羽仁・花田対談

羽仁  しかし、ぼくは、たえず批判をうけるように、いつもなんでもわりきってしまう。
花田  そんなことはない。つねにいちばん大切なものは懐疑である、という前提があって、主張されているのですからね。これが真理だ、というふうに結論を出しておられない。(p309)

羽仁五郎対談 現代とはなにか』という本は、70年安保の前夜、1969年に出た本なのだが、羽仁五郎と、彼より一回り下の年代にあたる、花田清輝鶴見俊輔竹内好武谷三男針生一郎、岩井章など多くの人達との対談が収められていて、この時代の雰囲気を知るうえでも、たいへん面白い本である。
なかでも、いずれも僕がこのところ愛読してきた羽仁・花田の二人による対談は、最大の分量を持つもので、この本を買った目的も、もっぱらこれを読むことにあった。
この本全体についての紹介は別に書くとして、今日は、この羽仁・花田対談(「近代と現代?」 1964年)に限って紹介を書いておきたい。


読んでみると、予想通りのところで二人の意見が対立していて(というより、羽仁がその点で花田を攻撃しているのだが)、やっぱりなあ、と思った。
それは、「大衆のエネルギー」を語り、この頃、日本の古典作品(たとえば『愚管抄』など)や伝統文化に着目するようになった花田の、ナショナリズムを重視する姿勢に対する、羽仁の批判、ということだ。
花田は、これまで(特に戦前)日本の民衆の「無意識的なもの」にまともに向き合うことがなかったという反省を踏まえて、次のように述べる。

ぼくのいうのは、現実にそういうゼネ・ストをやるプロレタリアートの意識が、日本的なものでがんじがらめになっているところがある。いうべくして行われない、現状というものがあるから、それをなんとか突破していかなければ、どうにもならない。(p271)(花田)

戦後社会においても変わらない、この頑強な、民衆の「無意識的なもの」に取り組むことなくして、抵抗は不可能だ、というのが花田の言い分なのである。
それに対して、羽仁は、日本の進歩的な知識人は、そのように言って必ずナショナリズムに取り込まれていった。その実例を、自分は戦前から見続けてきたと言い、次のように戦前の経験を語る。

そこで、ぼくは逆にいくよりほかないと考えて、ヨーロッパからかえって、日本の歴史からでなおした。普通ヨーロッパからかえれば、すぐ仕事を始めるのだが、そしてぼくもクローチェを訳したりもしたが、主として日本の歴史の研究に没頭した。かえっていくところを焼きはらわなければだめだ。みんなそこへかえってくる。そこにかえってきて、ぬくぬくしている。その気分のよいねぐらを焼きはらえ、ということで、日本の歴史の研究にはいっていった。(p272)(羽仁)

つまり、「日本の研究」など、自分は戦前において、すでに徹底的にやったのだ、ということである。
そして、こうたたみかける。

日本的なものを無視してはだめだという議論は、懐疑論的な意味においてでなくそういう議論がなされる場合には、けっきょく目的がみうしなわれてしまう。なんのために日本的なものを無視してはだめなのか。日本的なものにとらわれてしまって、目的はすっかり忘れてしまう。あなたが歴史的なものを書かれるのは、目的は現代にあるのだが、懐疑論的な意味でそれがなされていない場合には、いつのまにか歴史的なものが目的になってしまい、現代は関係がなくなってしまう。(p278)(羽仁)

ここで羽仁が言っている「懐疑」とは、一言でいえば、神秘主義の絶えざる否定といった意味で、彼にとっては、「無意識的なもの」なる考え方は、ファシズムの母胎である、この神秘主義以外を意味しない、といっていいと思う。
「無意識的なもの」に取り組むのが大事だからと言って、誰もが洞窟の中に入っていくが、そこから帰って来た者を見たことがない。そう、羽仁は言いたいのであろう。
戦前も、そういうことを言う者は居たが、みなファシズムに取り込まれてしまった。一言でいえば、きっとそういうことである。
このあたりの羽仁の舌鋒は、鬼気迫るものがあって、花田が気の毒になるほどだが、それは、羽仁にとって、戦前も戦後も、常に眼前のファシズムとの対決ということが、唯一の切迫した関心事だったからである。
その認識は、戦後においては「アウシュビッツ」の現実を目にしたことで、いっそう深まることになるのだが、そもそも羽仁にとってファシズムに規定された時代としての「近現代」がいかなるものであったか、それは、彼が青年時代の歴史的経験として最も深刻な印象を受けたという、関東大震災における朝鮮人社会主義者の虐殺についての、次のような見方に、よく示されている。

