『ショア―』第二部

九条のシネ・ヌーヴォXで上映中の『ショア―』のうち、第一部と第三部は、先日までに見ることが出来、今日第二部を見てきた。そのなかで、特に印象的だった場面について書いておきたい。


第一部の冒頭で、川面を行く小舟の上で歌を歌うシーンで有名な、スレブニクという生存者の人が居る。彼は、ヘウムノという所にあった絶滅収容所の、たった二人しかいない生き残りのうちの一人である。
収容所に入れられた当時は、まだ10代前半の少年だったが、その動きの機敏であることと、歌声の美しさという、いずれもまったく恣意的な理由によって、偶然にも生き残ることが出来たのである。この映画の撮影当時、1970年代の後半と思われるが、当然ながら中年になっていて、イスラエルで暮らしていたのだが、監督のランズマンらの強い説得によって、ヘウムノを再訪し、当時のことや現在の心境を証言することになる。この長い長い映画の中でも、とりわけ重要で忘れがたい人物であるといえる。
さて、第二部の後半で、彼がそのヘウムノの近郊のカトリック教会を訪れ、おりしもミサが行われている教会の門の前で、その地のポーランド人の群集に取り囲まれながら、撮影されるシーンがある。といっても、そこではスレブニク自身は何も語らない。カメラのこちら側からランズマンが発し続ける質問に答えるのは、その地の農民や庶民と思われるポーランドの男女である。
その質問の内容は、「スレブニクがここに帰って来て嬉しいですか?」ということや、当時のユダヤ人たちの状況をどう思っていたか、というような内容である。人々は、スレブニクに再会できてとても嬉しいというようなことを言い、またユダヤ人の境遇にはとても同情していたというようなことを、なんらわるびれた様子もなく答えている。
スレブニクは、その間ひたすら、周りの農婦風の女性たちと、にこやかに視線を交わし、温和な様子で彼女たちに向ってうなずいたりしている(カメラは、その様子を丁寧に映し出す)。
その姿は、30年余り前に、彼が経験した出来事、彼の両親を含む数知れぬ同胞たちが虐殺され、ドイツ兵たちの奴隷のように扱われながら、その同胞たちの死体の処理を延々と行わざるをえなかった少年時代の経験を知る者の目には、なんともいいようのない奇妙な気持ちを生じさせるものだ。
実はこの第二部でも、この教会の場面の直前まで、ランズマンは、この地で暮らすポーランドの人々のユダヤ人に対する敵対的・差別的な感情を、インタビューを通して延々と抉り出す編集をしている。だから余計に、この生き残りのユダヤ人の親和的にさえみえる素振りは、見る者に居心地の悪いような、不思議な感じを与えないではいないのである。
この場面を見ていて、私が漠然と思ったことは、スレブニクが少年の時に体験した出来事は、彼自身が語るように、個人が受容したり理解できる限度をはるかに越えているために、彼はこのような場面に立たされても、「自分の感情」というものを表出することが出来ないのだろう、ということだ。
彼の、ポーランドの人たち(彼ら、彼女らは、ホロコーストを黙認した人々なのだが)に対する友好的な素振りは、おそらく、そうした彼の、ホロコーストの生存者としての、特殊な精神状況に由来するものだと思う。
もちろん、これは、私がそう思うというだけのことで、実際はそうではないのかもしれない。
だが大事なことは、いずれにしても、彼がポーランドの人たちに対してどのような対応を示したり、語り方をするかということは、あくまでも、生存者である彼個人の、生き抜くための方策に属することだということである。
かつて彼を見棄て、追い込んだポーランドの人たちに囲まれたとき、彼がどんな対応を示すかということは、きわめて個人的で切実な問題だ。
だから、その対応の仕方がどうであっても、そのことは、ホロコーストをめぐる歴史的・構造的な事実がどうであったかとか、その責任の如何といった次元の問題とは、直接に結びつかない。つまり、「スレブニクがあんな友好的な態度を示しているのだから、ポーランドの人々の倫理上の罪は薄いのだ」という風に考えることは出来ない、ということである。
むしろ、そのような一見友好的な態度を示さざるをえないということのなかに、この問題の重さが如実に表れているとも考えられるし、私は、そういう考え方をするべきだと思う。


ところで、やがて、この雰囲気が一変することになる。
それは、ちょうど教会の中で行われていたミサが終わって、十字架を先頭にした華々しい行列が門から出てくる印象的なシーンの直後である。カメラが、このカトリック教会の、どこか土着的な感じも受ける荘厳な儀礼の行列を映し出した後、まるでその教会の鐘の音によって排他的な宗教心を刺激されたかのように、ポーランドカトリック信者たちが、ユダヤ人への敵対性を突如あらわにするかのような場面が訪れるのである。
それは、質問を再開したランズマンが、人々に向って、当時教会に幽閉されていたユダヤ人たちが、トラックに載せられて収容所に連行されるときの様子を、何度か聞きただした時だ。
突然、一人の男が、激昂してカメラの前に進み出て、その連行の時に、(ユダヤ人たちのリーダーだった)あるラビが言ったという台詞を語って聞かせる。そのラビは、かつてユダヤ人の讒言によってキリストが処刑されたときに、「この罪過は、未来永劫われわれの子孫に降り注ぐだろう」という言葉が発されたという古事を引いて、「私たちは、今から赴こうではないか」と、ユダヤの人々に語りかけた、というのだ。
これを聞いたランズマンが、「では、ユダヤ人たちは、報いを受けたというのか?」と反問すると、そのポーランド人の男は、「神が復讐を望んだとは思えない。これはラビが言った言葉だ」と答える。
すると続いて、今度は一人の女性が進み出て、それまでとは一変した厳しい表情で、ユダヤ人に対する非難の言葉を発し、自分たちには罪は無かったと言い募り始める。
この群集の雰囲気の豹変ぶりは、見ていて本当に恐ろしい。
いま、カトリックのミサのことを私は書いたが、それは一つのきっかけであって、ランズマンが繰り返し投げかけた、「ユダヤ人が連行されるのを見ていて何も感じなかったのか?」という含意の質問によって、ポーランドの人々の心の底に秘められていた感情が揺り起こされたかのような印象が強い。
それが、ミサの特異な雰囲気も手伝って、ある種集団的な感情の暴発のようなことにつながっていくのだ。
このとき、笑みが消え、言い様のない暗い表情に一変するスレブニクの変化を、カメラは見逃さず捉えている。


これは蛇足だが、ここでも私が思ったのは、その時のラビの言葉は、(それが事実だったとしても)おそらく死を予期している人々に対して、宗教的な指導者が発することが出来た、ぎりぎりの表現だったろうということである。
ところがそれを、差別と攻撃と自己弁護の感情に駆られた人は、あたかも自分たちの無罪性を示す証拠の言葉であるかのように持ち出してくる。
スレブニクの(温和な)表情や、ラビの言葉は、その人間的な深みや意味合いを奪い取られて、事実の重さを回避し続けたい人たちの、都合のよい解釈の道具にされてしまうのである。