都市の論理

都市の論理―歴史的条件ー現代の闘争 (1968年)

都市の論理―歴史的条件ー現代の闘争 (1968年)


「東京には空がない」という有名な詩の文句があるが、羽仁五郎は「東京には広場がない」というのである。
東京に限らず、日本の街には広場というものが欠けているのだが、広場がない街は、じつは都市とは呼べないと、羽仁は言う。
なぜなら、広場とは民衆がそこに集まり、話し合い、意思決定をする場だからである。つまり、広場こそ、国家権力に対抗する、人々の「自治」の拠り所なのだ。
最近の日本の政府や警察、それに資本が、大都市の「広場的」な空間を、これまで以上に消去しようとしているのは、もちろん偶然ではない。
古代ギリシャやローマにはじまり、市民革命発祥の地である欧米の都市の中心部には(今では欧米に限らないが)、必ず広場があり、また広場と同じく、民衆自身の直接的な討議や会合の場としての公会堂のような建物がある。
広場を欠いた国である日本にも、公会堂が好んで建てられ、活用された時代はあった。いまでも大阪には中之島公会堂があるが、これは明治の終り頃に米国の都市を視察したブルジョワジーが建てたものであり、大正デモクラシーの時には、天王寺にもあった公会堂と共に、数千の民衆を集めて、しばしば専制政府批判の運動の中心地となったのだ。
羽仁は書いている。

日本の場合には、都市もないし革命もないのです。それを、都市ももてない、革命ももてない、それをコンミュニティという言葉で代用しているということです。したがって、コンミュニティという言葉を使っている限りは、都市、自治体を作ろうという努力もしないし、革命をやろうという努力もしない。(p58)

と。
この本の出版は1968年となっているが、収められた羽仁の発言、及び武谷三男や精神医療史の岡田靖雄らとの討議は、60年代中頃から後半にかけてのものだ。
当時は、東京を含めて各地で革新知事や革新市長が次々登場していた時期である。
羽仁は、ひとつには歴史家として、世界的な人民・市民の闘争の長い歴史を振り返りながら、また一方では敗戦直後から参議院議員を務めた政治的実践をとおして見てきた、この国の国家権力や独占資本と市民的抵抗との厳しい闘いを踏まえながら、都市の「自治」の精神の重要性を強調し、さかんなアジテーションを行う。
その羽仁が、まず槍玉にあげているのが、上の文中に出て来る「コンミュニティ」という、この頃流行り出していた言葉(概念)であり、また「地方自治」という合成的な言葉だ。羽仁が言うのは、これらの語が、まったく非論理的なものであり、現実から人々の目をそらしておくための概念、いわば『哲学上のファシズム』(p68)に他ならないということである。

このコンミュニティという概念がどうして学問的概念ではないかということですが、このコンミュニティという概念が非論理的な性格をもっている。それは、政治的にはいわゆるユウトピア的な性格をもっているということです。つまり、なんとなくそこで万事解決されるような、しかしそこに行く道はない。こういう概念は絶えず学問に出て来ます。大ざっぱに言えば、社会的な進歩が行き詰ったような場合にこういう概念が、雨後のたけのこのようにどんどん出て来る。それは、中世の終りがそうですし、最近がそうであります。(p52)

行政がやるべきことを、住民に肩代わりさせる。そのことを正当化するために、ありもしないコミュニティというユートピアが語られ、やがて住民自身がそれを信じるようになる。
これは、現実からの集団的な逃避、つまりファシズムの徴候だというわけだ。
私は、安倍政治ばかりでなく、天皇や、先のオバマ演説に対する(もっぱら平和志向的な)人々の反応を見ていても、こうした徴候を感じずにおれないのだが、いかがなものか。
それはともかく、「地方自治」という言葉については、羽仁の考えは、いっそう明確だ。
「地方」とは国家の視点から見た言葉、中央権力による統治の用語である。一方、「自治」はまさしく国家に対抗する人民自身の用語だ。この対立する二者を合成して、一つのもののように思わせるところに、国家権力のトリックがあるというわけである。
実際、羽仁の思想では、「自治」と「国家権力」(および独占資本)とは「食うか食われるか」の関係にあるとされる。

国家からの解放によって、自治体が成立し、都市が成立するのです。(p371)

すなわち自治省の本質は自治体の破壊であり、地方自治体は自治を否定するためのオブスキュランティズムである。(p439)

すなわち、敗戦までの天皇軍国主義日本では、公共とは国防もしくは軍事、皇室、神社などのことであって、公共性の名のもとに、国防軍事、皇室、神社などのために土地を収用することができたのだが、敗戦後の民主主義平和主義の憲法の下では、これらは憲法違反とされ、ゆるされないことになって、削除されたのである。ところが、いまや、かつての国防軍事や皇室や神社などにかわって独占資本が産業の公共性の名のもとに土地を収用することができるように、土地収用法が再改訂され、改悪されているのである。
公共とは、国防、軍事や、皇室や神社や、独占資本などのことなのか、それとも、公共とは、平和の平等の社会の主権在民の人民のことなのか。直接、間接の関連などの問題はあるにしても、終局的にはどちらを主とするのか。それが問題なのである。(p591)


戦後日本における国家・官僚機構・独占資本による自治体の侵食の実態と、それに対する政治闘争(都市連合や自民党打倒)の必要性を説いた、本書の後半部「現代の闘争」は、現在にも通じるさまざまな問題(財政、公害、安保体制、福祉、産業政策など)に言及されていて、たいへん面白いのだが、ここでは前半部の「歴史的条件」の方から、何箇所か引用しておきたい。
まず羽仁は、エンゲルスを引きながら、人間の解放の歴史において、「家族からの解放」がいかに根本的なものであったかを強調する。