現代の歴史の進歩の原動力としての人民の社会的自覚に対して、これをさまたげようとして反動的勢力が大規模な事件を挑発するでっちあげが、現代の最大の問題の一つとなりつつあったのだ。(中略)大規模なフレーム・アップ、大がかりなでっちあげ、大衆を混乱におとしいれるための挑発、扇動、独占資本の反動的支配の性格をなすこれらの謀略は、当時はまだそれほど盛んにおこなわれていたわけではなかったけれども、なにかここに歴史の本質に関係してくる重大な深刻な問題があるのではないか、ということを、ぼくは感じていた。(p236)(羽仁)

こうした、独占(金融)資本による反動的支配こそが、羽仁の見るファシズムの本質であり、近現代という時代の実態なのであって、その支配の手法は、戦後社会ではさらに巧妙な、洗練された形態をとるようになった、とされる。
過去において、ナショナリズムへの回帰は、このファシズムの強化にしかつながらなかったのだから、(1911年の共和制革命で、みずから王制を打倒した中国のような近代主義先進国とは異なり)いまだに天皇制打倒を口にすることさえタブーになっている日本のような国にあっては、ナショナリズムを否定し、近代主義インターナショナリズム)の方向を進める以外に道はないのだ、というのが、羽仁の主張なのである。
その羽仁に対して、花田が言いたいことは、その近代主義の徹底にあたって主体となるはずの民衆の運動そのものが、戦後社会においては、いわば「支配階級に先手を打たれ」(羽仁のファシズム論を援用した表現)てナショナリズム(「無意識的なもの」)にからめとられているのだという事実認識であり、これは羽仁の「人民史観」が現実に根ざしてはいないという批判を、暗に含んでいるのだと思う。
しかし、全体としてこの対談では、羽仁のファシズム現代社会)分析の明晰さが、圧倒的な説得力をもって迫ってくることは事実なのだ。


対談の後半では、まず羽仁が衝撃を受けたという、1960年の花田の文章「現代史の時代区分」にスポットがあてられる(僕も、この花田の文章を読んだときは、鮮烈な印象を受けた)。
ここでの二人の論点は、「ファシズムへの抵抗か、革命か」ということである。
つまり、「現代史の時代区分」で花田が言っているのは、日本の現代史を1933年から1945年という「戦争(狭義のファシズム)の時代」として捉える視点はあまりにナショナルであり、1917年(ロシア革命)から1949年(中国共産主義革命)までの「革命の時代」と捉えるインターナショナルな視点を持つべきだ、ということなのだ。
先ほどまでの議論とは打って変わって、この花田のインターナショナルな観点に大きな評価を与えつつ、しかし羽仁は、次のように反論を呈する。

いいかえれば、ファシズムと戦争とを中心としてではなく、革命を中心として、現代を考えよ、という花田君の理論は、たしかに痛烈な批判であるが、そのさいそのファシズムおよび戦争と、この革命とを、対立的に考えるのは、そのファシズムおよび戦争に反対してたたかった抵抗運動の革命的意義の実感がないからではないかと判断されるが、花田君の理論はこの反ファシズムおよび反戦すなわち反帝国主義の抵抗運動の意義をどう見るのか、という疑問である。(p283〜284)(羽仁)

さらに、もっと根本的には、次の点である。

ファシズムおよび戦争に対する抵抗という現代史の時代区分も、一九四五年におわるのではなく、(中略)このわれわれが現在当面しているのは新しいファシズムの問題ではないか・・・(p284)(羽仁)

それにしても、現代を「革命の時代」とみる花田の論が意味するところは何か。
花田は、ここで非常に鋭い政治的分析を開陳している。

日本のおかれている地位というのは、実は日本自体が問題ではなくて、国際的な帝国主義にとっては中国がつねに問題だ。けっきょく日本は、基地としての存在理由しか客観的にはもっていない。(中略)つねに中国の動きと日本の動きとが、関数的関係において動いているという客観的な認識が、アジアに関する限り、まず必要だと思うのです。(p286)(花田)

つまり戦争によって革命をひっくりかえすか、革命によって戦争をひっくりかえすか、そういう二者択一を迫られているというのが、ぼくのだいたいの発想の基本なのです。(p292)(花田)

