「怪物のような「かのように」」を読んで

 

 

『ジャッキー・デリダの墓』(鵜飼哲著 2014年)に収められた論考、「怪物のような「かのように」」は、巻末の初出一覧を見ると2008年にパリのコロックにおいて発表されたものとなっているが、僕はこの文章を以前にも読んだことがあると思う。その時も内容を理解できず、今回も初めに読んだときは誤読した点があったことに、読み直してみて気がついた。

この論考では、前半の方で、生前のデリダが1995年のいわゆる「村山談話」をきわめて高く評価していたということが語られている。当時の国内政治の事情をしっている日本人は(左翼であっても)、この談話の価値を低く見がちである。それは、この「談話」と引き換えに、旧社会党を初めとする日本の左翼勢力が失ったものがあまりに大きかったと考えられているからだ。だがデリダは、西洋の外部において、日本という「帝国的同一性」を維持し続けてきた国家で、このような政治的言明(植民地支配の罪を認める発言)が行なわれたことの意味は、決して小さくないと考えたのだという。それは、政治的なフィクションであり、「演劇化」であったが、それでも、いや、むしろそれ故にこそ、大きな意味を持つ(持ちうる)はずだと。

そこからこの論考では、デリダが政治における「嘘の歴史」に関心を寄せていたことが語られ、続いて日本の「帝国的同一性」と「歴史(とりわけ主権)における嘘」とを考える上での結節点になりうる文学作品として、森鷗外の「かのように」(1912年)が論じられる。

大逆事件」(これ自体が稀代の政治的嘘だが)の衝撃のもとで書かれたとされるこの小説では、欧州に留学して西洋の合理主義を身につけた主人公が、国家の公式見解である天皇家の神的起源というフィクションに固執する父親にどう対処するかで悩んだ末、その解決策として、当時流行していたファイヒンガーの『かのようにの哲学』を援用することを思いつく。その最後で、主人公が友人の画家を前にして、「かのように」(フィクション)の政治的効用を尊重するという形で、自分の理性主義的な思考と、父のような頑迷な思想との折り合いを付けていくつもりであることを力説するのに対して、しかし画家はそのような辻褄合わせを認めず、主人公の言い分を嘲笑して、「巨人のように」その前に立ちふさがる。

この場面の解釈について、著者の鵜飼哲は、この友人(画家)は、『彼(主人公)の新しい崇拝の対象の苛烈な性格を』(p123)知っていたのだろう、と書いているのである。この「新しい崇拝の対象」とは、つまりこの論考の表題にもなっている「怪物のような「かのように」」というものであるわけだが、僕はそれを、天皇もしくは天皇制のことだと誤読していたのだ。

だが、読み直してみると、「怪物のような「かのように」」とは、フィクション(嘘)の持つ未知の力そのものに他ならない。その力は、時として、現実を取り返しのつかないような危機や解体に追い込む。天皇制という政治的な嘘も、もちろんそうした力を持っているが、ここで考えられているのは、それとは逆方向の、西洋的な理性主義に関わるフィクション、例えば「村山談話」のようなものだろう。

それは、フィクション(綺麗事)だからこそ、破滅的な危機と表裏一体の、想像もつかない未来をもたらす。ただし、その「苛烈な性格」が抑制されず、貫かれた場合に限ってのことだが。

その恐怖が耐えがたいものだからこそ、たとえば憲法九条の戦力放棄のようなものは骨抜きにされ、挙句は再軍国化へと差し戻されることになる。同様のことは、ここ数日なら「入管法改悪」や「LGBT差別増進法案」においても起きている。「人権」とか「命の平等」といったフィクションの徹底(がもたらすリスク)の「苛烈な性格」に、多くの人は耐えられず、「安定」の幻影の中での死と服従の方を選択するのである。

実際、「村山談話」というフィクション(「かのように」)もまた、徹底されることはなく、この国の人々はさらなる反動の大波に身を委ねていくことを選んだ。

このような、とりわけ理性主義的なフィクションの忌避という、この国の特異的と思える傾向は、どこに起因するのだろうか。

この論考の最後の部分で、鵜飼哲は、政治的な「嘘」がますます巨大な力を発揮しつつある当時の世界情勢に注意を促し、また日本の政治も、(『体制と文化の好みはむしろ隠蔽に傾いているとしても』(p128)という的確な指摘をさらりと付しながら)やはり戦前から政治的嘘の多用を常習としてきたことを確認する。そして、そのうえで、日本においては、嘘、フィクションというこのテーマが、まさしくデリダが指摘したこの国の「帝国的同一性」の核心に関わるものだということを強調するのだ。

 

『私たちが「政治神学的フィクション」あるいは「民族神話」と呼んだもの、天皇を現人神とする「王の二つの身体」の教義の非常に特異な形態、敗戦ののち天皇自身によって否定されたフィクション、あれは嘘だったのでしょうか?あるいは、戦後何人かの思想家や歴史家が主張してきたように、それは宗教的な性格の民間信仰であり、それが支配階級によって流用され変質させられたのでしょうか?この二つの見方には、結局のところどんな違いがあるのでしょう?仮にそれが政治的嘘だったとして、誰が誰を騙したことになるのでしょう?私の母のように戦争が終わるまで神風の奇跡を信じていた人々は騙されたと感じたのでしょうか?何について?誰によって?歴史的に唯一はっきりしていることは、天皇制のまやかしを告発した左派の言説、主として共産党系のそれは、民衆のあいだでは広い支持を得られなかったということです。そうである以上、嘘、いかさま、まやかし以外のもうひとつのカテゴリーが、日本という国家の、嘘の歴史以前に、ただ単にそれ自体の歴史を説明するためにも、発見ないし発明されなければならないでしょう。(p128~129)』

 

実は、最近、プラカードやマイクを手にしながら、僕が路上で感じていたことも、ここに書かれていることに似ている。日本の民衆は、たんに誰かの「嘘」に騙されて動いたり動かなかったりするわけではない。嘘の効果は、あえて言うならば民衆自身の意志によって作り出されている。彼らは、つまり私たちは、誰かに騙されているかのようにして、まるで無力で無知な非政治的客体であるかのように、自分たちの排他的な政治体を構成し維持し続けることを好むのだ。

それは、天皇制のあり方そのものだとも言えるが、その隠れた首謀者は、実は私たち「国民」だと言うべきではないか。

この「国民」こそを、葬らねばならない。