『反抗の原初形態』

反抗の原初形態―千年王国主義と社会運動 (1971年) (中公新書)

反抗の原初形態―千年王国主義と社会運動 (1971年) (中公新書)


編者あとがき(青木保)によると、1950年代後半に欧米で、いわゆる千年王国主義的運動についての重要著作が相次いで発表されてブームのようになったそうだ。
この本に収められているエリック・ホブズボームの諸論考も、その流れのなかで書かれたものらしい。
いまある社会が崩壊した後に、理想の王国(第三の帝国)が到来するという、古代からあるこの思想と運動が再考される場合、欧米ではやはりナチス・ドイツの存在が想起されたのではないかと思う。しかし、本書が中公新書から出版された1971年当時の日本で、そのような政治的危機意識が共有されていただろうか。
ホブズボームの議論と、本書に併録されている青木の論考(「聖者と山賊」)を読み比べても、それは疑問である。あくまで、今にして思えばということだが、千年王国主義のもつ魔力に対する批判的理性のようなものが、日本の論壇には欠けていたのではないか。


さて、まずホブズボームが強調しているのは、千年王国主義的運動と近代の運動との連続性である。この場合、近代の運動とは、とくにマルクス主義を指している。マルクス主義者であるホブズボームは、千年王国主義を手放しに礼賛するわけではないが、その連続性を直視することが生産的だと考えていたようだ。

これは決して容易なことではないが、千年王国主義的運動は、近代化に対して基本的な意味での構造上の障害をもたないという点で他の前近代的諸運動とは異なるのである。とにかく、後に触れるように、この型の運動は、はなはだ成功裡に近代革命運動へと統合されてきているのであり、また近代の改革主義的運動にもそれは統合されうるのである。(p33)

これは「近代」の立場から千年王国主義という大衆的運動を断罪しない(切り捨てない)ということでもあるが、反面で、われわれの「近代」に内含されている千年王国論的な(破壊的な)要素に注意するということでもあるだろう。
この点にも、マルクス主義の歴史家としての、ホブズボームの先見性が感じられる。


そのような観点にたってホブズボームは、近現代に起きたいくつかの千年王国主義的運動を考察する。
とくに興味深いのは、いずれも極めて貧しい農民たちの間に広がった二つの運動、つまり19世紀後半から20世紀前半にかけてのアンダルシア地方のアナーキズム運動と、19世紀末以降生じたシシリー島の農民運動(ファッシと呼ばれる共産主義的運動)であり、その二つの比較である。
まず前者については、その純粋に千年王国論的性格、つまり国家や教会といった現在の権力と秩序が激しく拒絶され、解体されて、理想の道徳的世界が希求されたことや、あらゆる組織的な運動のあり方が排除されたことが述べられる。
同時にそれが、非インテリ的な貧しい大衆の思考と感情に強く浸透するという性質を持っていたことも強調される。

だが、アナーキストの理想を経済的政治的要求の明確な計画という点だけで表現するのは誤りであろう。それはむしろ新しい道徳の世界をつくるためのものであったのだ。
 この新しい世界は、科学の進歩と教育という光によってもたらされるものであって、アナーキスト的農民は熱烈なる情熱をもってその到来を信じ、これまで抑圧的な悪魔の世界をすべて拒否してきたように、宗教と教会を拒絶したのである。(中略)
村の酒店は閉じられた。すぐに村の店頭からコーヒーが姿を消し、闘士がまだいま一つ別の麻薬の消滅を見張っていた。村は孤立し、それ以前よりも貧しくなった。だが、自由で純粋になり、この自由に適応しないものは殺された。(p70〜71)

さらに、スペインのアナーキズムは、現代のいかなる政治運動よりも、農民と小規模な職人によってほぼ独占的に精錬され広められた運動なのであった。ディアス・デル・モラールが指摘するように、マルクス主義とちがって、アナーキズムは非インテリ層をひきつけ、理論家を生みださなかったのである。(中略)それはまことに圧倒的な貧乏人の運動であり、だからそれが不気味なほど緻密にアンダルシアのプエブロの利益と野心を反映している点は驚くにあたらない。(p71〜72)

