『天皇制の隠語』

天皇制の隠語

天皇制の隠語


3年ほど前に出版された本だが、すごく読み応えがあった。
オクシデンタリズム」とか「人的資本」とか「イソノミア」とか、きっと有名なのだろうが、僕としてははじめて聞くような言葉も沢山出てきた。


戦後の「市民社会」派が、講座派の流れだというのが分かりにくかったが、「市民社会」派というのは、「日本には市民社会が成立してないから、それを作っていく必要がある」という考えの人たち(丸山・大塚から平田清明まで)のことらしく、なるほどそれなら、半封建制天皇制)の残存を重視した講座派の考え方と重なる。ちなみに、柄谷行人は、一般には労農派の流れの人と考えられているが、天皇制の問題を無視できないと考える講座派(「市民社会」派)の考え方にも通じる面があるというのが、著者の見方らしい。
60年代以降は、大衆社会がすすんで、「日本には市民社会が存在してない」という主張はリアリティーを失ったものの、現実に天皇制が存在している以上は、講座派は(「市民社会」派という形で)存続することができた。
だが、いまや「市民社会」派の主張は、肝心かなめの天皇(制)に対する批判力をまったく失ったどころか、天皇制に飲み込まれつつあるというていたらくなのは、みんな知ってる。
この本に収められた文章が書かれた当時は、まだそこまでは行ってなかったろうが、もう兆しははっきりあったわけだ。
そのあたりの問題意識のもとに書かれた本だろう。
市民社会」派の文化主義的な天皇制批判(読解)とグラムシ主義とを重ね合わせて、著者はこう批判する。

にもかかわらず、大衆天皇制的な状況が亢進し続けているのは、なぜか。おそらく、文化論的な天皇表象の読解が、大衆社会における自然過程であり、それ自体が大衆天皇制の内部のものだからである。天皇制は、「市民社会」という同じ土俵の上でのヘゲモニー闘争によっては、解消されない。(p36)

半分ぐらいが書き下ろしだという巻頭の論考「天皇制の隠語」が、やはり、この本の中心と言ってよいだろう。
明治憲法と戦後憲法に共通する「天皇」を頂点とする構造と、文学など表現の問題(「3・11」以後の一連の追悼文学に対する批判が含意されてる)とを重ね合わせて、著者は次のように書いている。

その他、詳しいことは省略するが、ともかく、これらのことが意味するのは、国民の「魂」の表現は天皇をこえることができないということである。あるいは、国民の自己表現は天皇にほかならない、ということである。言うまでもなく、国民が主権を持つことになった戦後憲法においても、天皇は「国民統合の象徴」と記されている。(p125)

また、著者が高く評価する中村光夫文学史観を論じながら、

「蒲団」に始まる日本の近代文学は、何らかのかたちで天皇制を表象してしまうのだ。中村の規定に従えば、作者は表現された国民の「魂」より「偉い」はずである。だが、作者と国民の「魂」が同一レベルにとどまる時、その作品はそのこと自体で、国民を「統治」したり「象徴」したりする装置としての天皇制の表象と化すのである。(p125〜126)

ともある。
僕自身としては、天皇制を、ロマン主義の一種としてのオクシデンタリズム(反西洋思想)として理解するという視点に、深く納得するところがあった。

(近代天皇制は)正しくは逆オリエンタリズムオクシデンタリズムと言うべきだろう。それは、いかに啓蒙され虚構が暴露されたとしても残る潜在的パースペクティブであり、現在でも存在するに相違ないフェティシズム的な残余である。(p127〜128)

