『生政治の誕生』(読了)


(承前)
フーコーは、自由主義(経済的自由主義。先に述べたように、ルソーに代表されるような、人権や革命につながるような自由主義のもう一つの側面とは、分離は出来ないものの、一応分けて考えていいだろう)というものを、ホモ・エコノミクス、つまり経済的人間をモデルとする政治・経済思想として捉える。それは、次のような思想である。

結局、経済学は、合理的行いに関する分析ではないのか。そしてあらゆる合理的行いは、それがどのようなものであるにせよ、経済分析のような何かの管轄に属するのではないのか。(p331)

人間のすべての合理的行為は経済学の論理で説明し尽くせるというわけだが、この思想は、さらに進んで、非合理的反応を含めたあらゆる人間行動を経済の論理で一元的に分析・予測できるという考えにさえ至るものだという。

ホモ・エコノミクス、それは、現実を受容する者であるということ。(中略)したがって経済学は、環境の可変項に対する反応の体系性に関する科学として自らを定義することが可能になるわけです。(p332)

ここまで行くと、行動科学と経済学(主義)の違いがよく分からなくなるが、フーコーが特にアメリカの新自由主義を問題にするとき、それはやはりアメリカの行動主義の思想のようなものを考えに入れてるのではないかと思える。
そして、これは余談だが、以下に展開されるフーコーによる、英米自由主義者の思想の解説には、やはり20世紀前半の米国の行動主義的な哲学の影響を受けた西田幾多郎の著述を思い出させるところがある。
さて、フーコーは、自由主義の要であるホモ・エコノミクスというモデルの起源を、自由主義思想の誕生と同時期に出現したイギリス経験論のなかに見出す。というよりも、自由主義と経験論は、同時代的に密接に関わってるということだろう。
フーコーによれば、経験論が思想史上初めて提起した「主体」像とは、次のようなものである。

還元不可能であると同時に譲渡不可能であるような個人的選択の主体として現れる主体(p334)

このことを、フーコーは、経験論の代表的哲学者であるヒュームの(実際、ヒュームとアダム・スミスは親友だったそうだが)、『私の指の切り傷よりも全世界の破壊を選ぶとしても、それは理性に反することではない』という有名な言葉を引きながら、説明している。
心地よいとかそうでないといった「私の感情」は、それ以上還元できない、私の選択の根拠だということ。いかなる倫理・道徳によっても、理性の言葉によっても、それを断罪することは出来ないという、西洋思想史上、まったく新たな主体についての考え方。
そして、この主体はまた、譲渡不可能でもあるというのは、法権利や社会契約といったものとは根本的に異質な存在だという意味である。

利害関心の主体は、したがって、法権利の主体に対し還元不可能です。(中略)法権利の主体は、定義上、否定性を受け入れる主体、自分自身の放棄を受け入れる主体です。(中略)これに対し(中略)利害関心の主体の方は、それと同じメカニズムに従うものでは全くありません。(中略)一人ひとりが自分自身の利害関心に従うことが可能であるばかりでなく、そうすることが必要でもある。一人ひとりが自分自身の利害関心に従い、それを最大限に押し進めようとすること。そこから出発して、他の人々の利害関心は、ただ単に保存されるだけでなく、まさにそれゆえに増大することになるだろう、と。したがって、経済学者たちが機能させるようなものとしての利害関心の主体とともにあるのは、法権利の主体のあの弁証法とは全く異なるメカニズムであるということになります。というのも、それは、利己主義的メカニズム、直接的増大のメカニズム、いかなる超越性もないメカニズム、一人ひとりの意志が自然発生的にそして意志的ならざるやり方で他の人々の意志および利害関心と調和するようなメカニズムであるからです。(p338〜339)