それが私の考えでは、人の原始的な集団が失われて、家族が発生して来て、その家族の発生の間に、絶えず原始的な社会、あるいは原始的な人間性というものを回復する努力が絶えず行われていると思います。そういう中間の段階において、原始的な社会の状態を回復しようとしているのが都市であるというように考えることができると思うのです。(p93)

これは、家族の発生によって、元々の原始的な集団がもっていた人間性が失われてしまったという考え方なのである。
その人間性の回復(解放)の試みとして、都市という存在が捉えられている。
そして日本の社会では、個人を束縛する家族、また都市を呪縛する農村というものの力が、依然として強い。
こうした羽仁の考えは、過度に進歩主義的なものと思われるかもしれないが、日本の社会の特殊な構造(反動性の根深さ)をよく捉えていると思う。


また、羽仁といえば、「人民史観」が有名だ。
明治維新も、戦後憲法の制定も、元来は人民の動きや思いに基づくものであり、それを国家権力(明治政府、天皇制国家、自民党)や独占資本が、いわば盗み取ったというのが日本の近現代史だということになる。
そう主張する羽仁にとって、いかなる民主的政治制度も、その主権が人民にあるということを前提しないのなら意味がない(反動と同じである)ということになる。

人民主権が確立してはじめて三権が分立するのです。その主権在民がなければ三権分立ということはあり得ないということは、どうも法律のほうの人や政治のほうの人が十分強調しないようです。形式主義ですね。それから、民主主義というのも、民主主義というのは話し合うことだとよく言いますが、主権在民がなくていくら話し合っても無駄ですよ。最後は人民が決めるのだということがあって話し合いをやるのなら意味もありますがね。(p195〜196)

これは形式的平等によって実質的平等が失われるのをふせぎ、実質的に人民の平等をまもるためには、特権階級の発言権を認めるべきでないという、実質論です。民主主義は平等であるとか、言論の自由であるとかいうのは形式論で、主権在民人民主権ということが実質論である。民主主義というのは誰でも自由にいろいろなことが言えるのだというようなことではなく、民主主義の第一の前提条件は、人民主権ということにある。したがって、人民主権に反するような言論の自由というものはありえない。(p251)

こうした発言を、「立憲主義」賛美(実質的な改憲容認だとしか思えないのだが)が幅をきかせる今読むと、私などは胸のすく思いがする。
しかし、ちょっと書いておきたいのだが、私はよく知らなかったのだが、「形式」に対する「実質」の優位をあくまで強調するこうした考え方は、哲学的には、カント主義に対抗する歴史主義の立場にあたるものらしい。
羽仁は、左翼としては講座派に属する学者だったが、同時に、歴史主義の代表的哲学者であるクローチェに強く傾倒していた人でもあった。
羽仁の「人民主権」は、歴史主義的な思想でもあったと考えてよいのかもしれない。
井上清は、岩波文庫の羽仁著『明治維新史研究』の解説のなかで、羽仁の人民史観が、講座派のなかでも批判されたり嘲弄されたと書いているが、これはたしかに、マルクス主義の主流とは、あまり折り合いのよくない考え方だったのかもしれない。


最後に、やはりファシズムのことに触れなければならない。
この本での羽仁の「絶対主義王制」および「魔女裁判」に関する分析は、ファシズム・ナチズム・反共主義といったものを考えるうえで、示唆に富んだものだと思う。

ルネサンスの末期にあらわれてきた自由都市共和制連邦の方向がさまたげられて絶対王制があらわれてきた、と考えると、絶対王制の歴史的意義がはっきりします。(p274)

これは現在でもそうですが、社会主義の運動によって、資本主義の支配が覆されてくる。そのことに対して、現在であれば資本主義、ルネサンス当時であれば封建主義の支配が、決して簡単にあきらめないということは、当然のことです。(中略)古い支配は決して簡単には倒れないということは充分に認識される必要がある。これが、第一の問題です。
 そこで、第二の問題は、古い支配は決して簡単に倒れないのみならず、倒れないためには、新しい社会の進歩の事実を、ほとんどすべて、古い社会にとり入れてしまう、という問題です。反革命または反動は、決して過去の古い社会にあともどりすることはできないので、新しい進歩を逆の方向にとりいれることによって、古い社会が生きのびようとするのです。(p276〜277)

しかも、この「古い支配」の巻き返し的な再編成は、きわめて残酷な現象をともなわざるをえないことを、羽仁は指摘する。

ルネサンスの時代に農村に魔女裁判が猛烈に強行されたというのは、絶対王制が封建制の単なる復活ではないということです。その再編成である。ちょうど独占資本というものは資本の新しい段階ではなくて、社会主義を阻止しようとする資本の再編成であるという意味において、絶対王制は自由都市共和制の近代革命の方向をあくまで阻止しようとした封建制勢力の再編成であり、そういう意味で、非常に残酷な性質をもって来るのです。十五世紀、十六世紀、十七世紀というのは、まさに絶対王制初期から盛期であって、それがまた魔女裁判の盛期であったのだ、ということができるでしょう。(p314)

最後に、本書の末尾近くから、次の一節を引いておく。
これはまさに、現在の世界にあてはまるのではないだろうか。

非常の危険がここにある。問題の解決は一刻を争う。時は敵となるのか。時は味方となるのか。そのあいだに、時間はいよいよ切迫する。ここまできて、社会主義でないというなら、ファシズムしかないのではないか。しかも、ファシズムは問題を解決するか、といえば、残酷があるばかりで、問題の解決はまったくないのではないか。(p593)