『パレスチナ/イスラエル論』

パレスチナ/イスラエル問題の現状は、率直に言って、直視し語ることも放棄したくなるほどの惨状にあると言える。(中略)

 パレスチナは、イスラエル建国の一九四八年とその前後の「ナクバ」(アラビア語で大災厄)以降、つねに危機的であり、次々とその危機の深刻さを更新しているような状況であるため、どの時点からそれを語ればいいのか困惑する。あるいはむしろ、どの歴史的時点から語っても最悪であり、そして次の局面ではその最悪が更新されてしまうのだ。(中略)

 陸海空から封鎖され物流も制限された巨大監獄のようなガザ地区には生きる希望がない。イスラエル側から封鎖しているフェンスに近づけば殺されるか片脚を吹き飛ばされるおそれがあるにもかかわらず、パレスチナ人たちはその絶望ゆえに命知らずなデモをやめることがない。封鎖空間でなぶり殺しが進行しているにもかかわらず、国際社会はそれを目撃しながら阻止することができていない。(p11~12)』

 

 

 土曜日に、図書館に行って早尾さんの『パレスチナ/イスラエル論』(2020年)を借りて読み始めた。

しばらく読んでから、この本は以前にも読んでいたと気がついた。読んだことも、すっかり忘れてるのだ。「パレスチナ/イスラエル問題」については、無関心や忘却が、特につきまといがちであるように思う。それは、地理的な遠さや、歴史的経緯の複雑さだけが理由ではないだろう。

欧米にしたところで、決して「ホロコーストへの贖罪」というようなことがイスラエル擁護の真の理由ではないことは分かりきっているし、かといって経済的・政治的権益だけで説明できるものでもないと思う。

本書でも論じられているように、この問題が、日本国と日本社会がそこから恩恵を受けてきたものでもある現代世界の構造と核心というか、その不正義が最も集約されたものとして存在しているということに、ぼんやりと気づいていながら、いや、だからこそ、われわれはそれを意識から遠ざけて日常を生きようとしてしまうのだろう。ガザの人たちの目や叫び、そして行動は、イスラエルに対してではなく、そんなわれわれにこそ向けられてきたのだ。

このネグレクトの責任が、今われわれに突きつけられているもの、そしてこれから永久に背負って生きざるを得ないものである。(その苦しみと共に)生きることによってしか、それを果たすことは出来ないのだ。

 

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908672378