とにかく、国際的にそういうオープンな、開かれた環境に置かれると、必ず日本は立ちゆかない。戦争をするか、ダンピングをするか、ということになるという直観です。だから、その場合、戦争―局地戦争でもですが―をどこまで防いでいくか、ということが、大まかにいって、革命を近づけることになる。(p293)(花田)

「戦争の反対概念は、平和ではなくて革命だ」ということを、花田は別のところでも書いているが、これは日本の中国に対する関係においてこそ最も当てはまる、ということだ。
そして、この認識は、基本的には羽仁の(日清戦争以来の)歴史観とも合致するものであろう。
日本における「革命」が挫折すれば、行きつく先は中国との戦争しかない、という深刻な認識を、二人は共有しているのだ。
花田が、羽仁に批判されながらも、大衆の「無意識的なもの」にこだわらざるを得なかったのも、このことが主要な理由だったと考えられる。


この後、特に羽仁による現代社会のファシズム(金融独占資本の支配)の手法についての分析が書かれていて、非常に興味深い。
たとえば、とくに次のような指摘だ。

最近は大衆が新聞や週刊誌などを読んだり、ラジオをきいたり、テレビをみたりして、報道や言論が大衆化したようにみえるが、それだけ報道や言論の機関が大企業化したことによって、独占資本が直接に言論、報道を支配し統制してきた。これがいわゆるマス・コミュニケーションの正体だ。(中略)いわゆる報道や言論そのほかの表現の機関が自己規制するというかたちにおいて、実は独占資本が大企業としての新聞やラジオやテレビや映画や出版など、言論、報道そのほかの表現を直接に支配し統制してきたことが、現代における言論、報道そのほかの表現の自由の最大の問題となりつつある。
 以前には進歩的な思想家などを逮捕するというようなことが重大な問題であったが、現在では進歩的な思想家などに書かせないというというようなことが重大な問題となりつつある。(p300〜301)(羽仁)

現代社会においては、「大衆」「人民」が「すでに先手を打たれて」、支配の論理を内面化してしまっているという認識は、羽仁にももちろんあったのであり、それはこの対談が行われた1964年(東京五輪の年)以降、高度成長と70年新安保体制の確立という流れのなかで、さらにはっきりしたものになっていく。
それは、この対談集全体のテーマに関わるので、詳しくは別に書こう。
最後に、この対談の最後では、憲法改正を狙う自民党の策動に対する羽仁の見通しが語られているのだが、まずその初めに、そのために必要とされる、議会の「三分の二以上の賛成」という規定の意味について述べられている。

三分の二以上の多数と比較的多数とのちがいの問題などは、ドイツ官僚主義の国家学の系統の政治学ではその意味が具体的にはっきりわからない。(中略)理論的に考えると、三分の二以上の多数というのは、複数の政党が連合してえられる多数である。(中略)すなわち、ほかの問題においては対立している二大政党または二つ以上の政党が、この点においては一致して賛成するような改正しか、許されないのである。(p313〜314)(羽仁)

したがって、現在憲法改正のみとおしとして、第一に、明らかに予想しておくべきことは、
現在自民党の計画しているような改正は合法的にはできないということである。両院議員の三分の二以上の多数というのは、実は超党派的な多数であるから、自民党だけで党派的にこの三分の二以上の多数をうることはできないから、そこで、第二に、予想しておかねばならないのは、政府自民党が反対党社会党なり共産党なりをだきこむなり、排斥するなり、つまりかれらが採決に参加できないような方法をとるなり、なにか非合法的な方法をとらざるをえないであろう、ということである。そこで、第三に、予想されることは、そのさい国民は、政府自民党が非常な無理をして、合法的でない方法によって三分の二以上の多数をつくりあげるさまざまな事実を、目のまえに見るであろうということである。そして、最後に、予想されることは、そのようにしてあらゆる無理をして衆参両院の三分の二以上の多数による憲法改正案の通過のすぐあとに、こんどは国民の投票をおこない、その多数をえなければならないのだが、これらの無理なやり方を目のまえに見る国民がこれに多数の賛成をあたえるということは、ほとんどありえないということである。(p315〜316)(羽仁)

これを読むと、すでにこの「三分の二以上」という決定的な数を、事実上の単独政党のごとき改憲勢力に与えてしまったという現状に、あらためて慄然とせざるをえない。