「自分自身の放棄を受け入れ」ないということは、精神分析の言葉で言えば、「去勢」を拒むということになるだろうが、経験論が提示するのも、(経済的)自由主義思想が前提とするのも、そうした主体であり、それに基づいた「利己主義的」社会観なのだ。
ルソーの社会契約論はもとより、これではほとんど立憲主義とも相いれないように思うのだが、どうなのだろうか?
実際、国際社会を見ていても、国内を見ても、自由主義全盛と言われる今日の世界は、「自分自身の放棄を受け入れない」ことを旨とする(われらの)社会の代弁者のごとき指導者や政治家が、覇を競っているようにしか思えないではないか。


さらにフーコーは、アダム・スミスの「見えざる手」に言及して、こうした自由主義の経済主体(ホモ・エコノミクス)が要請するのは、市場(経済世界全体)の認識不可能性なのだということを指摘する。
フーコーの言っていることは、この辺から、先述の捉えにくさの印象が出てくるのだが、それは自由主義思想の持っている神秘主義的(ロマン主
義的?)な性質に起因するのだろうか?

不明瞭さ、盲目性が、あらゆる経済主体にとって絶対に必要である、ということです。(p344)

経済的合理性は、プロセスの全体性の認識不可能性によって包囲されているだけでなく、その上に基礎づけられてもいるということ。ホモ・エコノミクス、それは、一つの経済プロセスの内部において可能であるような合理性の唯一の小島であり、経済プロセスの制御不可能性は、ホモ・エコノミクスの原子論的行動様式の合理性に対して異議を唱えるどころか、逆にそれを基礎づけるものであるということです。(p347)

ここでフーコーは、世界全体の認識不可能性を明言し前提とするそうした経済的自由主義の思想が、カントの批判哲学と同型的なものであることを指摘する。この時期のフーコーが、カントに多大な関心を寄せていたことを、ここを読んで思い出した。

これより少し後の時代に、カントは、人間に対し、あなたには世界の全体性を認識することはできないのだ、と語ることになります。政治経済学はその数十年前に、主権者に対し、あなたもやはり経済プロセスの全体性を認識することはできないのだ、と語っていたのでした。(中略)私が思うに、これはやはり、もちろん経済思想の歴史において、しかしとりわけ統治理性の歴史において、非常に重要な地点のうちの一つです。(中略)十九世紀および二十世紀のヨーロッパにおける自由主義思想と新自由主義思想のあらゆる回帰、あらゆる反復は、依然として、経済的主権者の存在の不可能性の問題を提起するためのある種のやり方なのです。(中略)アダム・スミスの政治経済学、経済的自由主義は、そうした政治的企図の総体からの価値剥奪を構成しているのであり、さらにラディカルな言い方をするなら、それは、国家とその主権にもとづくような政治理性からの価値剥奪を構成しているのです。(p348〜350)

全体を認識することの不可能性と、自由主義的な主体、そしてカント主義的な自由というものとは、重なっている。
それは、政治システムのある種の転換、少なくともモード・チェンジの基盤となっていくような思想の要素みたいなものであろう。フーコーの分析は、その(70年代末に顕在化した)時代の動きを鋭敏に捉えているのだと思う。



さて、最後の日の講義で(初めて書くが、この本は何日間かにわたる連続講義の記録なのだ)フーコーは、アダム・スミス以来の自由主義の政治が生み出した、統治のための不可欠の装置として、「市民社会」という存在を見出し、論じることになる。
市民社会は、資本主義が発達してきた当時の社会において生じた新たな統治の課題に応えるものとして、いわば産み出されたのである。

経済主体に住みつかれているという不幸もしくは利点を持つ主権空間のなかで、法規範に従って統治を行うにはどのようにすればいいのか。(中略)市民社会は、したがって、哲学的理念ではありません。市民社会、それは、私が思うに、統治テクノロジー上の一つの概念、というよりもむしろ、一つの統治テクノロジーの相関物、すなわち、生産と交換のプロセスとしての経済に対して法的なやり方でかかわることでその合理的測定がなされなければならないような、一つの統治テクノロジーの相関物です。(p364)

