『日本の政治』を見て

 

いま、神戸映画資料館というところで、戦後の労働組合の映画の特集上映をやっていて、昨日の土曜日はその第一回目ということで、見に行った。

僕が見たのは、1949年に国労が作った『号笛なりやまず』から、1960年の三池闘争の映画までの何本か。

感想は、いろいろあるんだけど、一点だけ書いておくと、これは59年に全逓(この頃の全逓は、最も闘争的な労組の一つと言われてたはずである)が作った、『日本の政治』という、当時の岸政権を批判する内容の記録映画がある。

60年安保の前年だが、この時代はまだ高度成長以前で、日本でも「貧困」(他の映画でも取り上げられていた九州の炭鉱などで貧困に苦しんでいたのは、「日本人」ばかりではなかったはずだが)が政治批判の重要な材料となっていたことも分かる。映画では、岸政権の対米従属姿勢(アイゼンハワーに愛想を振りまきながらゴルフをし、戦闘機などのバカ高いものを買わされて、米国資本と軍事に奉仕することで権力維持する首相の姿)、その一方で、貧困に苦しむ庶民の姿、組合員や教員などに対する右翼の暴力、そして、それ以上に恐ろしい暴力的な集団としての「国家公安警察」(デモ隊役と警官隊役に分かれて、楽し気に鎮圧の訓練をする映像も、今と同じだ。もっとも、「デモ隊」の掲げてるプラカードに「給与を上げろ」と書かれてたのには、ちょっと驚いたが。そういうデモも力づくで抑え込む気だったんだな)などが次々に映し出される。

 

それは、岸の孫が首相として長期政権をやっている今の日本の姿にあまりにも似ているのだが、同時に思うことは、それを批判する描き方も、変わっていないということだ。

それは、進歩がないとか、代わり映えがしないからいけないという意味ではない。

だが、政権批判は、そこでは、かつて戦争を行った日本の社会や、労働者を含む国民自身につながる重さを、必ずしももっていない。

岸の政治姿勢を批判し、「この道はいつか来た道」というナレーションが流れるのだが、そこでオーバーラップされる映像は、今と同じく、ヒットラーである。つまり、岸(そして安倍)という敵の表象は、この天皇制国家日本がかつて行った、実際の戦争に重ねられることは、微妙に回避されている。

続いて映るのは、「広島・長崎の惨禍」であり、あくまで「戦争の被害者」としての国民のイメージだ。被爆した多くの朝鮮人や中国人のことが省みられることは、(今でさえそうななのだから、当時はもちろん)当然ながら、ない。

 

そういうわけで、政権批判の言葉やイメージが、国民自身、私たち自身の加害性への反省に基づくということは、この時代の運動においても、こうしたマクロな局面に限っていう限りは、まるでなかったということがわかる。

こうした批判や抵抗が、天皇崇拝や国民中心主義・排外主義、あるいは経済(豊かさ)絶対主義のようなところに収斂されて衰退していくのは、ある意味、当然なことではないかとも思えた。

炭坑や、鉄道をはじめとした、闘争と生活の現場で無残に敗れ、死んでいった数多くの労働者やその他の人たちのことを考えれば、なおさらそう思えるのである。