『思索と経験をめぐって』

思索と経験をめぐって (講談社学術文庫 52)

思索と経験をめぐって (講談社学術文庫 52)

かの女は急に頭をあげて、ほとんど一人言のように言った。「第三発目の原子爆弾はまた日本の上へ落ちると思います。」とっさのことで私はすぐには何も答えなかったが、しばらくしても私はその言葉を否定することができなかった。それは私自身第三発目が日本へ落ちるだろうと信じていたからではない。ただ私は、このうら若い外人の女性が、何百、何千の外人が日本で暮らしていて感じていて口に出さないでいることを、口に出してしまったのだということがあまりにもはっきりわかったからである。(中略)胸を掻きむしりたくなるようなことがこの日本で起こり、そして進行しているのである。(p121)


この本を読むと、森有正は1960年代の中頃までは、日本には西洋(フランス)と違った「経験」の別種の質のようなものがあり、それに応じた民主主義なり近代社会なりの形成が可能だという考え方だったようだ。
だが、しだいに、それは「日本独自のもの」などということではなく、たんに「経験」と「社会」の欠落なのだという絶望的な認識に変わっていった。
それを象徴的に示しているといえるのが、1970年に書かれたエッセイ「木々は光を浴びて」のなかの上記の一節だろう。
なぜ、日本(日本人)には「経験」が欠落していて、したがって近代社会の形成も不可能なのか。この本に収められたいくつかの文章では、そのことがフランス社会との対比を糸口の一つとして、語られている。
1966年に書かれた「ルオーについて」では、フランスでは、木工職人や家政婦やオルガン奏者といった市井の人々の、日常の仕事のルーチンの積み重ねが、その政治社会の土台になっているということが、深い感慨を込めて述べられている。

思想は、思想から出発したら全然駄目なのです。(中略)ここのところが非常に大切なので、道徳が生活を縛りつけ、律するというよりも、生活そのものの姿に道徳性があるのです。道徳と邦訳されているモラルという言葉が、(略)「自然あるいは獲得された習慣」という言葉から出ていることは周知の事実です。しかも辞書が定義しているように、この習慣は、単なる動物的習慣ではなく、「善いことと悪いこと」とに関する判断の習慣だと言うのです。(p134)

1967年に書かれた「変貌」には、まだ上に書いたような、日本社会に対する両義的・留保的な見方がうかがえるが、その背後にあるのは、西洋の社会原理の一つである「生存競争」を、批判し抵抗する力が、日本の特殊性(なぜ日本に限るのかは、分からないが)の中にあるのではないかという期待があったからだろう。その力の原理は、「共生」という言葉で呼ばれている。

生存競争が苛烈だからアンゴワッス(苦悩)が起こるのではなく、逆にアンゴワッスがあるから、激烈な生存競争が起こるのである。このように社会は、一つの巨大な蜜蜂の巣のように、無数のアンゴワッスの膜が垂れ下って底まで貫いていて、その膜にぴったりと囲まれた狭い空間が一人一人の個人である。これが西欧の巨大な経験が定義するところである。(中略)そして、日本人の共生に究極する経験に根本的に欠けているのは、このアンゴワッスのトナリテであり、それが欠けていることと共生とは、実は同じことなのである。(p77)

こういう風に個人と社会とが弁証法的に成立しているヨーロッパの社会においては、孤独は、異常な強さで個人を圧倒する。個人は自己一個の重みを支えているだけではない。自己一個であることにおいて社会全体の重みを受けるのである。(中略)逆に社会とその連帯の強さについても、異常なものがある。(p81)

また、このエッセイには、日本社会についての森の基本的な捉え方を示す、次のような一節も、すでに書かれている。

それは、経験と実存との関連が、後者(西欧の社会)にあっては、正に一人の人間を定義するものであるのに対して、前者にあっては、すなわち日本の社会にあっては、複数、その極限においては、二人の人間を定義するものである、という事実である。(p65〜66)

日本人は、個人としてではなく、「複数」(というより、個人の否定)によってしか物事を体験しない。だからそれは、決して「経験」になることはなく、したがって「歴史」も「近代社会」も成立しない。これが、森の言いたいことなのだ。
最後に収められた「経験について」(1970年)は、講演録であり、このような森の日本社会に対する認識が、平明で明晰な言葉で語られていて、強い印象を残す。
僕がいちばん驚いたのは、以下のようなエピソードだ。
森は、横断歩道などで車にひかれそうになった時、日本人であるわれわれは、運転手の顔を見るという習慣がないことに着目する。外国(ヨーロッパ)では、運転手の顔を見るのが普通なのだそうである。
実は、僕も最近、自分でこのことがすごく気になっていたので、ここを読んだ時には、思わず声をあげたものだ。
それは、個人対個人という関係において社会が成り立っているか否か、という違いなのだろう。
そのことを、森は次のように表現している。

日本ではちょっと危ない。というのは、運転手も通行人が自分の顔を見るものとは思っていないから。それはつまり、変な例を引きましたけれど、結局、物事を一つの判断の形でつかまえるか、あるいはイメージで反応を起こすか、ということですね。日本語の場合は、文章として物事をつかまえるという点において、非常に弱いのではないだろうか。(中略)それがどういういきさつで、それがどういう問題かということを自分の文章においてとらえるということをしない。ですから、現在のいろいろな問題も全く同じことだと思います。原子爆弾にしたって何にしたってそういう問題からとらえていかなければならない、と考えるわけです。(p198〜199)

この講演の最後の言葉には、森のメッセージが見事に集約されていると思う。
同時に、そこには、森が行き着いた、日本社会の変わらないあり方に対する深い絶望と、個々の若者に対する期待とが込められていると思うのである。

ある内的促しということは、つまり自分の外に出たいという考えです。(中略)そういう一種の内的促しによって、私どもは右にも左にも動く。その一番大事なことは、日本という国は昔から内的促しを殺しに殺し続けてきたのです。内的促しとはつまり、一人の人間が個人になるということ、その人になるということ。それはなぜかと言いますと、さきほどの二項方式の問題になるわけです。その人が本当に個人になれば、その人は社会にとっても、天皇にとっても親にとっても他人になりますから、それを日本人は恐れるのです。それを恐れてはいけない。一人一人の人が、私の友達が、あるいは親が、兄弟が、恋人が他人になることを恐れてはだめです。他人になるということはその人が自分になるということなのです。そのことを十分に皆さんに理解していただきたいと思います。(p209〜210)