それは、近代的な革命運動とは、とくに次のような点で違っているとされる。

彼らは革命運動が、敵に対するながい戦いであり、一連のキャンペーンと国家権力奪取のための戦闘とともに新しい秩序の建設に参加することだとはみていなかった。彼らは、すぐさま終わらせねばならない邪悪な世界をみていた。(中略)その成就は、階級闘争の結果というよりも、――というのも、階級闘争は結局のところ古い世界に属することだったから――なにか表現することができないほど巨大で、普遍的な出来事の結果実現されることなのであった。(p84〜85)

しかし、実際にはマルクス主義を標榜していても、このような純粋な破壊への衝動に社会が覆い尽くされる場合があることを、私たちは知っている。それが、先にホブズボームの先見性と言ったことの意味だ。この本に収められた諸論考では、近代的な革命運動に内在する、千年王国主義的な破壊衝動の問題が予見されていると思われるのである。


さて、一方、シシリー島の運動には、アンダルシアのそれとは大きく違っている面があるとされる。それは、この運動が「組織」を重視したことである。それが運動の継続的展開を可能にしたのだという強調に、マルクス主義者ホブズボームの面目がよく示されている。

組織の力が存在するだけで彼らには多くの利点がもたらされたのである。(中略)彼らの初期の千年王国論的熱狂主義は、なにかもっと持続的なものへと変えられた。すなわち、近代的な社会革命運動への永続的で組織化された忠誠である。彼らの経験は、千年王国主義はけっして一時的瞬間的なものであるとはかぎらず、それに適した条件があれば、永久的で非常にしぶとい形の抵抗運動の基礎となりうるものだということを示している。(p109)

とはいえ、たとえこのような継続的な性格をもちえなかった場合でも、千年王国主義には、重視すべきところが大いにあることも、ホブズボームは強調する。それは、次のような点だとされる。

千年王国主義は、それまでばらばらだった民衆を国民的レベルで、ほとんど同時発生的に組織化するのを助けている。(中略)
 事実、千年王国主義は、単なる原初的(アルカイック)な過去の情念的な残存物ではけっしてない。それは、極度に有効な現象であって、近代の社会的政治的運動がその影響の幅を広げるのに大きな力となるばかりか、その主義主張を影響下にある民衆の中にしみ込ませるのにも非常に効果的なものなのである。(p110〜111)


ここまでから分かるのは、千年王国主義的運動が、大衆(とくに非インテリ層)の情念的な部分に強く働きかける要素を持っているということと、それがよく組織化された場合には、十分に持続的な抵抗運動の基礎になりうるものだという、ホブズボームの見方だろう。
労働宗派(レイバー・セクト)と呼ばれる、近代イギリスのプロテスタント諸派を論じた次の章は、そのことを考えるうえで示唆的だ。
まず、イギリスでは市民革命としてのピューリタン革命の影響から、社会運動が宗教を敵視する必要がなかったという特殊事情が説明される。イギリスでは、宗教と社会運動との間には、いちじるしい並行性がみられたとされる。
そして、そのなかでも、受動的で個人的な救済を教義とした諸宗派に比して、労働宗派と呼ばれるいくつかの宗派には、きわだった特徴があった。

労働宗派(レイバー・セクト)はこの種の宗教とははっきりと異なる。なぜなら、それは第一義的にいって積極的だからである。その集団の成員は、けっして単に賃金労働者だけからひきぬかれたわけではなかったが、全宗派は労働組合運動と密接な関係にあり、教義的にも組織上でも、また信徒の活動をとおしても両者の関係は密接であった。さらにいうなら、それは彼らの運命だけでなく新しい階級の全体的な野心を映し出すための宗教的な教義と組織を求めることであった。(p126)

要するに、これらの宗派は、労働者階級全体の救済を、積極的に志向したのである。
そのための重要な方法が「組織づくり」であり、これこそが、労働宗派が、その後身であるイギリスの近代的社会運動に与えた、最大の実際的な遺産だったとされる。

