『出口なお』

出口なお (朝日選書)

出口なお (朝日選書)



大本教の開祖にあたる出口なおは、江戸時代の終わりに生まれた人だが、想像を絶するような貧困と忍従の人生を送った末に、神が身体に降りてきて予言の言葉を語るという「神がかり」によって宗教を開くことになった。
本書の重要な論点のひとつは、なおの苦難の人生体験と、その宗教の内容・性格とがつながっているものだ、ということである。

大本教が終末観的変革願望をもっともよく体現しえたという事実は、民衆宗教の教祖のなかでも、大本教の開祖出口なおの生活史がとりわけ救いのないすさまじいものだったという事実に、照応するものである。(p10)

著者、安丸良夫は、そこに幕末から明治にかけての急速な近代化の過程に対する、最も虐げられた境遇の民衆(とりわけ女性)の、怒りと願望とを見るのである。
貧困ということだけでなく、家庭や共同体などの生活の場における抑圧が、メシア的な変革願望を育むという意味で、私はなおの伝記的部分を読みながら、ドイッチャーのスターリン伝を思い出していた。
スターリンもまた、ロシアの革命家たちのなかでは例外的に貧しい、少数民族の、しかも家族の愛に恵まれない抑圧的な環境で育った人だったからである(レーニントロツキーは、はるかに恵まれていた)。
「抑圧」と、メシア的な変革願望との関わり(とりわけ、その信奉者たちにとっての、ということだが)という点で、ここには何か考えさせられるものがあるように思われる。
ドイッチャーは、ロシアの抑圧された民衆に潜在するある種のナショナリズムこそが、スターリンの体制を支えたのだ、という見方をしていた。そのような人々の暗い情念をひきつける力が、なおの宗教にはあったのではないか。それは、天皇に対する臣民・国民一般の信仰と、本当にそれほど異質なものであろうか?
こうしたことについて、後ほどまた考えたい。


また、もう一人、思い出されるのは、シモーヌ・ヴェイユのことである。
それは、生活の中で経験される様々な苦難が、なおにおいては、神の到来の絶対的な条件のように意味づけされているということ、そのことが、ヴェイユの思想を彷彿とさせるからだ。

なおの神学では、徹底的に零落してあらゆる苦難をなめることが、これまで世に知られていなかった神について告知する者の「因縁」なのであり、こうした苦難こそ偉大な使命の根拠だった。(p102)

こう考えられたのは、なおの神そのものが、原初の出来事によって零落し、この世の底辺に打ち捨てられ、隠された存在に他ならなかったからである。
その、いわば貴種流離的な神を、わが身に到来させることによって、現世を神が復権する世の中へと作り変える(変革する)ための根拠として、自分の「苦難」というものに神学的な意味づけがされている。
そこでは、なおのこれまでの人生の苦難が意味づけられていることはもちろんだが、そればかりでなく、修行や苦境によるさらなる苦難も、なお自身にとっては、むしろ積極的に求めるべきものとされていくのである。

貧しさ、愚かさ、醜悪さ、劣等感覚などとして存在していたはずの苦難を、こうしてあざやかに転換させ、かがやかしい意味をあたえたところに、なおの創造性があるのだといえよう。(p154)

そして、なおの中に到来するその神は、元来は男の神(「艮(うしとら)の金神」)であったようだ。この神の到来は、なおにとっては苦痛であったのだが、その苦痛である到来によって社会変革の必要性を予言することが、なおの神学的使命であると信じられたわけである。
なおには、「神=男性=苦難を強いる存在」という等式があり、その存在のために自分が苦難を忍ぶという行為を、積極的に意味づけたいという欲望があったのではないだろうか。この点が、特にヴェーユとの異同が特に気にかかる点なのである。
女性が置かれた不利な社会的位置と、民衆宗教との一般的なつながりの深さについては、本書のなかでも論及があるのだが、そのなかでも、なおとヴェーユとにおけるそれは、何というか特別に力動的な要素を帯びているように思われるのである。つまり、大衆の押しこめられた情念とか欲望、願いといったものに、深く突き刺さっているような気がする。
もちろん、この二人では、特に権威や権力ということに関して、正反対の方向に進んだということは、確かであろうけれども。『根をもつこと』のなかで、ヴェーユが、自由主義ブルジョア民主主義社会の欺瞞と引き比べて、むしろヒトラーにいくらかの同情を寄せていたことも、なおの社会批判のあり方を想起させるものがあるのだ。


