼくは、てっきり福永が乗ったのだと思っていた。欧米から来た有力な騎手がクラシックをとっても、なんの違和感もなくなったということだろう。これはファンにとっては嬉しいことだが、現場の騎手にとってはすごく厳しい状況になったということでもあろう。これも、微妙なとこだなあ。


04年のキングカメハメハも、ほんとに強い勝ち方だったが、やはり春までで引退してしまった。コスモバルクは、何回見ても坂で潰れるわなあ、あれじゃあ。
勝ったのは笠松競馬出身の名ジョッキー安藤勝巳。地方競馬出身の騎手というのは、どうしても応援してしまうのだが、地方在籍のままの騎手は、今でもクラシックを勝つのは難しいのではないか、とぼくは思っている。理由は色々考えられるが。


以上、書いてきて意外に感じたことは、見ていない年がもっと多いかと思ったが、馬券を買い始めてからはほぼ毎年見ていたようだということだ。これは、馬券は買ってないが、あとから映像を見た、という年もあるのだろう。
最後の方は、「競馬を通して日本社会全体の変化を語る」みたいな感じになったが、こんなあざといことを書くつもりではなかった。
でもまあ、仕方ないだろう。実際その通りなのだから。


今年のダービーは、どんなレースになるだろう。
と、月並みに終わる。