教会、とくに小さな自立的な村の教会は、すべての目的のための組織づくりを教える学校であった。(中略)
 とりわけ、反司祭的性格をもった宗派は、指導者と幹部を選び訓練するための第一級のメカニズムをもっていた。(p135〜136)

労働宗派は、大衆の日常的な生活感情を「組織づくり」を通して持続的な抵抗へと導いていくメソッドを、社会運動家たちに教えたことになる。これは、啓蒙的な都会の運動が、なし得なかったことなのである。
社会主義の運動に特徴的な、日常的な小集団による組織づくりの工夫が、プロテスタンティズムに根を持つものだという指摘は、僕には目から鱗だった(実際、日本の社会主義運動も、その始源はプロテスタントにあると言えるが)。


最後の章では、近代的な革命運動における「組織」の問題が、宗教や神秘主義千年王国主義は、これに含まれるだろう)に関連して、興味深い角度から論じられている。
ホブズボームが注目するのは、西洋ではプレ近代のある時期に、儀礼を重視する非合理的な秘密結社的な社会運動の隆盛の時代が出現したという事実である。

だが、一七八九年から一八四八年にかけての時代には、世界史全体とはいわぬまでも、社会運動の歴史において、非常に重要な儀礼組織の発達がみられたのである。(p174)

エリート的な人々による秘密結社的な革命運動、それは、ここで特にその名が挙げられているブランキやバクーニンの運動の他、ロシアのデカブリストの集団や、一時期の中国や日本の革命運動(たとえば、幸徳秋水周辺のそれ)などを想起させるものだが、そうした非合理的で横断的な小集団の形態を否定し、それに代わって登場したものこそ、マルクスエンゲルスたちの集団(組織)だったわけである。
ホブズボームは、この変容に、階級史観的な必然性(プロレタリアの時代の到来による)を一応は認めているようだ。
だが、やがて大衆社会がさらに変容するとともに、儀礼の問題、抑圧された人々の集団的心理の非合理性(破壊衝動)の問題といったものが、回帰してくることになる。
それは、マルクス主義と近代的革命運動の総体をも呑みこもうとする力である。
この点は、この本では(予見はされているが)はっきりと論じられていない事柄だ。


この中公新書の本が出版されたのは、1971年だということを初めに書いた。
ホブズボームは、本書のなかで、予言が成就されず、「運動が敗北」した後の千年王国運動の閉塞や急進的セクト化といったことについて短く触れているのだが、それこそまさに、70年初頭以後の日本で起きたことでもあっただろう。
それはまた、左翼運動の世界的な傾向でもあったことは事実である。
同時にまた、70年代は、組織化を忌避したコミューン主義の流行に、社会運動が呑みこまれていった時期でもあった。
要するに、ホブズボームが批判的に分析した、悪い意味での千年王国の磁力が、運動と社会を捉え始めたのが、1970年代以後という時代であったと考えられる。
そして、とくに日本の場合、非合理的な衝動への屈服ということは、左翼や社会運動の一部にとどまらず、むしろ社会全体、国家全体の趨勢になっていったのではなかろうか。80年代以後の高度消費社会やバブル経済の到来は、この流れを決定的にしていったと思えるのである。
その流れは、組織化による人々の持続的な抵抗の可能性や、批判的理性の力といったものに対する信頼を失わせることによって、もともとこの社会の底流に存在してきた「磁力」への服従の心性をすっかり解き放ち、支配的なものにさせてしまった。


千年王国主義的運動が、大衆の心を動かすには不可欠と呼べるほどの力を持っており、たんに啓蒙の力によってそれを抑圧しても、悪い形で回帰して来て復讐されるだけであるとするなら、この運動をわれわれの抵抗の味方にするにはどうすればよいだろうか?
これが、本書の提起している問いだといえる。
ホブズボームは、それに対して、人々の日常の組織化による持続的な抵抗運動の形成という、マルクス主義者としては、ありふれた回答をしているともいえる。
だが、この答えは、ほんとうにありふれたものだろうか。
ホブズボームの分析から学ぶべきものは、今もなお人々の抵抗の手段としての「組織づくり」が忌避され続ける日本社会に住む者にとっては、とくに多いと思うのである。