ところで、なおの教えの大きな特徴を、著者は、その破壊的な否定と転倒の情念の激しさに見出す。
そこでは天皇の支配は、虚偽の体制であるとして、伊勢信仰と共に(例の「天岩戸」のはかりごとが引き合いに出されるのだが)非難・否定され、その天皇を掲げて西洋文明の導入によって近代化を押し進める明治政府の存在も、「神国」を汚すものとして激しく糾弾されるのである。
著者の言う、天皇否定の「原神道」のイデオロギーによる近代化批判、西洋文明批判、政府攻撃である。
たとえば、よく言われるように、近代化が、手工業を破壊することによって、なおのような女性たちから自立的な生活の方途を奪い、男性に従属し、家族のなかで忍従することによってしか経済的に生きていけない条件を作り出した、という歴史的現実がある。なおのように、夫に生活力がなかったり、早く死別してしまったりした場合には、そのような存在である近代化過程の女性は、たちどころに生存の危機に直面するのである。
そういう世の中の不正(非道徳)なあり方に対する、貧しい民衆の漠然とした不満や怒りが、なおの宗教のような社会批判的な教義を生み出すということは、理解しやすいところだろう。
だがそうした、明治期の諸宗教のなかでも、なおの予言・霊言に示された、政治体制や社会の現状への否定・変革願望の強烈さは、群を抜くものだったのだ。近代化によって古き良き秩序を破壊していく明治政府と、その旗頭であり、善なる神々を片隅に押しこめて抑圧した悪しき伊勢の神々(天照大神など)の子孫である天皇は、なおの「原神道」の教義において厳しく断罪されるところとなったのである。


このような、なおの宗教の否定・転倒の力の激しさは、後継者である王仁三郎との対比において鮮明に描かれる。
本書によれば、なおの神の言葉は、「筆先」と呼ばれる、「神がかり」したなお自身によって自動書記的につづられた膨大な手稿によって示され、残された。読み書きをまったく知らなかったとされる彼女の手になるその文章は、全てひらがなと、表音的に用いられた漢数字との混交による、判読も困難なものであるといい、多くの人に伝達されにくいものであった。著者は、このことを、『なおの言語は耳からはいったものなので』という風に述べているが、その表現においても、内容や論理においても、一般化されることを拒むような性質の言語だったと考えられよう。そのため、約二十万枚に及ぶという「筆先」の言葉が重視された時期は、大本教の歴史のなかでも、実は極めて短いのだ。
王仁三郎は、この一般化を拒むような、秘教のごとき、貧しい「無学文盲」の女性が書いた、いわば非言語的な言語を、近代的な体系に書き換えることで、その教義を広く一般社会に広めたのである。
ここには、言語的な伝達が困難な思想と、それをあえて言語化して代理的に広く伝達しようとする者との間の関係があるといえよう。
王仁三郎の宗教は、基本的に近代化・文明化と接合可能な、(平田篤胤由来の)国家神道説の系譜のものであり、明治国家の政策とも、大正期の進歩思想とも、さらには皇道ファシズムとも、次々に合体することが可能だったようである。まさに、「日本的ポストモダン」であろうか。よくいえば、我が国得意のシンクレティズムだ。こうした特徴のゆえに、王仁三郎の大本教は、時代の流れのなかで大衆に受け容れられて爆発的な発展を遂げる。
それが、なおの「原神道」の激しさや純粋さとは相容れないものであることは、了解しやすいだろう。
王仁三郎によって、言語化・一般化され、広く伝達されるものに変えられたことによって、「筆先」の思想の本質的な部分が失われた、という解釈が成り立つ。
それは、さらに抽象していえば、日本的な近代化の論理による、物言わざる民衆(大衆)の精神の抑圧、あるいは略取という構図である。


だが、ここが大事な論点だが、著者の安丸は、この両者の差異を、「国家神道説→天皇国家主義」の枠内にとどまった故に皇道ファシズムに接近していった王仁三郎と、天皇を悪とする考えを持つことで国家の過誤から超脱した位置を保持しえたなおの宗教との違い、という形で捉え、後者を理想的に見るのである。

筆先の思想も、日本こそ真の神の住居すべき国として、神国=日本の立場にたつともいえるのだが、しかしそれは、現実の日本(天皇制国家)を救いがたい悪として糾弾するものであり、そこに根本的な違いがあったのである。(p223)

