『増補 闘うレヴィ=ストロース』

 

 

 

 本書によると、若い頃、社会党系の青年団体の熱心な理論家・活動家だったレヴィ=ストロースは、社会主義的な制度変革と同時に、あるいはそれ以上に、社会に倫理性をもたらすことを重視した。そして、ここでの倫理性とは、人間と自然との関係の重視という意味合いを強く持つものだった。

 本書中に引かれたポール・ニザンの『アデン・アラビア』を評した文章のなかにも、そのことははっきり書かれている。この小説を読んだことが、レヴィ=ストロースがブラジルに渡り、先住民の人々の暮らしのなかに分け入って調査を行うことの重要な契機となるのだ。

 本書の大きな特徴は、その長い人生の、特に若い時代をはじめとして、レヴィ=ストロースの文章や発言が数多く引用・紹介されていることだが、百歳を越えて生きた彼の、人類学者という生き方を決定づけたものが、若くして亡くなった(優れて政治的な)文学者の作品への共感と反論であったことは、感慨深いものがある。

 

 

 またレヴィ=ストロースは、ブラジルから帰国した後、第二次大戦中に書かれた文章の中で、フランスがナチス・ドイツに軍事的に敗北した責任を、社会革命という目的を放棄してブルジョワに同調した労働者階級の指導層にある(人民戦線内閣のことだろう)と主張しているのだが、そのような見方の根底にあるのは、ナチスの暴力は、欧州が非欧州に対して(植民地支配によって)振るってきた暴力を欧州の内部に転化したものに他ならない、という考えであったという。

 その根本的に暴力的(非倫理的)なあり方を改めなければ、ナチスの暴力に対する抵抗も皮相なものにとどまるしかない、ということだろう。

 

 

『文明世界が自分以外の世界すなわち植民地を支配しようとして作り出した関係の構造が、文明世界そのもののなかに凝縮して反復されたのが世界大戦であり、それによってもたらされた「ある種の国際的内戦」の解決には、世界全体として支配の構造を解体せねばならない。これが、国際的内戦の時代にかろうじて世界の余白に自分たちの宇宙を維持し生活を営んでいた人々を見届け、そこに侵食するデフォルメされた文明世界の背後に、自分のよってきたる文明の退廃を透視するというレヴィ=ストロースが獲得した遠近法だった。(p121)』

 

 

 西洋(それはレヴィ=ストロース自身でもあるが)の根幹をなしている、自然と隔絶した破壊的な生のあり方、思考の方法からいかに脱却し、他者や自然との倫理的な関係を回復していくかということが、レヴィ=ストロースのテーマになったのだろう(1970年代以降に彼の思想が大きな影響力を持った理由が分かる)。

 この、破壊的である西洋的な思考の特性、それをレヴィ=ストロースは「同一性」という言葉によってつかもうとしたようだ。他者を自分のなかに回収して消化(消費)してしまおうという意志。これは、レヴィ=ストロースの用法とは違うかもしれないが、むしろ魯迅が使ったような意味での「食人」的な論理、とでも呼べそうなものだ。マルクス主義者なら、それを資本主義の論理そのものだというかもしれない。

 だがレヴィ=ストロースは、それを、彼自身でもある西洋的主体の「倫理」の問題、「(深い)内面」の次元の問題に置き換えてしまう。というより、思考のあり方の問題として設定するのである。

 これが、構造主義と呼ばれる態度だが、ここで「同一性」の論理の代表として特にとりあげられるのは、「歴史」という概念である。

 

 

『ここで注目しておきたいのは「構造」とは、いわば「変われば変わるほど変わらないもの」という逆説的なものだという点である。それは、「変われば変わるほど変わるもの」、レヴィ=ストロースの言葉を使えば、変化することで「崩壊」に向かう「歴史」とは対照的な何かなのだ。(中略)いずれにせよ「歴史」とは質の異なる変化としての「変換」というものを考える可能性を求めて、レヴィ=ストロースは「構造」という着想にいたったのだということを確認しておこう。(p25~26)』

 

 

 レヴィ=ストロースにとっての「歴史」とは、変化(同一化)による破壊と崩壊の過程と、ほぼ同義に考えられていたことが知られよう(それは、思考のあり方としては、コギトと呼んでいいだろう)。そして、そうした破壊の現実にコミットする(それでは「歴史」の一部になってしまう、ということか?)のではなく、そこから距離を置いて、この破壊の過程の外部にある生と思考のあり方を、他者のなかにも、自分自身の内部にも見出そうとした。そう言えるのではないかと思う。

 この辺がどうも、私にとってはレヴィ=ストロースという人の(そして、構造主義というものの)分かりにくさである。ここで言われている「倫理」とは、(西洋的な)思考のあり方という、きわめて抽象的な次元に限定されるものではないのか。

