鵜飼哲著『いくつもの砂漠、いくつもの夜』から

今年の5月に出版された鵜飼哲著『いくつもの砂漠、いくつもの夜』は、収められている全ての文章が素晴らしいのだが、ここでは個人的に特に印象深かった「家族のいくつもの終焉=目的」という文章について書いておきたい。

この文章は、2014年に(おそらくフランス国内での講演として)発表されたものを元にしているようだ。

ここでは次のようなことが書かれている。

かつて1970年代(いわゆる「68年の革命」の直後)には、家族批判、「家族的なもの」の解体が、体制に批判的な(欧米や日本などの)若者たちの間で共通の目的とされていた。つまり、「家族批判」ということが大前提になっていた。

それが、2014年の時点になると、結婚や家族に一定の価値を認めるようなスローガンが(フランスにおいても)当たり前になった。例えば、「万人のための結婚」といったものである。

こういう傾向は、一般には新自由主義による社会的紐帯に直面した人々の、心理的退行(保守化)の表われのように見なされているが、そうとは言い切れない面があると、著者は言う。

ここで、2014年当時に明らかになった事実として、「68年」の家族批判を代表する書物とも言うべきドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』の刊行当時、ジャック・デリダが非常に強い拒絶反応を示していたことが語られる。デリダは、「家族の終焉」が「国家(や支配)の終焉」をもたらすわけではなく、家族の破壊は「いっそう恐るべき再自己固有化」をもたらしうる、と論じていたのである。

「いっそう恐るべき再自己固有化」という言葉は、最初に読んだときはよく分からなかったが、要するに閉じてしまう(閉じさせられてしまう)ということであろう。

 

 

デリダは、そうした観点から、「家族の終焉」というテーマについて、複雑な対し方をしていたという。たとえば、自分が死んだ時に土葬にするか火葬にするのかということは、アルジェリアユダヤ人共同体出身であるデリダにとっては重大な問題だったが、生前のデリダはそのことを逡巡し、不決断のままにした。著者も、この未決定の態度は重要なものだと書いている。

このあたりで、デリダが96年に行なった有名なゼミナールの内容に触れられる。これは、ソフォクレスの戯曲『コロノスのオイディプス』のなかで、オイディプスが自らの死に際して、その墓の在処を娘のアンティゴネーに秘密にした、というストーリーをめぐっての話である。これについてデリダは、両義的な解釈を示す。一方では、その行為は、「父を追悼する」という務めから娘を解放するものという肯定的な側面を持つことを、デリダは認める。だが同時に、追悼(喪)が行なわれるべき場所を隠すことで、この父は娘が喪を行なうことを不可能にし、それによって永久的に娘を自分の元に縛り付けておこうとするのだ、というのである。

この、喪の可能性を奪われた娘の、亡き父への訴えを想像し論じるデリダの語り口は、圧倒的な迫力を持っている(『歓待について』ちくま学芸文庫 所収)。

 

さらに、ここで筆者の鵜飼哲氏は、氏の父が遺言として、自分の遺骨を「散骨」するように言い残して亡くなったことを書いている。墓に埋葬せず散骨せよという父の遺言は、オイディプスアンティゴネ―の上記の物語を想起させるものだ。鵜飼氏もまた、父によって、息子としての役目から解き放たれていると同時に、喪の可能性から追放されているという解釈も可能だろう。

僕自身は、このくだりを読んで、いまは亡くなった母の遺骨を散骨するつもりでいるのだが、そのことをこれまで、墓に象徴される「家族」という縛りから母を解き放つ行為であるように漠然と考えていたが、実際には、僕自身の「喪」(母の死の受け入れ)を自ら不可能にすることによって、自分自身を(亡くなった母と共に)母子という「家族」の枠組みの中に永続的に閉じ込めておこうとする願望(再自己固有化?)の表れでもあるのかもしれないと、気づいた。

 

 

『もっとも散骨は、今日の日本では、九〇年代初頭に事実上合法化されて以降、もはや珍しい行いではありません。それでもなお、ひとつの問いが生じます。すなわち、これまで知られてきたような墓所の終焉という仮説が、火葬が支配的である私たちのそれのような文化圏では、もはや選択肢のひとつである今、私たちは家族の終焉を生きつつあるのでしょうか?それとも、逆説的にも、こうした断絶の挙借を通じて、ある別の家族的経験が私たちを待っているのでしょうか?(p67~68)』

 

 

 粗雑に言ってしまえば、鵜飼氏がこの論考で、デリダと共に展望しているのは、「血縁」や「種」を含みつつも(あるいは、外縁を同じくしつつも)、それらを越えて広がっていくような、まったく未知の「家族」の可能性なのだろう。

 

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