筆先には、日本を清らかな国だとかゆたかな国だとかのべて、神国日本を価値化する素朴なナショナリズムが流れているが、しかしそれは、現実の日本を「悪の世」「獣類の世」とのべて拒絶するための立脚点なのであり、天皇や国家権力は、「悪の世」「獣類の世」をもたらした当の責任者としてもっとも糾弾されねばならないものにほかならなかった。(p203)

このように述べて、安丸は、なおがその「筆先の思想」において開陳した農本主義的とも呼べる理想郷(ユートピア)を、『封建性にも資本制にも対立し、観念的にではあるが民族と国境をこえる』(p208)可能性をもった想像世界として称揚し、そこに日本の民衆が歴史の中で育んできた反権力的な想像力の結晶化を見出しているのだが、果たしてそうであろうか?
この点が、私には最も疑問のあるところである。なおの宗教は、天皇制国家の外部に、それから超脱した、あるいは対立するものとして存在していたといえるのだろうか?
彼女の宗教が、日清戦争から本格的に始まった日本の対外戦争の歴史と強くリンクしており、本質的に排外的な傾向を帯びていたことは、著者も明言している(p197〜198)。王仁三郎の大本教が皇道ファシズムに接近した(「大正維新」)というのも、このなおの大本教の性格を継承した結果だと考えられるのである。
では、このような、なおの宗教の排外性は、どこに起因しているのか?
その答えは、本書の前半に書かれているといえる。なおが依拠していた観念、そして著者がきわめて大きな意義を見出すところのものが、封建社会(特に江戸後期)以来培われてきた、民衆の「通俗道徳」であった、ということだ。

なおのような最底辺部の無学文盲の民衆の立場からは(中略)、欧米列強による衝撃のもとで、天皇制国家の強権的主導権のもとに近代化してゆく日本社会の動向が、全体として「金銀の世」「利己主義(われよし)の世」「獣類(けもの)の世」ととらえられたのである。(p69)

いまこうした生活思想を、「通俗道徳」的な自己規律・自己鍛錬とよぶとすれば、こうした形態をとった自己規律・自己鍛錬こそ、封建社会から近代社会にかけての日本社会の転換をその基底部でささえた民衆的エートスであり、民衆の精神的な自立のかたちであった。(p70)

つまり、なおの「神がかり」とその教義の根底にあるのは、「通俗道徳」を内面化した日本の民衆の「エートス」であり、その道徳や秩序を壊し、人生における「努力」や「忍従」といった事柄(苦難)に付与されてきた伝統的な価値を損なわしめるものとして、天皇制国家による近代化・西洋化が排撃されるというのが、なおの宗教の排外性のロジックなのである。
そして、繰り返すが、なおの宗教にこめられた、その日本の民衆の精神(エートス)に、著者は日本のナショナリズムの肯定的な可能性を見出しているのである。

こうしたユートピアの成立は、日本の民衆が、幕藩制国家とも天皇制国家とも異なった、より根源的な解放をめざして自らの諸価値・諸理念を自立化させてきたことをものがたるものにほかならないといえよう。(p209)

なおは、日本の民衆が歴史のなかで育ててきた資質を、あるつきつめたかたちでうけつぎ、そこに拠点をすえて、みずからのはげしい苦難からかぎりないほどゆたかな意味をくみとり、私たちの世界のもっとも根源的な不正と残虐性とにたちむかったのであった。(p250)

だが、この「通俗道徳」を内面化した心情が、資本制や近代天皇制の「根源的な不正と残虐性」の外部にありうるものだったかというと、私にはそうは考えられない。
実際、近代日本の残虐な対外戦争の全ては、農村をはじめとした民衆的エートス天皇制国家の支配とを折衷的に接続した教育勅語の論理によって遂行可能となってきたのではなかったか。
「通俗道徳」によって可能とされた「苦難」や「忍従」の価値づけが否定されたからといって、攻撃性を他者に向けるような排外性の論理と心情は、所詮国家の磁力に迎合していくしかないものなのである。
こう考えると、問題であるのは、著者が描いている「物言わぬ大衆」の像であるように思えてくる。王仁三郎に体現されたような天皇制国家の近代的論理によって、それは抑圧・略取されたと著者は見る。だが、このような、苦難や忍従や無知・無学を、道徳によって価値づけることで肯定しようとするような民衆の生の姿は、そうあってくれることを欲する者の欲望の中にしか存在しない幻想ではなかろうか?
「物言わぬ大衆」の像は、ある日、「大衆」が遂に物を言い始めることを恐れ、抑圧しているのである。