『ユダヤとイスラエルのあいだ』(新装版)

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元は2008年に出版された本だが、今年の8月に出た新装版。僕は初めて読むと思う。イスラエルパレスチナの問題の背景というか、本質がどこにあるのかということを、思想的な面から追求しており、ちょっと難しいところもあるが、やはり今広く読まれるべき本だと思う。

ここでは特に、イスラエルと日本とを対比して書かれた箇所に着目して、紹介しておきたい。

まず、「まえがき」のなかで、このように書かれている。

 

『事実、ヨーロッパで先行していた国民国家の発展との強い影響関係において、急速に近代国家建設を進めたという点で、イスラエルと日本とは類比すべき点が多い。どちらもヨーロッパを頂点と仰ぎ、そして周囲に植民地や占領地を保持することで階層構造をつくり、その内部において国民化の圧力を強めてきた。(p9~10)』

 

第二次大戦後の米国の国際戦略との関わりにおいて、イスラエルと日本とが類似した位置を占めてきたということは、よく指摘されることだし、僕もそのように思ってきた。

だが、植民地支配という観点から、日本の近代史全体をイスラエルシオニズム)に重ねる発想は、自分の中では希薄だったと思う。例えば沖縄に対して、米国は第二次大戦後になって「占領者」として振る舞うようになったが、日本国の方は(少なくとも)明治の初めから沖縄の「占領者」だったことを忘れてはならないだろう。その支配者としての眼差しは、「軍事化」にせよ、観光開発におけるものにせよ、もちろん今も変わっていない。

さて、続く序章では、1990年の「改訂入管法」を例証として、戦後も一貫して変わらない日本国家の、その体質が批判されている。敗戦(帝国の解体)に伴う旧植民地の解放を経ても、この国の体質がなんら変わっていないという事実を、私たちは確認せざるをえない。

 

本質主義的な国民主義はむしろ強化されたと言っていい。戦中から戦後へという転換のなかで、「本来的国民」という思想はいささかも揺らぎはしなかったのだ。(p40)』

 

今年2023年、さらなる「強化」と言うべき入管法改悪が成立してしまったことは、あらためて書く必要もなかろう。

「新装版あとがき」では、今年が1993年のオスロ和平合意から30年にあたることから、ほぼ「平成」の期間と重なる日本の政治状況との対比(類似)が、次のように総括される。

 

『同時期にイスラエルで「和平プロセス」の名の下に、人種主義的シオニズムも軍事的占領も強化されていったのと同様に、「平和主義的な平成天皇」の時代に、血統主義と男尊女卑の天皇制は深く根づき、かつ軍事大国化も進められていった。(p342)』

 

これ以上の推論を行なうのは、パレスチナの現状に対しても、沖縄や東アジアの現実に対しても適切でないだろうが、このような過程の帰結として、いまのガザの状況があるということは、少なくとも言えるのだ。

 

 

ところで、ハンナ・アーレントを論じた部分のなかで、著者は『全体主義の起源』におけるその考えを要約して次のように書いている。

 

『周知のように国民国家は、「民族的帰属と国家機構とが、相互に融合し国民的思考において一体化される」ことによって成立した。だが、この「民族的帰属」の意識が、法的な平等を崩壊させる。それは「国民」が「民族」に取って代わるときに、国民の統一体に属することのできる者と排除される者とを産み出すからである。(p160)』

 

そして、亡くなるまでイスラエルに対する擁護的な沈黙を破ることのなかったアーレントの願望には反するものであった現実を、次のように書く。

 

『結局のところ、イスラエル国家はヨーロッパ的な国民国家の反復、「飛び地」にすぎなかった。いや、たんなる反復どころか、ヨーロッパから排除された民族が、排除されたがゆえにかえっていっそう純粋な民族主義・人種主義に基づいて「建国」をしてしまったために、矛盾が極限的な形で露呈してしまっているのだ。(p162)』

 

シオニズムという民族主義的な思想(情念とでも呼ぶべきか)とリベラル(啓蒙主義的)な国民国家の理念との齟齬という、イスラエル支持のリベラル主義者にとっては残念な現実は、イスラエルでは今なお憲法が制定できずにいるという結果となって現れているという。

 

『近代的民主国家でありたいと同時に排他的なユダヤ人国家でありたいという矛盾した欲望を、近代的憲法で体系化することは困難であった。(p297)』

 

だが、僕がここで思ったのは、「民族主義国民国家とは相容れない」という理由から、いまだに憲法を制定できずにいるイスラエルと、天皇という、どう考えても民族主義的・宗教的としか思えない存在を最重要部分に置く憲法を、さしたる葛藤もなく成立させてしまった「戦後」の日本とは、果たしてどちらが、よりまともな国民国家と言えるのか、ということだ。

もちろん、「まともな国民国家」なるものが実際に存在しうるとしての疑問であるが。