したがって、ホモ・エコノミクス市民社会は同じ総体の一部をなすということ。つまりそれらは自由主義的テクノロジーの総体の一部をなすということです。(p365)

社会の変容(大衆化)に対応する統治の装置として、一見進歩的・民主主義的な仕組みが作り出されるという発想は、ホブズボームのようなマルクス主義の歴史家とも共通しているのではないかと思う。
ただ、フーコーは、こうした統治に「外部」があるとは考えていないのだろう。統治は、完全に内面化されている、ということであろう。
さて、ここから(といっても、もう最後だが)フーコーは、ファーガソンの『市民社会史』という18世紀中頃の書物の内容を詳しく紹介していく(この本は、ファーガスンという著者名で、日本でも敗戦直後に翻訳が出たようだ)。
これはなるほど、非常に興味深いことが書いてあるのだが、そのうち何点かだけ引いておきたい。

つまり、市民社会は常に、限られた総体、他の諸々の総体に対する特異な総体として、自らを提示するであろうということです。(中略)ファーガソンが言うには、市民社会とは、個人が「一つの部族ないし一つの共同体を支持する」ようにするものです。市民社会は、人類のためのものではなく、共同体のためのものなのです。(中略)国民とはまさしく、市民社会の主要な諸形態のうちの一つ、〔ただし〕単に可能な諸形態のうちの一つなのです。(p371〜372)

ここで、「市民社会」概念の、閉鎖的というか、非普遍的な性格、たとえば国民主義的な傾向というものが述べられている。
これはカントの「世界市民」とは相いれないものであろう。
さらに、

経済的な絆は分離の原理となる。(中略)逆説的なことに、市民社会を構成する絆はますます解体し、万人とのあいだの経済的絆によって人間はますます孤立するということです。(p372〜373)

カントは、(国際間の)商業を、「自然」という無意識的なるものによって仕組まれた普遍的な絆として考えたはずだが、ファーガソンの考える市民社会においては、経済はむしろ絆を解体するものである。
社会契約(自分自身の放棄)ということがなく、なおかつ絆も解体されているのであれば、こうした社会はどのように形成されていると考えられるのか。ファーガソンは、(神に?)「選ばれた」支配する人々と、自らそれに服従する人々という形で、権力は自然発生的に形成されるとする。権威的な社会関係が、「自然なもの」として、常にすでにそこにあるというわけだ。ファーガソンが善きものとして構想した「市民社会」とは、そういうものだったらしい。

つまり、権力は自然発生的に形成されるということです。(中略)権力の事実は、法権利によるその権力の創設、正当化、制限、強化に先立つものであるということです。(中略)実際には、市民社会は、絶えず、最初から、市民社会の条件でもなければそれに追加されるものでもないような一つの権力を分泌するのだということです。(p374〜375)

こうした恒久的な社会としての「市民社会」において、歴史を動かしていく原動力になるのは、「不均衡」の原因としての経済ゲーム以外にはあり得ないことになる。

利己主義的利害関心こそが、したがって経済ゲームこそが、市民社会のなかに、それによって歴史がそこに絶え間なく現前することになるような次元、それによって市民社会が不可避的かつ必然的に歴史のなかにはめ込まれるようなプロセスを導入することになるのだ、というわけです。(p378)

ファーガソンを引きながらフーコーが描いていく「市民社会」の像は、自由主義思想の、いやむしろ新自由主義ネオリベ)の産み出す究極的な社会のあり方のようにも見える。
この講演が行われた時期(70年代末)は、サッチャー政権が登場するぎりぎりのタイミングであるが、そこには、ネオリベ化し、やがてポピュリズム化していく社会の未来が見通されているかのようである。
市民社会という自由主義的な思想は、現実にはポピュリズムへと帰結するものだったのだろうか。
フーコーの、この本での分析は、契約や法権利の言葉が、もはや機能しがたくなる新自由主義的・ポピュリズム的な世界の由来と実像を、予見的に描き出していると言えるだろう。