基地とわれわれ

以下は、沖縄の岡本恵徳が書いた「「やさしい沖縄人」ということ」という文章の一節で、『「沖縄」に生きる思想』という著書に収められている。
初出の日付は、いわゆる日本への「復帰」(施政権返還)がなされた1972年5月である。
「本土」の人間である僕は、この岡本の文章を「沖縄の人がこう言っている」というような感じで、ここに引用することには、たいへん抵抗がある。岡本がこの文章を書いてから40年以上がたったいま、沖縄の基地が減少するどころか、その「過酷」が増大する一方であるという現実を考えれば、なおさらだ(そのことは、ここでの岡本の言葉に対する重大な裏切りと言われても仕方がないだろう)。
それでも、あえて紹介しようと思ったのは、ここに示された、「みずからの担っている過酷な状況を拒否するとともに」「みずからの担っていると同様の過酷を担わされることに反対する」という思想を持つべきなのは、「本土」のわれわれの側なのだということを確認したいからである。それが出来ていたら、いまの沖縄の「過酷」な現状はなかったはずではないか。
沖縄に学び、そういう思想を自分のものにするという姿勢に基づくのでなければ、「地上のどの場所にも基地は要らない」にせよ、「本土への基地引き取り」にせよ、たんに形だけの運動に終わるというばかりでなく、意図したものとはまったく異なる結果を生じさせてしまうことにもなるだろう。

(前略)沖縄が、沖縄の担わされている状況を峻拒することは、同時に、沖縄以外の誰もがそういう犠牲(もしその言葉が言えるとすれば)を担うことを沖縄は許さないのだとする意志の表明であるのだから、その意味では、本質的なところでの「やさしさ」を生きていることになるといえなくもない。
 かつて「本土の沖縄化に反対する」という革新政党のスローガンに対して、中野重治がひとつの異議を呈出したことがあった。中野氏のこの発言は、そのスローガンの中に潜んでいる、沖縄を差別し沖縄と同じような状況に陥るのは御免だとする本土側のエゴイズムを鋭くえぐりだしたもので、中野氏らしい倫理観と潔癖さにあふれた美しい文章であった。
 この文章に接したとき、直ちにその旨の紹介を新聞のコラムで行なったが、この中野氏の発言は中野氏の言葉として美しいが、それは沖縄に生きているぼくたちに当てはまるものではないとして、紹介以上のことを付け加えることをしなかった。そして、ぼくの予想していたように、沖縄の人々がその中野氏の発言に同調しなかったことを、ぼくなりに沖縄の人間の本質的な「やさしさ」のよき現われであるかも知れぬと考えたことがある。
(中略)
 さきに中野氏の発言として美しいと述べたが、それは本土に生きる知識人の言葉として美しいのであり、沖縄に住むぼくたちにとっては、それとは逆に「本土の沖縄化に反対」することこそ、正しいのである。
 本土に住む人間が「本土の沖縄化に反対」するとき、無意識のうちに露呈されるエゴイズムをみることができるとするならば、沖縄に住む人間が、「本土の沖縄化に反対」することは、みずからの担っている過酷な状況を拒否するとともに、そのことを通してみずから以外の本土の誰かが、みずからの担っていると同様の過酷を担わされることに反対することを意味するのであって、したがって沖縄に住むぼくたちにとっては、「本土の沖縄化に反対することに反対」するわけにはいかないのだ。そのようなまぎれもない認識があって始めて、本土の知識人としての中野重治氏の発言は美しいのであり、沖縄のぼくたちにとっては「本土の沖縄化に反対」し続けなければならなかったし、反対し続けてきたはずである。(p75〜77)


「沖縄」に生きる思想―岡本恵徳批評集

「沖縄」に生きる思想―岡本恵徳批評集