『徳田球一とその時代』

先週の土曜日の深夜に、「ETV2000 徳田球一とその時代」という番組の再放送があった。ちょっと感想だけ書いておきたい。

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20150214-31-05451


これは題名にある通り、15年前に放映されたものの(二週分)の再放送である。本放送の時は、私は見ていない。
ナレーションは昨年亡くなった俳優の蟹江敬三だった。
特に印象深かったのは、徳田の生い立ちについてである。
私は、なぜか彼を奄美の方の出身と思い込んでいたのだが、沖縄本島の名護の出身とのことだった。両親はいずれも、父親が鹿児島の人で母親が名護の人という家庭に生まれ育った人達で、その子として生まれた球一も、二つの土地の間にはさまれるような、苦しい経験をして育ったということが語られていた(なお、球一という名前には、「琉球一の男になるように」という願いが込められているそうである)。
この番組が放映された頃、遺族が名護市に、徳田が客死した中国で作られたそのデスマスクを寄贈するということがあり、また市の中央図書館では徳田の回顧展が開かれ、多くの市民が訪れて盛況だったという。


徳田が指導者だった頃、日本の共産党(に限らないだろうが)は、対米独立や(もちろん日本の)民族主義というスローガンを立てた。だが、それらの言葉は、徳田にとっては、やや特別な意味合いを持っていたのかもしれないと、この生い立ちのくだりを見て思った。
この番組では、(徳田が主に亡命先の中国から指導したとされる)非合法時代の共産党の活動については、あまり語られていなかったが、この時代の記録として重要なものの一つである高史明の自伝的小説『闇を喰む』には、主人公が「党員であり続けることを選ぶか、それとも朝鮮人であり続けることを選ぶか」という二者択一を、党から迫られる場面が出てくる。
また、徳田の同時代人であるというより、同志でも政敵でもあっただろうスターリンが、自身はグルジアの出身でありながら、権力を握ると少数民族に過酷な政策をとったという事実もある。
一般的に言っても、コミュニズム(国際主義)と民族運動は折り合いが悪いと考えられるが、徳田にせよスターリンにせよ、特殊な困難を背負いながら闘争の道を歩んだことは確かだろう。彼らの行なった政治がどうだったかということとは別に、その困難の性質と原因に関しては、私たちは、もっと考えていく責任があると思う。


この他、著書の『獄中十八年』や、親族にあてた手紙の引用から、収監されていた当時の様子を詳しく知ることが出来た。治安維持法で逮捕され、当初は刑務所側は収監者を外の情報から出来るだけ隔離しておこうとしたが、やがて日中戦争が激化し、ちょうど南京占領の頃から、一転して積極的にラジオなどの時局報道に触れさせるようになったという。ファッショ化、総動員化の工作が、「塀の中」にまで徹底されるようになったのである。徳田は、この動きを非常に警戒した。
刑務所の中にいても、社会全体の動きや戦況を、ほぼ完璧に読み切っていたことには驚愕するほどである。
戦争が佳境に入った頃、刑期満了の時期を迎えたが、それに合わせたかのように法律が改定され、予防拘禁制度によって引き続き収監され続けることになる。釈放されると思って刑務所の前まで迎えに来ていた家族たちは、非常に落胆したという。
そして敗戦を迎えるのだが、戦争が終わっても徳田たちは釈放されなかった。フランス人のジャーナリストが事情に勘付き、米兵の服を着て府中刑務所に「突撃」取材し、会見に成功。これがきっかけになって、GHQが釈放命令を出し、同年の10月にようやく解放される。


戦後の活動だが、何より印象的だったのは、外に出てきてすぐに行った北海道遊説で、各所で右翼や大衆の妨害・襲撃を受け、函館では死者まで出る騒ぎになったということ。「刑務所に帰れ」という怒号が、どこでも投げつけられたという。
また、公職追放される直前の九州での演説会では、爆弾を投げつけられ重傷を負うが、命に別状はなかった。
こういう話を聞くと、日本で右翼的な(右翼と大衆による)暴力が下火になった時期など、ただの一度もないのではないかと、あらためて思う。
50年に亡命して、53年に客死するまで、北京に住んで日本国内の党の方針を指導する活動を行った。中華人民共和国の成立直後、そして朝鮮戦争の真っ最中である。徳田は、中国では「孫」という名前を使っていたので、そのグループは「孫機関」と呼ばれたそうだ。日本に居るときには、路線対立の相手だった野坂参三や、伊藤律、高倉輝らと一緒に仕事をした。
毛沢東周恩来ら、首脳たちとしばしば会っていた。徳田が亡くなった時、北京で非常に盛大な葬儀が行われ、その弔辞は劉少奇が読んだという。
そういう時代だったのだなあ、と思う。