『増補 エル・チチョンの怒り』

図書館が休館中ということもあって、かなり久しぶりに本屋で新刊の本を買った。

岩波現代文庫の『増補 エル・チチョンの怒り』(清水透著)だ。

 

 

この本は、著者がメキシコ南部チアパス州のチャムーラという先住民の村をフィールドワークした結果をまとめた1980年代後半の著作に、2010年代以降の人々と村の状況をリポートした増補分をあわせたもの。

メキシコ先住民(「インディオ」というのは、植民地支配の中で生み出された総称)の近現代史を背景に「村」の実情を描き分析した前半の部分だけでも、ずっしりと重いが、後半に書かれた近年の変容ぶりは、さらに衝撃的なものだ。

著者の基本的な見方は、先住民(ここではチャムーラの人々)の歴史や、社会の構造と、その変貌の経緯の全てを、外部からの破壊的な力に対する主体的な対応として捉える、ということのようだ。

 

『具体的なエスニック集団やその共同領域を、われわれは固定的なものとして捉えたり、固定的であることを無意識のうちに願っていることはないであろうか。あるいはまた、彼らの歴史における存在を単なる敗者とみなし、彼らに同情し、「伝説」の破壊を憂い、破壊者に対し怒り、しかも、彼らの世界における主体的ありようを見過ごしていることはないか。(p242)』

 

 

19世紀(ちょうど明治維新と同じ頃)に始まるメキシコの近代化やメキシコ革命にしても、それを契機としたり、刺激を受ける中で、先住民の人たちはさまざまな行動をとったり、選択をしてきた(反革命の立場に立った先住民たちの大反乱があったということを、初めて知った)。それらは全て、先住民たちが、数百年間危機にさらされ続けてきた自分たちの集団的な生を、外側からの暴力に対して守り抜いていこうとする営みであったとかんがえられる。

そうした主体的な選択の一つとして、著者は例えば、コーヒー・プランテーションでの労働をあげている。その栽培上の特性から、コーヒーは、村の行事のサイクルとうまく合致する産物であり、その意味で、コーヒー・プランテーションはいわば先住民たちによって「選ばれ」て存続することになったのだ、というわけだ。

ところで、1929年以来、約70年にわたり事実上の一党独裁体制を敷いた「制度的革命党」は、暴力的・抑圧的な政治を行ったことでも知られているが(その代表的な例は、メキシコ五輪開催の1週間前に起きた、有名な「トラテロルコの虐殺」だろう)、一方で、この体制は、インディオの村の自立的な存続や労働条件の改善ということについては、大きな貢献をしたようである。実際、本書を読んでいて、もしメキシコが、こういう体制ではなく、米国なり資本主義にべったりの体制であったなら、先住民の村の「伝統」ばかりか、その「存在」そのものが失われていたのではないかとも思った。これは、日本の状況を考え合わせればよく分かるだろう。

とはいえ、「制度的革命党」の統治(それは資本主義と無縁のものではないのだが)の下で、村の社会は大きな構造的な歪みを抱えることになる。それは、「カシーケ」と呼ばれる一握りの村人による富と権力の独占、という事態である。著者が前半部を執筆した1980年代には、このカシーケ支配が重大な問題だった。カシーケたちは、国家権力とも共謀して、反対者たちを暴力を使っても排斥し、その地位を守る。追放された村人は膨大な数にのぼり、やがてその人々が、非インディオの町の周辺に集住地区を作り、拡大していく。それが、当時の状況である。

ただ、そうした「カシーケ」への抵抗を村人たちに働きかけた、「赤い司教」と呼ばれるような進歩的なカトリック文化人類学者たちの姿勢(それらが村人に受け入れられることはなかった)に対しても、著者は根本的な疑問を呈している。

 

『しかし、神のまことの代理人は誰か、というチャムーラの問いが、「村」=「われわれ」の存在を認めその価値を理解する意志と感性とを外部世界に求めていることは事実だ。国家によって生み出されたカシキスモという、いわば外部世界の側の非を外部世界の論理にもとづいて打破しようとしても、それは論理を強要されてきた人びとにとっては、新たな論理の押しつけに他ならなかったのである。(p246)』

 

 

『「村」=「われわれ」の存在を認めその価値を理解する意志と感性』、それを私たちの社会は、また自分自身は持ちえているか。それが、著者の根本的な問いであり、それはもちろん、僕たちにも投げかけられているのである。

 

 

 

さて、後半で描かれるチャムーラの人々の「近況」だが、その最大の変化は、多くの村人が米国への「不法入国」を行っていることだ。相変わらずメキシコ社会の「底辺」に置かれている貧困が原因となり、米国で「稼ぐ」ために人々は旅立つが、何割かの人たちは、運よく国境を越えられても、ネバダ砂漠を越えることが出来ず白骨死体と成り果てるという。

それでも、そこで手に出来る金額は、メキシコに居ては考えられないものであり、一度村に帰ってきても、また何度も決死の「不法入国」を行う人が少なくないようだ。

米国側では、入国にはやたら厳格な一方で、一度仕事に就いてしまえば、「不法」であることを特に問題にされることはなく、(最低賃金でだが)働くことには不自由はないという。ここには、日本と同じく、低賃金・使い捨ての外国人労働力によって支えられている、資本主義経済の歪んだ実態が示されているようだ。

そして、「不法入国」するにあたって、「仲介人」に手数料などで莫大な借金を背負わされ、時には帰国する方途さえ失ってしまうというのも、どことも同じ事情といえるだろう(戦前の沖縄からメキシコへ移民した人々を描いた上野英信の『眉屋私記』にも、沖縄での同様の事情が描かれていた)。ここでは、その仲介業者となっているのは、ポジェーロと呼ばれる村人たち自身で、彼らの建てた白亜の豪邸が、今ではチャムーラのあちこちに見られるという。

こうした現状についての分析には、著者の(スペインによる征服以来の)「歴史」に対する見方が、集約的に示されている。

 

『まずは、今僕たちが目にする「伝統的な村」とは、征服によって再編され、近代化という長い歴史のなかで離合・集散を繰り返してきたという歴史を思い起こしたい。あえて極論するなら、今ある村は、時代の変化に応じて柔軟に自己を再編してゆく、仮の姿だといえる。そのような解釈が可能なら、大量の村人の都市への移動も米国への越境も、メキシコ革命によって空洞化された「村」の緊縛からの自己解放、さらに新自由主義という外圧に対する主体的な対応と捉えることができる。そして彼らは、移動する先々で柔軟にアイデンティティを再構成しながら、インディオとしての生活空間を一気に拡大しつつあると見て、まず間違いはなさそうだ。そして、ロレンソやパスクアルが大切に守り抜こうとしている「村」は、これからも恐らく、村を離れた人々の心のよりどころとして、光を灯し続けることとなるだろう。(p393)』

 

 

このように、人々への信頼と希望を記したうえで、著者はまた次のようにも書いている。

 

『そもそも、サン・クリストバル市に限らず、「市民社会」の中核ともいえる近代都市は、つねに都市内部の被差別集団の存在を前提として成立してきた。そして近代国家も、国内外の「後進地域」=(南)の存在があってはじめて発展を維持することができた。そのような理解に立つなら、そう簡単に都市も国家も、「インディオ社会」に対する差別的なフロンティアを放棄するとは思えない。(中略)そして、歴史的差別の構造が存続するかぎり、インディオインディオであることを放棄することもないだろう。(p393~394)』