『日本人の「戦争」』




この本の原本が世に出たのは、1995年らしい。
私は不勉強で、この著者の名前さえ、ごく最近まで知らなかった。この本を読んでみようと思ったのは、ここで、日本の開戦も敗戦も「国体」の護持がその動機であったという考えが語られていると知ったからである。「革命より戦争がまし」「革命より敗戦がまし」という支配層の論理によって、開戦も敗戦もなされた、ということだ。
著者は、戦前の天皇制日本国家が「国体」と呼んだものの実質を土地所有制度にあると考え、二・二六事件や左翼労働運動によって噴出しはじめたその矛盾の根源を、改革によって解消することなく乗り切る方途として、権力者たちは日中戦争に始まる泥沼の道のりを選択したと見る。

日中戦争二・二六事件の後遺症を引きずりながら、なお国内改革に着手することなくそれを解消し、その記憶を抹消しようとして起こされたといってよい。(p110)

また、ポツダム宣言の受諾による敗戦という選択も、天皇制という機構によって支えられてきた特殊な社会構造・権力構造の温存を、その目的としたものだったことが、戦争継続による革命の危険を天皇に忠言した「近衛上奏文」なども引きながら論証される。

(前略)天皇制支配層が本土決戦に危惧したのもこの点にあった。
要約していえば、日本人は天皇の命令に従って戦い、天皇の命令に従って戦いを終えた。それが終戦だった。ここで排除されたのは、個人が自己の判断に基づいて自主的に戦い、自主的に戦うのを止める可能性だった。(p144)

こうした指摘は、たいへん鋭いと思う。
天皇制に代表されるような「場」の維持を最も(人命その他よりも)重視して、そのために開戦を選択したり、敗戦を受け入れたりするという権力構造のあり方に着目するのは、柄谷行人の日本社会分析にも通じるものだろう。それは、「家」(日本的家族)や「会社」という「場」の絶対性の論理と同型だ。
だが、ひっかかるのは、著者がこうした「改革」や「革命」を忌避する社会的な特徴を、日本人なり日本文化の本質のように捉えた上で、それを両義的に(ということは、長所としても)評価していることだ。

日本人は国民的にも、個人的にも、このように主体と責任をめぐるいわば形而上的な思考を好まない。(p145)

つまり、物事を主体的とか原理的に突き詰めず、曖昧にすることで、既定の「場」のようなものを守ろうとする精神的な態度のゆえに、「本土決戦」は回避され、敗戦(ポツダム宣言の受諾)が選択されたと著者は言うのだが、しかし、忘れてならないのは、そのことの裏面として、日本は沖縄には「決戦」を強いたということである。
このことは、著者が両義的に捉えている「形而上的な思考を好まない」日本社会の性格(それが日本的寛容さと呼ばれたりする)が、他者に対しては、最悪の暴力性を差し向ける一面を持つものだ、ということを示しているのではないだろうか。
著者は、この「形而上的な思考を好まない」日本社会の性格を、伝統的な美質でもあると捉え、近代主義だの軍国主義だのというものは、その伝統的美質を毀損する外来の悪であると考えているようなのだが、歴史の中で日本が他者に対して何をやったかを考えれば、そんな手前勝手な内と外の区分けは出来るはずがなかろう、と思う。
そもそも、「革命」や「改革」を忌避しようとし、原理的な思考を好まないという精神のあり方なるものを、「日本的なもの」の純粋なモデル、かつ専売特許のように考えようとする著者の思考のあり方に、私は、近代主義的・帝国主義的な胡散臭さを感じる。
日本人は、それほど温和で攻撃的・破壊的なものを好まない民族的・国民的本質を有した集団であろうか?「革命」を言う者ばかりでなく、「改革」や「戦争」を言う者も、その本質から外れた「非国民」として権力の周縁に置かれてきたのだと言いうるほどに、われわれの近代の歴史は「美しい」「本質」を根底に秘めたものであったろうか?


