学習会『占領国家イスラエルの社会と政治文化』の感想

先に案内を載せた「パレスチナの平和のための関西連絡会」さんの学習会、『占領国家イスラエルの社会と政治文化』に行ってきました。
お話は、『〈不在者〉たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ』の著者、田浪亜央江 (たなみ あおえ)さんです。
以下では、ぼくがとくに印象に残ったところを中心に、お話や質疑の内容を抜粋して紹介し、感想を加えます(ややこしいので、感想部分のみ、イタリックで表記します。)。
理解に誤りや不正確なところがあるかも知れないことを、お断りしておきます。


最初に田浪さんは、ご自分がパレスチナ問題に関わるなかでイスラエルのことを研究する必要があると考えた経緯を述べられ、その研究を行うにおいての心構えのようなことを語られた。
それは、こういうことであった。
パレスチナの問題に向き合うためにはイスラエルを深く理解する必要があるが、そうなるとどうしても、その理解するということが(イスラエルを)擁護するということになってしまいがちである。
そうではなく、自分の中で「許せないところ」を持ち続けながら、理解を深めていくということが、とても難しいけれど大事だと思う。「擁護」に陥らないような「理解」の仕方というものが、あるはずだと思っている。
大体、このような意味のことを述べられたと思う。
また、自分のイスラエルに対する理解は、まだとても不十分だと思っている、という風にも言っておられた。


それから、イスラエルユダヤ人というと、「ホロコーストの生き残り」といったイメージで語られることがあるが、イスラエルというのは、世界中から(多くは組織的に)移民してきた、大半は「ユダヤ人」と呼ばれる人たちによって構成された国で、ヨーロッパからの移民はその一部でしかなく、とりわけ「ホロコーストの生き残り」に当たるような人は極めて少ない、ということだった。


割合で言うと、特に90年代前半の数年間に旧ソ連圏から約100万人の人達が移住してきた。これは、イスラエルの総人口が700万人(そのうち「ユダヤ人」は80%とされる。)だから、大変な数字である。
このほか、中東やアフリカなど、さまざまなところから、人々は移住してきた。
そのなかには、エチオピアから移住してきた人たちのように、(見た目は)まったく黒人の人たちもおり、「ユダヤ人」という概念になんらかの生物学的な実体を見出すことは出来ない。
こうした移住策は、ユダヤ人の人口を増やして、「ユダヤ人がマジョリティーである国」であることを確保したいとという、イスラエルの国家的な意思に起因するものである。


つまり大事なことは、イスラエルは、基本的に移民によって成り立っている社会であり、国家であるという点。
田浪さんは、このことを、イスラエルパレスチナを占領したり、今回の侵攻のような非常な暴力を加えるとか、そういったひどいことをなぜイスラエルの人たちは支持・容認できるのかという、一般的な疑問に対して、ある程度の説明を与えるものと、考えているようだった。
つまり、基本的に皆が移民であるが故に、その社会に適合して、生活を向上させたり、それを守っていくということに専心するので、占領地におけるような出来事は他人事のようになってしまう、ということ。


このことは、ぼくが思うには、イスラエルが国家の性格上、「ユダヤ人」とされるような人たちを移民させて、人口と、アラブ人に対する人口比とを増やし続けることでしか存続できない、安定と安心を得られないような成り立ちになっているという事情に起因するところが大きいのではないかと思う。
つまり、「移民社会だから」というよりも、そういう国のあり方が修正されずに来ているということが一番根本の問題で、そこから社会や個人の心理面でも、色々な歪みが生まれてきている、ということではないか?


また、たいへん印象的だったのは、上に書いたように、イスラエルの「ユダヤ人」と呼ばれている人たちというのは、世界中の色々なところから移民して来てるわけだけど、そのなかの他の中東諸国から移民してきた人たちについての話で、それはイスラエルの建国によって、アラブ諸国のなかで暮らしていたこの人たち(ユダヤ人、ユダヤ教徒)が住み続けにくい状況が生まれたことが、イスラエルへの移住の大きな要因になっている、という話だった。
この人たちは、それまでは「ユダヤ教徒のアラブ人」という風に自認しており、アラブ諸国のなかで「イスラム教徒のアラブ人」と、(今の言葉で言うと)普通に共生していた。
ところが、イスラエルの建国という出来事によって、そういう日常が崩れて、アラブ諸国のなかに排外的な雰囲気が強まり、受入れてくれるイスラエルに移住せざるを得なくなった。もちろん、「ユダヤ人」の総人口を増やしたいイスラエルは、そうした「組織的な移民」を積極的に導いた。
この共生の状態が壊されたということが、イスラエルの建国という出来事の持つ大きな良くない意味(影響)ではないかと思っている、というお話だった。


