小熊英二氏への賛意と疑問

2011〜2012年のデモを見てきたからこそ、今、こうしてデモをやっている
http://www.webdice.jp/dice/detail/4856/



上の対談のなかで、小熊英二氏は、次のように言っている。

それから現在の運動は、60年代後半の運動のように、非日常的な革命の夢に脱却しようというものではないですね。その理由の一つは、生活が厳しくなってきているからです。60年代は日本がどんどん豊かになっていく時期だったし、学生は少しぐらい暴れても就職先があるという安心感のもとに運動をしていました。このままだと会社勤めの人生になるから、今のうちに暴れておこう、というメンタリティがあったんですね。今から考えれば、一つの会社に一生雇ってもらえるのが前提だった。
 それと比較して今は、例えばSEALDsのメンバーの中にも、奨学金の借金を何百万円も負っている人や、電車賃がないからミーティングに来られない人もいるわけですよね。雇用も厳しくなってきているし、「革命で安定した日常を壊す」といった志向にはならないのでしょう。

私は大学の教員をやっていますが、この10年の間に、学生がどんどん貧しくなっていることは、はっきり感じ取れます。2011年の震災と原発事故は、全体状況の変化に気づくきっかけを与えた。日本のある時期の運動というのは、遠くに問題があって、困っている人々がいるから助けに行かなくてはならないというものでしたが、福島事故後の反原発運動はそうではなく、自分の住んでいる地域に放射能が降ってきたから立ち上がらざるを得なくなったという運動だった。そういうきっかけで生まれた運動の政治文化が、社会状況の変化と、結果的に一致したのだと思います。SEALDsの運動は、そうした政治文化の変化の延長にあると同時に、社会全体の変化を象徴していると思います。

60年代の運動がどうだったのかは分からないが、ただ、最近の若者たちの暮らしが、特にここ10年ほどの間に急激に貧しくなっているというのは、小熊氏の言う通りだろう。
そういう意味では、貧困の問題にせよ、被ばくの問題にせよ、戦争や徴兵制の問題にせよ、今の学生たちは、私たちの社会による被害の当事者である。その人たちのなかから生じてきている運動を、「社会全体の変化を象徴している」と捉える小熊氏の見方には、うなづけるところがある。
そして、シールズの二人のメンバーの発言に示されているように、「声を上げること」を蔑視・異端視するような社会の風潮が支配的であるなかで、それに抗って行動を始めた若者たちに対する小熊氏の態度には、かつて岡本恵徳が、沖縄出身の若者たちに向けた眼差しを思い出させるものがある、とも思う。
これは、最近こちらに書いたことだが、あらためて紹介しておこう。
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/zenkindai-2.html

それは1978年に沖縄タイムスに載った「「同化」と「異化」をめぐって」という文章だが、その中で岡本は、当時話題になっていた、沖縄から集団就職で「本土」に働きに出た若者たちが、「文化の違い」とされる理由から離職してしまうことが多いという事について、次のように書いている。

集団就職の少年たちの職場を離脱する例の多いのを指して、挫折とよび、その辛抱のなさを非難する声は多い。しかし果たしてそうなのかは、問題であろう。この少年たちは本来あるべき、自分の資質にあった職業を、自分の意志で選んだというのではない。むしろそういう機会を奪われ、やむをえず強いられた道を歩んだ少年たちであるはずである。沖縄に生きる場所を与えることのできぬ状況が、彼らをして、その道を行くことをよぎなくさせたに違いない。とすれば、彼らは、もともと、自分の志をのばす場を奪われた存在であって、みずから選びとった道をゆく人々と異なる道を歩まされているのである。(中略)挫折するもしないもない。彼らは、そこでようやく強いられた存在であることを自覚し、自己をとりもどし始めたといえないか。(『「沖縄」に生きる思想』岡本恵徳著 未来社、2007年 p145〜146)

もちろん、この最後の部分を指して、小熊氏の態度に岡本恵徳の眼差しを思わせるところがある、と言いたいのだ。
ただ、岡本の場合、この「自己をとりもどし始めた」若者たちに向けるその視線は、岡本自身の葛藤と重ねられていたはずだが、小熊氏の場合はどうだろう?
私には、小熊氏は、「日常生活の安定を回復するための行動」という自分の理解の枠組みのなかに、無理に若者たちを押しこめようとしているように見えるのだ。
たしかに、この人たちは、抑圧された状態から自分を解き放って、行動を始めたわけだが(それは、私たち上の世代が経験したことのないような重圧との闘いだろう)、ただ私が思うのは、その解放は、他者の絶えざる発見を通してしか十分に実現されることはないだろう、ということである。
そして、「他者の発見」のためには、社会の仕組みのなかでの自分自身の位置の正確な把握ということが必要である。他人に対して、被害者でもあれば加害者でもあるものとして自分を捉えることで、他人ははじめて、「自分」という抑圧的な枠組みの外側の存在として見出される。つまり、発見されるのだ。
「左翼」が、構造の認識ということを重視するのは、このためである。
その過程を介した、「他者の発見(出会い)」ということがなければ、若者たちが、自分を苦しめている仕組みから解放されることは、結局は出来ないのではないかと思う。仕組みから解放されないまま、仕組みの中に別の仕方で取りこまれていく。
小熊氏は、そういう意味での解放ということは、「非日常からの解放」として、時代遅れの理念的なものだと見なしているのだろう。そして、日常という枠のなかで、その枠を健全なものとして維持し続けるための行為(装置)として、デモなどの抗議行動(政治参加)を捉えている。
運動が勝ったとか負けたとかは単純に言えるものではないという小熊氏の見方も、そういうところから出てきているのだろう。
破壊や逸脱から距離をとって(あるいは拒んで)、「日常」を大切にするのは、理解できる立場だ。理念に踊らされるようにして行われた過去の闘争が、生身の人間を否定し、また結局は体制を利することにしかならなかったという歴史の反省も、そこには込められているのだろう。
だが、そうかといって、秩序の維持を第一義のようにし、行動や感情を、既存の「日常」を健全化・活性化するような性格のところにだけ押しこめておこうとすることが、果たして、生身の人間を大事にするということになるだろうか?
何より、その「日常」と呼ばれてきたものこそが、この若者たちを、被害の(同時に、加害の)当事者の位置に置いた当のものだったのではないか?それならば、その「日常」を自明のものとして成り立たせている仕組みこそを、人としての疑いや怒りの対象として据えるべきではないのか?
私には、小熊氏のスタンスは、根本のところで、そういう要請に背くもののように思えるのだ。