 彼がなぜ、「思考」(構造)という次元に関心を限定したのかというと、それは自分自身が有しているコギトの暴力によって対象を破壊してしまうことを恐れたからだろう。その恐れ、繊細さが、彼の「倫理」性の内実なのだと思う。

 だが、その限定によって、確かに存在しているはずの、歴史的な主体の倫理性というものが放棄される。私には、そういう風にしか思えない。

 このことは、レヴィ=ストロースをはじめとするフランスの人類学者たちの多くが、南北アメリカ大陸という直接にはフランスの植民地主義の暴力をそれほど蒙ってはいない土地の先住民を、その研究対象としたこととも関係しているように思える。なぜ、彼らは、自国の植民地支配の被害者であるアフリカの先住民に目を向けることを忌避したのか?「構造主義」は、果して、その自分たち自身の意識の(そして「倫理」の)深層に届く射程を有していたのか?

 

 

 

 さて、それはともかく、西洋的思考の特徴である「同一化」の論理の外にあるような、その、いわば「他者の思考」のあり方を具体的に示しているものとして、(第二次大戦後の)レヴィ=ストロースが着目したのが、「神話」であったようだ。私は、こうしたレヴィ=ストロースの仕事に関して無知だったので、このくだりは大変興味深く読んだ。

 ナチスの時代を体験したレヴィ=ストロースの同時代人たち、例えばベンヤミンカッシーラーにとって、「神話」とは人を同一性のなかに巻きこみ破滅させてしまう怖ろしいものだった。

 だがレヴィ=ストロースは、「神話」というもの、なかでもトーテミズムに対して独自の解釈を与えることによって、「神話」を同一性の論理から解放し(彼にとっては、フロイトなどによるトーテミズムの「科学的」解釈も、この同一性の論理としての「神話」の一種に他ならなかった)、もう一つの方向、いわば変身と混交の論理に読みかえようとしたようだ。

 これは、レヴィ=ストロースの仕事のなかでも、もっとも魅力的な部分ではないかと思った。

 

 

『神話はそれ自体は意味を欠いた、しかしそれ自体以外のものに意味を与える解読格子であり、その構成単位はしたがって意味を欠いた音素に相同であり、多様な交換関係を産出しうるものとみなされなければならない。そしてさらに(引用者注 レヴィ=ストロースは)こう付け加えている。「これらのばらばらなデータ〔種々の疑問〕は互いにうまく結びつかず、たいていは衝突する。神話によって提供される理解可能性の母型は、それらを分節して首尾一貫した一個の全体とすることを可能にするのである。ついでに言えば、神話に与えられるこの役割は、ボードレールが音楽に付与しえた役割にそのまま通じることがわかる。」(p160~161)』

 

 

 ここで言われている「種々の疑問」というのは、例えば、「人はなぜ死ぬのか」というような根本的な生存の条件に関わる問いである。神話は、そうした種々の疑問に、整合的な答えを与えるものだ、というわけである。

 

 

『しかし歴史的出来事を構造に吸収してしまうトーテム的分類の論理は、けっして凝固したものではなく、歴史変化とは異なる多様な構造変換の可能性を開いている。(p189)』

 

 

『自然と文化を媒介して多様な社会構造の生成を可能にし、また集団と個体を媒介する種操作媒体によって成り立つトーテム的分類の体系は、社会を自然のなかに統合する方向をもっているといえる。(p191)』

 

 

 あるインタビューのなかで語られた、レヴィ=ストロースの次の発言は、特に印象深い。

 

 

『「先ほど神話について語りましたが、民族学者にとって神話とは何か述べてみましょう。南北アメリカのどのインディアンに「神話とは何か」と聞いてみても誰からも次のような答えが返ってくるでしょう。それは動物と人間が実際には区別されず、人の姿と動物の姿のあいだでどのようにも変えられた時代に起こったことの物語なのです。私たちにとってほとんど悲劇的ともいうべき真実とは、人間の条件には何かしら悲劇的なものがあると思うからですが、それは私たちが私たちと同様に生きていながら、意思疎通できないものたちと間近に接して生きている、ということなのです。神話の時代とはまさにそれが可能だった時代なのです。」(p194~195)』

 

 

 なお、この「増補」版には、レヴィ=ストロースを、大先輩のマルセル・モースとあわせて論じた文章と、弟子にあたるクラストルと比較した文章とが新たに収められていて、どちらもたいへん興味深い。

 (また、レヴィ=ストロースが7、80年代に社会生物学に対して厳しい批判をしていたということがちらっと書いてあり、どんな内容だったのかも気になった。)