中東における(パレスチナ以外の地域の)ユダヤ人(ユダヤ教徒)の、イスラエルへの移民の原因、イスラエルの建国とのその関連性について、このように考えたことはなかったので、このお話には、たいへん驚いた。
同時に、視点を少し変えると、これはやはり西洋による植民地化が、中東の人々の生活にもたらした巨大な破壊と変容の、ひとつの部分とも言えるのではないか、とも思う。
そして、この他国・他地域への植民地化の暴力を行使した側には、もちろん日本も(有力なメンバーとして)入ってるわけである。


それから、印象深かったもうひとつのことは、上に述べたように基本的に移民国家であるイスラエルの国や市民にとっては、常に最大の政治的関心事は「移民の統合」という国内問題であり、パレスチナ問題にはなかなか関心が向かないのだ、ということ。


これも、お話を聞くまではあまり考えたことのなかったことで、大変はっとさせられた。
もちろん、「だから、この問題へのイスラエル市民の無関心・無理解は仕方ない」ということではなく、国全体、社会全体がそういうメカニズムになっている、ということであろう。
これもつまり、こういう国のあり方というものがやはり根本的な原因としてあるのであって、そこから占領や侵攻を容認・支持するような人々の意識が生み出されてくる、ということではないかと思う。


また、田浪さんが最後に言われたことで印象的だったのは、イスラエルという国で(研究者として)生活していると、人間の生活が国家の政策や方針によって操作・左右され翻弄されるということを、常に強く実感する、ということであった。


ユダヤ人」という名目で、肌の色等にさえ関係なく、世界中から多くの人たちを大量に移民させて人口(比)を増やし続けていることとか、占領地に入植を行ってパレスチナ人を追い出しユダヤ人だけの国に近づけようとしていることとか、この国の人工性のようなものは、たしかに極端な事例だろう。
だが同時に、国家の政策に個人の生活が管理・制限されたり翻弄され、それが社会の心理状態のようなものを、不安に満ちた排外的なものへと構成していくというメカニズムは、ぼくたちにも決して無縁のものでないであろう。
たとえば選別的な移民政策ということは、日本政府も一貫して行っている、また行おうとしている。
そうすると、イスラエルの事例というのは、極端ではあろうが、そういう現代の国家の構造的な暴力を、一番見えやすい(先鋭的な)形で体現しているということが、やはり言えるのではないか、と思ったのである。


それから、イスラエルには人口の80%を占める「ユダヤ人」*1の他、20%の「アラブ人」といえる人達が居る。
この人たちは、もともとこの土地に住んでいたイスラム教徒のアラブ人の人たちで、つまり「パレスチナ人」と呼ばれてよい人たちである。
田浪さんが、なぜこの人たちを「アラブ人」と呼ぶのかというと、第一には、この人たち自身が、そう自称してるから、ということだった。
そこには、このイスラエル国内の人たち(アラブ人)が、占領地に暮らす「パレスチナ人」と自分たちとを同じに語らない、語れない、という複雑なものがあるという意味のお話だったと思うが、ここはちょっと具体的に書けない。
そして、彼らが自分たちを「パレスチナ人」と自称する時には、そこには政治的な意味合いが込められている、とのことであった。
つまり、そうでない日常生活のなかでは、この人たちは、自分自身にとっても、概ね「アラブ人」という方が自然、ということなのだろう。


この辺の事情は、言われてみると、きっとそうなんだろうなあ、と思うが、具体的なことはぼくには分からない。
ただ、(イスラエルという)政治的・社会的な現実の中で生きている(生きるほかない)ことの重み・負荷が、その自然さのなかに込められているということは、きっと言えるのであろうと思う。


最後に、イスラエル国内での兵役拒否などの動きについて、会場から質問が出たのだが、田浪さんはそれに答えて、たしかにそういう動きはあるが、それらがパレスチナをめぐる問題への意識に関わって起きている動きとも思えないうえ、基本的にあまりに少数であって、それが社会全体の変化につながるものとは考えられない。
日本のマスコミなどで、それが何か良心的な、希望の光のように報じられる現状には違和感を覚える、というような意味のことを言われたと思う。


これは日本の論調というのはたしかにそういう欺瞞性があるが、「希望の光である」ということ、もしくはそのように思うということと、「希望の光であると伝える」ということの間には、無限の距離がありうる、という風にも、ぼくは思う。




以上、ぼくの感想の方が多くなってしまって、申し訳ありません。
田浪さんには、貴重なお話を聞かせていただいて、たいへんあり難かったです。
会場で、速攻著書を購入しました。

「不在者」たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ

「不在者」たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ

*1:といっても、先に書いたように自然的な実体というのかそういうものはこの概念にはないということが、これは民族概念全体について言えることかも知れないけど、イスラエルでは特に露呈しているのだが。