『ジャッキー・デリダの墓』

 

 

著者の師であり、畏友でもあったデリダの死から10年後の2014年に出版された本で、ずっと読みたいと思っていたが、これまで読んでなかった。 期待通りの凄い本だということは、書くまでもないだろうから、ここでは、いま思いつくことだけをメモしておこう。

デリダの死は著者にとってもちろん重大な出来事だったが、そこにはデリダの母の死、そして、著者の母の晩年の様子が関わっていたということが書いてある。 デリダの母は重度の記憶障害を経て、亡くなる1年ぐらい前から嗜眠状態に陥り、デリダはその母の傍らに付き添っていたようである。著者の母も、やはり重度の記憶障害に陥って行ったことが書かれていて、デリダはそれをずっと気にかけていたという(これは2001年頃のことで、デリダの母は90年代の初めに他界している)。

この母についての体験は、デリダの思想に大きな影響を与えた(と言ってよいであろう)。この本の内容は、どうしても(僕の読み方では)そのことが軸になってくる。思いっきりざっくり言うと、それは、後期ハイデガーの「放下」という概念にも関わるもので、デリダの「無条件的な歓待」の思想に通じている。 未来が、あるいは他者が、到来するままに任せる、ということだ。これは、この時代のヨーロッパ(と、その民主主義)が直面していた移民や難民の急増、到来という状況へのデリダなりの回答だったとも言える。

この未来や他者の到来が、ヨーロッパ的な理性、民主主義に対して、どれほど恐るべき帰結をもたらすことになるとしても、その侵犯的な到来を拒むべきではない、というのがデリダの姿勢、覚悟である。この点で、彼の思想は、(ナチスに接近した)ハイデガーやシュミットとの近接が、警戒・批判されることにさえなりうるだろう。

そしてこの当時の状況は、やがて2001年の「9・11」と「対テロ戦争」へとつながっていく。この本に収められた論考は、その時代の推移をもちろん映し出すものであり、さらにそれ以後に起きてくる様々な出来事(たとえば、ISISやトランプ)へと考えを広げざるを得なくさせるものである。

「メシアなきメシア主義」とも言われるデリダの思想は、柄谷行人の「交換様式D」のようでもあるが、それよりもはるかに危険なものだ(柄谷はあくまで「労農派」の思想家だということを、この本を読みながら思った。)。それは、(「美しい危険」という言葉が引かれているように)レヴィナスとの議論のなかで練り上げられていったものだろうとも思う。

 

ところで、ひとつ不思議に思ったことがある。著者がデリダに関して言う、「もうひとつの別の神」の系譜、可謬的であり可傷的でもある、無力な神のイメージは、ハンス・ヨナスが抱いていたという神のイメージとなにがしか重なるものだと思える。それは、誤った世界を産み出してしまい、そのことに関してもはや全く無力であるが故に、その世界についての責任を「われわれ」が代って負わざるを得ないというような、そういう神のイメージである。もちろん、その共通性のうえで、「われわれ」が主体的に未来を切り拓いていくべきだとするヨナスと、あくまで「到来するにゆだねる」こと、その危険に身をさらすべきであるとするデリダの態度とでは、正反対ではあるのだが、それにしても、そのヨナスについての言及が、デリダにも著者にも、僕が知る限りでは非常に少ないように思えるのは、どうしてなのか。これは、素朴な疑問である。

粗雑な書き方になるが、こういう神(創造神)のイメージは、やはり「母」についての私的な体験に関わっているようにも思える。ヨナスの母は、(デリダの場合とは違って)「ホロコースト」で亡くなっているのだが。