田山花袋の「蒲団」と同様に、天皇制をフェティシズムをして理解すれば、それが「一木一草に宿る」という竹内好の指摘にも整合すると思う。その光は、無価値(くず)と思われるものをこそ照らし出す。そこで、巨大な、暴力的な価値の転覆が可能になる。「くず」(社会の底辺)による、「くず」であるからこその価値転覆の暴力を可能にする光源としての「天皇」。それによって、逆説的に維持される競争原理と差別的な秩序の社会。
もちろん、今の社会構造と天皇制との関係を、この要素でだけ解釈するのには無理があるだろう(別に低所得者層だけが天皇制支持者ではない、など)が、依然として無視できない部分(仕掛け)でもあると思う。
 同時に、これは必ずしも、「近代」天皇制に限らない、したがって「反西洋」(ロマン主義)ということにも限らない、もう少し広い射程をもった、「天皇制的なもの」の構造かもしれないとも思う。
 というのも、最近、明治維新より百年ほど前に刊行された『翁草』(神沢貞幹)という文集を読んだのだが、そこには、異常天候による飢饉のさなかで、投機的な取引によって大儲けした商人たちが、神仏の変身した姿とも考えられた正体不明の群衆による「打ち壊し」によって制裁されるという、ある地方の出来事が述べられていた。そして、この同じ時期に、日本中が飢饉に見舞われる中で、京都周辺だけが平和な暮らしを続けられていることに感謝する大勢の群衆が、御所の周りに集まるという異例の事態も起きていた。
 天皇は、この時代すでに、日本の民衆にとって、江戸幕府や商人資本による圧迫と搾取からの脱出を可能にしてくれるような精神的な(排外主義にもつながりうる)拠り所とされていたのである。


 同じ論考「天皇制の隠語」の後半部では、「市民社会」の問題が、現代の新自由主義への対抗という課題と接続される。新自由主義に解体されて、いまや「市民社会」など事実上存在していない。
 サッチャーが言ったような「社会は存在しない」という新自由主義のメッセージが意味するところについて、以下のように著者が書いている箇所は、自分のこととして身につまされるところが大きかった。

ところが、「社会は存在しない」というメッセージが意味しているのは、人的資本=労働力の外部性にほかならない。労働力も社会的に存在しているわけではなく、社会の外部あるいは「間」や「穴」に存在しているということになる。たとえば、フリーターや契約社員ワーキングプアルンペンプロレタリアートのように、である。市場には存在しているが、社会には存在していない。(p164)

しかも、ここでは、マルクス主義をその代表とする、「市民社会」なるものを「国家」と対立するものと想定する考え方自体が、実は新自由主義の論理(「人的資本」)と同型であり、それゆえに新自由主義に対抗できないものであるということが、論点になる。
(初期?)マルクスや「市民社会」派の考える、解放された自由な個人は、ネオリベ社会の資本家的個人と、実は別のものではないということである。
ここは、日本では上野千鶴子などを思い浮かべると分かりやすいだろう。労組や新左翼出身で企業家になった人も少なくないようだし。また、韓国でも、「民主化」以降「市民運動」がネオリベに変質してしまったという批判は、左翼のなかでは支配的なもののようだ。
 別の論考のなかで、このことは、フーコーが70年代初めにすでに指摘していたこととして、明快に述べられている。

全く対極的な思想家と見なされるハイエクマルクスは、しかしともに、市民社会を国家に対抗する領域として構成しているのである。フーコーは、それこそが、「統治思想(十九世紀に誕生した新たな形の知の統治性)が、国家の必要な相関物として出現させたもの」(『安全・領土・人口』高桑和巳訳)だと言う。フーコーは国家と市民社会の対立という考えが不適切だと言っているわけである。(p264 「市民社会とイソノミア」)

いずれにせよ、「市民社会」というものは既に存在していない。それは、新自由主義社会=国家によって廃棄された。
この現状に対して、ネグリ=ハートのように、資本によって奪われた<共>(コモン)の奪還を唱える考え方もある。だが、それは「市民社会」を復権しようとすることであり、全く挫折するのでなければ、ファシズム期の農本主義のようなものに近づいていくだけではないかというのが、著者の見方のようだ。
 そして、著者はこれに対して、(グラムシネグリをも含む)マルクス主義・「市民社会」論が、新自由主義と共犯的に否定した「労働」(労働価値説)という概念を復権させることが、新自由主義に対抗していくためにはある程度必要なのではないかと、言っているように読める。
 また、さらに大枠では、「市民社会」と資本主義とを駆動させる「欲望」の論理に対して、「欲動」の肯定というドゥルーズ的な、そして暴力的でもある思想が語られている。
 それはよいとしても、著者はこのことを日本の文脈においては、講座派の思想のもっともポジティブな部分での重視によって実行しようとするのだろうが、そうであれば、その核心である「反天皇制」という現実の要素は、必ず含まれねばならないはずだと思うのだが。


まあ、とにかく、フーコーの『生政治の誕生』とかイアン・ブルマの『反西洋思想』を読んでみよう。この二冊はどちらも近所の図書館にあるらしいから、それらが資本に奪われてしまわないうちに。