こうしたことは、「特攻・玉砕への鎮魂歌」と題された終章の議論に対する違和感につながる。
ここで著者は、吉田満の『戦艦大和ノ最期』(初出作)や吉田嘉七の『ガダルカナル戦詩集』を引きながら、次のように書く。

それにしても彼らはなぜ、かくも悲しいまでの激しさをもってあの戦いを戦ったのか。戦後日本が与えたどのような説明も解釈も、この激しさと悲しさの前にはむなしいのではないか。われわれは、もはやこの種の激情を免れた地点に生きているとして、永遠に不問の封印の中にとじこめるべきなのか。
 改めて問わなければならない――なぜなのか。ここに死に至るまでの悲しき激情があるとすれば、それは彼らへの鎮魂、むしろわれわれ自身の魂の救済のためにも問わなければならない。昔も今も、人の世はあらゆる悲しさに満ちているからであり、それへの心から共感しうる資質をわれわれの内に備えようとしない限り、歴史も社会も、さらには人種・民族を超えた相互理解も成り立ちえないだろうからである。(p238)

だが、言うまでもなく、戦争によって「非業の死」を遂げたのは戦死した日本軍の兵士だけではない。アジアや他国の死者たちの膨大な存在があるし、戦災によって亡くなった民間人の数も、もちろん膨大なものである。その中から、著者はあえて特定の死者を選び出し、それに同一化しようとしている。それは、こうして選び出されて想像されている死者の心情なるものが、すでに著者(の欲望)によって特定の政治性を付与されているということを意味する。
つまり、これは政治的な追悼なのだ。それならば、その政治的な欲望の中味がどのようなものかが、問われなければなるまい。
著者は、日露戦争期に作られた唱歌『戦友』と太平洋戦争中に作られた軍歌『同期の桜』とを対比し、その大きな違いは、前者には死んだ兵士にとって「還るべき場」があることだと言う。それは、還るべき「くに」であり、本居宣長の書物に示されているような「民俗の信仰」に根ざした空間だ、というのである。

だが、『同期の桜』で戦死した友達が再会するのは「花の都の靖国神社」である。それは時間の経過だけからいっても僅か数十年、政治的利用の対象にはなっても、到底民俗の信仰に匹敵する奥深さを具備するものとはならなかった。(p246)

靖国に対する批判は、その通りであろう。しかし、靖国の思想は、明治の初めから確実にこの国の、とりわけその戦争の思想の中心部に存在してきたものだ。
帝国主義戦争における自国の兵士の死者だけを、特権的な追悼と同一化の対象として選び出すような著者の眼差しによってでは、「民俗の信仰」の奥深さというような、普遍性につながりうる(非近代的な)領域を、まともに想像することは不可能であると思う。


ところで、本書の第三章では、天皇や指導層、及び民衆の戦争責任が論じられる。
著者は、天皇を含む日本の為政者や日本国民は、政治的・法制度的には戦争責任を負わなくてよいが、倫理的・道義的には責任を有する、と論じているのだが、その主張の含意は、日本という近代国家が有している根本的な無垢さのようなものを護持するということ、その無垢さを汚したものとして、近代主義軍国主義の反倫理性を断罪するということである。
それについての異議は上に書いた。
ところで東京裁判について、著者は、直接の戦争指導者だけを断罪することで、『日本資本主義と官僚機構に無罪の根拠を提供した』と言って批判している。
そのことを端的に示すのは、戦後政界における岸信介の復活である。著者はここで、戦犯である岸の復活と政権の安定が、不況を恐れ経済的繁栄を希求した『民衆の政治的意志の表明』であったことを強調する。

戦争、より正確には戦争気構えが景気を盛りあげることはそれまでの常識であり、事実でもあった。この期待が、岸の戦争責任を問う声をおし流した。(中略)戦争指導層の責任は孤立してあるのではなく、民衆の戦争観、責任感、道義観と不可分に結合しているのである。(p169)

これも非常に鋭い指摘だと思うが、ここでも著者はそうした民衆の心理を批判するわけではないのだ。
こうしたことがどうにも、私には理解しがたいところである。