『近代日本の国家権力と天皇制』


事情に詳しい人にとってはそうでもないのだろうが、これは僕から見ると異色の顔合わせに思えた。
菅孝行安丸良夫。運動と学問、それぞれの領域で天皇制と取り組んできた第一人者同士による対談。
短い内容だが、やはり色々と考えさせられる。
菅は、対談の下敷きになる論考で、白井聡の「戦後国体」の議論(『永続敗戦論』)に触れて、その視点の新しさを強調している。菅自身のものを含めて、これまでの戦後天皇制批判には、アメリカとの関係(共犯性)という観点が欠けていた、という。
その菅が、70年代初めに、戦後の天皇制こそが近代天皇制の最高形態ではないかという指摘を初めて行ったのだということは、本書を読んで知った。最近、粉川哲夫の70年代後半の著作で同様の指摘を読み、瞠目したが、菅の方が早かったわけか。
印象的なのは、80年代に反天皇制運動連絡会を作り、運動の盛り上がりの仕掛け役となった菅自身が、「(本当は)明仁天皇になったところで闘い方を変えなければいけなかった」と語り、現状(対談は一昨年、出版は昨年)に即した運動を作り直さなくてはいけないと明言していること。

天皇だけ見ている限りでは、健気なお爺さんに見えてしまう存在が、制度として、どのように非人間的な悪なのか、様々な運動や、運動ではない社会活動のなかで、直面する問題を通して見えてくるようにオルグする活動が、中心に据えられなければならない。それ抜きで、サイパン慰問は欺瞞だとか、被災地慰問は欺瞞だとか非難して見ても通じっこない。欺瞞だということは「正しい」ですが、なくす力にはなりません。
 様々な活動の出会いの場のなかで、制度として天皇が存在することの害悪というか、日本人の天皇幻想への“囚われ”が侵略戦争の正当化や、日常のなかの権力の悪の隠蔽につながり、“囚われ”ていない人々に対する排除や差別をどれほど生みだすかを、現実の分析や、具体的経験の共有を通して学習することが根幹だと思うんですね。(p71〜72)

両者とも、近代天皇制のシステムを(最終的には)解体する以外にないという認識は共通しているが、意見の相違、ないしは食い違いと思われるところも、もちろんある。
丸山真男が晩年に論及した「歴史意識の古層」は可変的なのか否かにこだわる管に対して、安丸は、古代から続く天皇制という複雑な枠組みを括弧に入れて、制度化された(近代化への動員装置としての)近代天皇制に対する批判に的を絞りたいと述べる。
制度批判に的を絞るとは、逆に言えば、文化的・宗教的な意味での(広義の)天皇制を救うということだろう。
そこから、制度の犠牲者としての現天皇(明白に政治的であった先代はともかく)に対する個人的同情、という感想も出てくる。
また、安丸は、やはり丸山真男が言った「無責任の体系」ということについて、それはどこの国にも当てはまる官僚制的システム一般の問題ともいえ、そこから天皇制という個別の問題は分けて考えるべきではないか、「問題を限定的・具体的に」考える必要を強調するのだが、そこにも「広義の天皇制」を救おうとする志向がうかがわれる。
もちろんこうしたことは、安丸の学問上の基本的な立場に関わっている。

日本の近代化の過程で天皇制的な国体主義というものが、いわば正統イデオロギーだったけれども、その中にはさまざまな現実批判の契機が含まれていた。(p56)

具体的には、出口なお牧口常三郎の名が挙げられ、また北一輝二・二六事件など「国体論の系統での急進主義」が有していた現実批判の力の再評価、という視点も語られる。(参照 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20141112
そこから、さらにエコロジー的な天皇制の思想的・社会的な可能性といったことにまで安丸は言及する(これが、文化的な天皇制を救うということの意味だろう)のだが、この辺は、さすがに菅は疑問を呈し、僕も危ういと思った。
現実の政治の力が、明らかにその方向を(も)射程に収めて動いていると思われるときに、そこに乗っかってしまうというのは、(安丸が重視する)「現実批判」の意味合いにおいて、どうであろうか。そこには少なくとも、最大限の慎重さが必要だと思う。
このほか、対談では、3・11の原発事故直後の政治状況を振り返り、日常意識を超えて社会システムを大きく変えていくチャンスが、あの時たしかにあったはずで、それがどういう形で潰されていったかということを忘れてはいけない、というような話もあり、やはりあの時期を一つの原点と考えるべきなのだと、あらためて思った。